↓これは13世紀半ばから建設がはじめられ19世紀にこの正面が完成した「昇天の聖母大聖堂」、まごうことなきゴシック様式↓
しかし、この場所には今見えている教会以前にロマネスクの聖堂があった。
ローマ法王ウルバヌス二世は1095年の11月、教会横の広場で「神がそれを求めておられるDeus lovult」という言葉でエルサレムを奪回することを鼓舞し、最初のひとりとしてル・ピュイのアデマール司教が法皇の前に跪いた。それを記念する銅像が置かれている↓
ローマでキャリアを積んだとはいえもともとフランス人の彼は、群衆にフランス語で語ったのか?ラテン語だったのか?
この丘には、実はウルバヌス二世が演説をした12世紀よりずっと以前に、古代にはギリシャ・ローマの神殿があったとされている。
教会正面からまっすぐ続く参道の先には温泉が湧きだす山があり、そこにもかつて神殿があった跡が発見されている↓
古代から参道だった道なのだ
**中世の面影が残る旧市街の細い道を丘の北側へおりてゆく
かつて市場や倉庫があったとされるエリアにその名前にちなんでle port=portus(ラテン語)と名付けられた聖母教会がある。
※現地解説リーフレットより
地下にウルバヌス二世の時代の姿を留めている教会がその「ノートルダム・デュ・ポール教会」↓
丘から北に降りてゆくと、表通りの無個性な壁の後ろに突然その姿が見えた↓
周囲が火山の黒い石ばかりでつくられた街並みで、この教会だけが明るい砂岩でできている↓
ガイドさんの解説によると、12世紀当時にはまだ黒い火山の石を建材に使っていなかったのだそうだ。
黄金の石と呼ばれる「アルコース」という石はクレルモンから30キロメートルほど離れたモンペイルーの石切り場から採掘された。
※現地案内リーフレットより
↓下の写真で左側の四角い塔だけは後代に付け加えられた部分なので火山性の石を使っている↓
近づくとはっきり違いがわかる↓
黒い火山性の石はしかし、12世紀当時にも装飾には利用されていた↓後陣部分の幾何学的な模様は真っ黒↓
真後ろから見上げる↓
↓横側に開いているメインの入口の彫刻↓かなり壊されていはいるが物語がよみとれる
かつては後代に付け加えられた建物や装飾があったのだが↓20世紀半ばにとりはずされ、修復された。
1841年のスケッチが下↓後づけの構造がロマネスク構造を埋もれさせていたのが分かる↓
内部は重厚で少し薄暗いロマネスク雰囲気。ただ、奥には窓が多く開けられていて入口から入った人が自然に主祭壇の方向へ導かれる気持ちになる↓
注目すべきはオリジナルの形を保っている柱頭彫刻群↓入り口はいったところの柱にはまだ閉じられた聖書が積まれている装飾↓
奥には聖書物語が展開されている↓
イブが左側の蛇から禁断の実を勧められ、アダムも食べております↓
↓エリザベツのマリア訪問↓
たくさんの人間性への警句も見られる↓この猿のような人物は何?↓
※こちらに解説しました
↓これは何をしている?
この人物は「怒り」そのものを擬人化したもの。自分自身を殺している。
「そうだよなぁ、怒りというのは結局自分自身をも殺してしまう感情だよね」
中世の人々も同じように感じて見ていたにちがいない。
↓すぐ横では、右側の獣じみた「強欲」が左側の正義の戦士「慈善」と戦っている↓
↓このように気前よく寄進した人物なのか?ステファノという名前が分かる人物がこの教会そのものを表すと思われる柱を捧げている様子↓
地下聖堂はもっと古い時代からのものだろう。ここはウルバヌス二世の時代にも同じような感じだったのかもしれない↓
↓安置された「黒い聖母」は18世紀にクルミ材でつくられもの。中世からあった「黒い聖母」はフランス革命の時に失われてしまった。
中央に今も泉が湧き出している↓「聖所」というのはどんな宗教においても自然の恵みを与えてくれていた場所につくられることが多い。「神」とは自然の別の名前なのかもしれない。
****
丘の上は水の供給が難しい。古代ローマ時代には上水道があったそうだが、中世にはなくなっていた。
「昇天の聖母教会」の近くには16世紀にひかれた上水の終点である噴水があった↓
さらに百年ほど後につくられたもうひとつの噴水↓
*****
「昇天の聖母大聖堂」の内部も少しみておこう↓
ロマネスク時代の痕跡はほとんど、ない。
↓フランス革命時代に壊されたゴシックの彫刻が行き場を失くしてこんなかたちで並んでいる↓
むしろ、ごく最近にデザインされたと明らかなこういうステンドグラスが美しかった↓
*****
夕飯はホテルのとなりのカフェにて、ワン・ディッシュの食事↓
タルタル・ステーキとは↓日本では出せない生肉ユッケのようなステーキ↓
これ、いろんなスパイスが混ぜ込んであって実においしいのです。
今日のはすこし表面が焼いてあった。
サーモンのタルタルステーキもありました↓
オーヴェルニュ地方らしくチーズとポテトを混ぜた地元料理↓「トリュファード」とにかく量が多いです↓
しかし、この場所には今見えている教会以前にロマネスクの聖堂があった。
ローマ法王ウルバヌス二世は1095年の11月、教会横の広場で「神がそれを求めておられるDeus lovult」という言葉でエルサレムを奪回することを鼓舞し、最初のひとりとしてル・ピュイのアデマール司教が法皇の前に跪いた。それを記念する銅像が置かれている↓
ローマでキャリアを積んだとはいえもともとフランス人の彼は、群衆にフランス語で語ったのか?ラテン語だったのか?
