旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

芝山巌(しざんがん)は台北の歴史を刻んでいる

2020-02-18 09:50:40 | 台湾
《手造の旅》台湾五日~日本とのかかわりに注目して旅する 第二回 四日目
故宮博物院から十五分ほどの場所だが通常の観光で訪れることはまずない。
一般道から急な階段が岩山の上に続いている↓

急な階段を下りてくる日本からの修学旅行生グループと出会った。
引率の先生に知識があって生徒たちを連れてきたのだろう、良い事だ。
日本統治初期にここでなにがあったのか、日本人はもっと知っておいてよい。

急な階段の代わりに、眺めの良い遊歩道を歩くと台北の街が見下ろせる↓

↓苔のはえたごつごつした岩の山

登りきると古い寺の新しい門

抜けたところに事件の記念館がある↓門との位置関係から考えると、ここに事件が起きた時のお堂があったのではないだろうか

1895年、日本の台湾統治がはじまった年に、この岩山の上にある古い寺を利用して学校が開かれた。
しかし、「教育を施す」とは日本からの見方で、現地に住む中国系・先住民系の人々にとっては「日本語の押しつけ」にしか見えなかっただろう。反感を先導する勢力がそそのかした暴徒は、翌年の一月一日に学校を襲撃し、六人の日本人教師が惨殺された。
「芝山巌事件」を追悼する記念碑は伊藤博文の文字が刻まれている↓

しばらくいくと殺された「六氏先生」の墓石も置かれている

近くに樹齢三百年と解説版があるガジュマロ↓この木も事件もみてきたはずだ

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岩山の上は尾根のようになっていて道が続く
ところどころで広場があり、地元のひとたちが体操をしていたりする

今回台北エリアのガイドをお願いした若手のガイドさんも子供の頃からよく遊びにきていたのだそうだ。
「崖の下の林に落としたボールがまだあるかもしれません(笑)」
時々、お堂がある。台湾には神様がたくさんおられますゆえ。


芝山巌は地質学的にも古い岩山で、川の氾濫に遭わず、安全な砦をつくるのにちょうどよい。
日本統治のずっと以前、唐時代から漢民族の台湾進攻にも使われていた場所だった。
★陳元光は唐の第三代高宗帝(位649-688)の時代に漢民族の南方制覇を先導した軍人だった。
同じく軍人だった父の陳政の元で十三歳から鍛えられ、十八歳で科挙試験にも受かった文武に秀でた人物。
彼がこの山に砦を築いた跡が今でもみられる↓

七世紀の砦の城壁か…復元はしてあるにしても

少し降りたところにある大きな寺には陳元光が乾隆帝時代から呼ばれていた「開漳聖王」という名前で祀られている。
大陸の福建省エリアとこの台湾島を唐の支配下に組み入れた「神」となる。

ただいま一部修復中


***
木々のあいだからは故宮博物院ちかくの軍関係オフィスのあるエリアが見える。

木立の中に時々見えるコンクリートの建物が気になった

「これは国民党時代のものです。蒋介石の別荘がこの下にあったので、軍人さんがいたのをおぼえていますよ。」

芝山巌は現代でも戦略的立地にあると言えるのだろう。

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