紀元後117年の即位、その翌年には建設をスタートして、在位中の約二十年間ずっとつくり続けられていたハドリアヌス帝の壮大な邸宅跡。
帝国の領土をくまなく視察旅行したその記憶が、いろいろな場所に生かされている。なかでもエジプトの運河・ナイル川がイメージのもとになっているこの池=「カノプス」が写真映えするのでよく知られている↓
池の周りを列柱がかこむ回廊になっていたのだ。
***今朝はティボリ郊外にある元修道院のあった場所にあるホテルで目覚めた⇒このホテルの前庭も、スケールはずいぶん小さくなっているが「カノプス」をイメージしていたのだ↓
ホテルのすぐ前からの眺め、ティボリの旧市街が朝陽に輝いている↓
バスで十五分もいくとティボリの街に出る。ピッコローミニ家のものだった城跡がある↓
全体は120ヘクタールと言われるけれど、その中で見学可能に発掘・整備されているのは三分の一程度↓
まずは、上の写真で一番目立つ構造物・長辺二百メートルに及ぶ回廊で囲われていた「ポイキレ」へ。
外側が今は日陰 日向部分の内側の壁上部には、もともと木製の梁があったと思われる穴がある↓
この壁が囲んでいる人工池
離れて振り返った時。池の下部が人造の基礎になっているのがはっきりわかった↓ここは「百の部屋」と呼ばれる、使用人たちの使っていた小部屋がたくさんあつまっていたのだそうだ。古代ローマの土木技術にはいつも驚かされる↓※写真奥の部分
そこから地下に掘り込まれた道が続いているのが分かる↓※下写真手前の深み
上の写真で向こう側に見える白い基壇は、2003年に発掘された。
ハドリアヌス帝の愛した美少年アンティノーに捧げた神殿がここにあった。現在はローマ市内・ポポロ広場上ピンチョの丘に立つオベリスクはもともとここにあったもので、そこには「アンティノーここに眠る」と象形文字で刻まれている。 ゆえに、アンティノーの墓もあるのではないかと探されたのだが、見つかっていない。★下の写真はヴァチカン美術館のハドリアヌス帝胸像(右)と、アンティノー胸像(左)↓
****
使用人や馬車の通用路だった溝が、皇帝居住区(写真で手前方向)の下まで続いている↓
ここから内廷に向かう道に、浴場がふたつある↓上の穴から蒸気が出ていくようになっていた穴↓
最初に紹介した★「カノプス」が見えてくる
***次から次へ、これでもかと建物群が続く・・・
こちら、もうひとつのテルマエ=★大浴場の跡↓
建物外に、サッカーに似た古代の球技が行われていたというモザイク張りの小グラウンド⇒
●「ペスケリア」と言う名前がついた噴水の周りの歩道↓
★「パラッツォ・ドーロ」=黄金宮殿↓
現在の姿↓
復元図↓
オリジナルのモザイク床↓
●「図書館」と呼ばれている部分↓
棚がたくさんみつかったので、ここに巻物だった書物が所蔵されていたと想像されている。ラテン語とギリシャ語と別れていたと・・・これらはほんとうに仮説なのだけれど、ガイドブックに載ってしまうと、そのまま真実のように認識されてしまう。
●「海の劇場」は修復中でクローズ。跳ね橋を上げれば外と隔絶した世界になるようにつくらせた、水の上の円形の場所、とされている。復元図がこれ⇒ 壁だけ見えました(T_T)
さらに、丘の上に位置する●ヴィーナスの神殿↓
あまりに広大な、ハドリアヌス帝の夢の跡でありました。