この丘には、実はウルバヌス二世が演説をした12世紀よりずっと以前に、古代にはギリシャ・ローマの神殿があったとされている。
教会正面からまっすぐ続く参道の先には温泉が湧きだす山があり、そこにもかつて神殿があった跡が発見されている↓
古代から参道だった道なのだ
**中世の面影が残る旧市街の細い道を丘の北側へおりてゆく
かつて市場や倉庫があったとされるエリアにその名前にちなんでle port=portus(ラテン語)と名付けられた聖母教会がある。
※現地解説リーフレットより
地下にウルバヌス二世の時代の姿を留めている教会がその「ノートルダム・デュ・ポール教会」↓
丘から北に降りてゆくと、表通りの無個性な壁の後ろに突然その姿が見えた↓
周囲が火山の黒い石ばかりでつくられた街並みで、この教会だけが明るい砂岩でできている↓
ガイドさんの解説によると、12世紀当時にはまだ黒い火山の石を建材に使っていなかったのだそうだ。
黄金の石と呼ばれる「アルコース」という石はクレルモンから30キロメートルほど離れたモンペイルーの石切り場から採掘された。
※現地案内リーフレットより
↓下の写真で左側の四角い塔だけは後代に付け加えられた部分なので火山性の石を使っている↓
近づくとはっきり違いがわかる↓
黒い火山性の石はしかし、12世紀当時にも装飾には利用されていた↓後陣部分の幾何学的な模様は真っ黒↓
真後ろから見上げる↓
↓横側に開いているメインの入口の彫刻↓かなり壊されていはいるが物語がよみとれる
かつては後代に付け加えられた建物や装飾があったのだが↓20世紀半ばにとりはずされ、修復された。
1841年のスケッチが下↓後づけの構造がロマネスク構造を埋もれさせていたのが分かる↓
内部は重厚で少し薄暗いロマネスク雰囲気。ただ、奥には窓が多く開けられていて入口から入った人が自然に主祭壇の方向へ導かれる気持ちになる↓
注目すべきはオリジナルの形を保っている柱頭彫刻群↓入り口はいったところの柱にはまだ閉じられた聖書が積まれている装飾↓
奥には聖書物語が展開されている↓
イブが左側の蛇から禁断の実を勧められ、アダムも食べております↓
↓エリザベツのマリア訪問↓
たくさんの人間性への警句も見られる↓この猿のような人物は何?↓
※こちらに解説しました
↓これは何をしている?
この人物は「怒り」そのものを擬人化したもの。自分自身を殺している。
「そうだよなぁ、怒りというのは結局自分自身をも殺してしまう感情だよね」
中世の人々も同じように感じて見ていたにちがいない。
↓すぐ横では、右側の獣じみた「強欲」が左側の正義の戦士「慈善」と戦っている↓
↓このように気前よく寄進した人物なのか?ステファノという名前が分かる人物がこの教会そのものを表すと思われる柱を捧げている様子↓
地下聖堂はもっと古い時代からのものだろう。ここはウルバヌス二世の時代にも同じような感じだったのかもしれない↓
↓安置された「黒い聖母」は18世紀にクルミ材でつくられもの。中世からあった「黒い聖母」はフランス革命の時に失われてしまった。
中央に今も泉が湧き出している↓「聖所」というのはどんな宗教においても自然の恵みを与えてくれていた場所につくられることが多い。「神」とは自然の別の名前なのかもしれない。
****
丘の上は水の供給が難しい。古代ローマ時代には上水道があったそうだが、中世にはなくなっていた。
「昇天の聖母教会」の近くには16世紀にひかれた上水の終点である噴水があった↓
さらに百年ほど後につくられたもうひとつの噴水↓
*****
「昇天の聖母大聖堂」の内部も少しみておこう↓
ロマネスク時代の痕跡はほとんど、ない。
↓フランス革命時代に壊されたゴシックの彫刻が行き場を失くしてこんなかたちで並んでいる↓
むしろ、ごく最近にデザインされたと明らかなこういうステンドグラスが美しかった↓
*****
夕飯はホテルのとなりのカフェにて、ワン・ディッシュの食事↓
タルタル・ステーキとは↓日本では出せない生肉ユッケのようなステーキ↓
これ、いろんなスパイスが混ぜ込んであって実においしいのです。
今日のはすこし表面が焼いてあった。
サーモンのタルタルステーキもありました↓
オーヴェルニュ地方らしくチーズとポテトを混ぜた地元料理↓「トリュファード」とにかく量が多いです↓