旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

トロワ街歩き~ラシ館(外観)、聖パンタレオン教会

2023-02-09 11:55:15 | フランス
ユダヤ人が多いのは中世商業都市の常。ラビのラシ(Rabbi Chlomo ben Itzhak(イサクの息子ソロモン) HaTzarfati(フランスの))は、1040年に トロワに生まれ、今のドイツに位置するマインツとウォルムスで学び、30歳前にはトロワにもどってユダヤ教の学校を開き、ヨーロッパ中から生徒がやってきた。※ラシ館の英語サイトにリンクします

今もここに学校があり、シナゴーグがあり、ミュージアムとしてガイドツアーも行っているのはラビ・ラシ師の存在に寄る。

しかし、晩年には十字軍運動がはじまり(1095年にフランス中部クレルモン(現クレルモンーフェラン※2018年に訪れた時のブログにリンクします)近隣都市のユダヤ人たちへの迫害がはじまっていた。
誰かの正義感が、他の誰かの災いになることはいつの時代にもある。

予約すれば二時間の見学ツアーもあるようだ。
トロワのガイドさんによれば、アメリカからのユダヤ人たちが多く見学に訪れるそうな。



↑改修中の路地を通った↑木造の建物の入口がなぜ高い位置にあるのか?

↑中世の路地は家々から投げ捨てられる汚物がいっぱいで、時にぬかるんで、とても不衛生だったとされる。それらが家の中に入らないようにしていたのではないかしらん。

↑修復中の家の内部が覗けた。
路地を抜けて広場にでると

19世紀に爆発的に拡大した繊維産業に融資するために進出したリヨン銀行※リヨンも繊維(主にシルク)産業で栄えた
**
聖パンタレオン教会は高さ28メートルになる木造の天井が印象的↓

この場所にはかつてシナゴーグ(ユダヤ教会)があったとされるが、十字軍運動の迫害で没収・破壊されたと推察されている。1189年には木造のキリスト教会の記録がある。1500年代はじめに石造りに代えられていった途上、1524年にトロワの大火に遭う。1527年に周囲の土地を購入してより大きな教会として1570年に現在に近いカタチになった。

この教会は周囲に住む裕福な繊維業者の寄進によって支えられていて、特にポーランドから移住してきた職人たちも住んでいた。彼らのためにポーランド語のミサを行ってきたし↑今も目の前にポーランド領事館の旗が出ている。

内部、イタリアからの影響をより強くうけた↑動きのありすぎる彫刻

中央祭壇の直立な聖パンタレオンと対照的。

「グリザイユ」と呼ばれるステンドグラスは↑「新しいステングラスのスタイル」と解説されているが、実はより安価にステンドグラスを製作できるように多彩な色ガラスをつくる代わりにガラスの上に描く方法がとられている。

入って右手二つ目の柱にあるリアルな彫刻。
↓皮職人の守護聖人=聖クレパンと双子の聖クレピアン↓3世紀にローマから布教にやってきた靴職人。
皮を切っている作業場に、今しもローマの兵士が乱入して捕まえられるところ↓



↑机の下の犬も怖がっている↑

↑彫刻の下に腕の折れた天使像↑花輪には何が書かれていたのか?
推察だが↑天使たちの下の空白部分にはかつて裕福な皮職人か商人の墓か記念プレートがあって、フランス革命あたりに破壊されたのではないかしらん。

↑近くの二階から見ている二人はユダヤ人だとされる↑


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