旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルーアンで散策とランチ

2024-10-06 17:08:13 | フランス
2024年9月30日、午後はルーアンにちょっと寄る。

バスを降りて歩きはじめると「きれいな街ねぇ」という声がきこえてきた。

ノルマンディー地方らしい木組みの家々と旧市街の街並み。

モネが連作を描いた大聖堂↑
※2008年にモネが描いた場所にもはいりました
夏場には壮大なプロジェクションマッピングが行われているので、次回はぜひ一泊してください(^-^)
※2015年のプログに写真を載せています、ぜひごらんください
↑上の写真の大聖堂は何百年もかかって今の姿になったのでいびつなカタチをしているが、
↓下の写真のサン・マクルー教会は1437年から八十年ほどで完成したので整った後期ゴシック様式で統一感がある。

この場所にあったロマネスク様式の教会を、15世紀に近くに住んだ商人たちが後援して当時最新の建築スタイルに建てなおした。
フランス革命期に内装はほぼ失われ、第二次世界大戦では二発の爆弾が命中したが、
15世紀当時の姿をとりもどしているのは幸い。
教会正面から左にすすむと「サン・マクルーの回廊」がある↓左手が入り口

↓この場所はローマ時代から中世まで墓地で、黒死病(ペスト)の犠牲者が大量に葬られていた。
↓1348年にはルーアンは人口の四分の三を失くしたという。

1533年に周りを囲む木造の建物が完成し中庭のある納骨堂となった。

なので↑骸骨や墓堀道具の装飾がされている

↑※こちら2006年訪問時の写真
建物入り口壁の中から発見された黒猫のミイラが今もそのまま置かれている↓

魔除けだったとされている。

18世紀には一度廃墟になり、孤児院にもなったそうだが、今は美術学校として使用されている。

↑ふたたびサン・マクルー教会と大聖堂横の道を通り「古い市場広場」へ。

ジャンヌダルクが火あぶりで処刑された広場に↑モダンな教会が建てられている↑1979年に完成した

↑この十字架がその場所↓

↓教会内部が開いている時、2008年に入った↓

13枚のステンドグラスは16世紀聖ヴァンサン教会を飾っていたもの↓

聖ヴァンサン教会は1944年の爆撃で破壊されてしまったがステンドグラスは外してあったので難をのがれた。
ステンドグラスは戻る場所を失ったのである。

新しい教会はこれらのステンドグラスの場所としての意味が大きい。
教会のカタチはノルマン人たちの「竜」をイメージしていると共に、ジャンヌダルクの兜もあらわしているそうな↓

↑これは確かに目ですね↑※2008年の写真より↓

旧市街のど真ん中にあっとおどろく現代建築の教会。
1980年ごろにはこれでOK、だったのかもしれません…

昼食はジャンヌダルクが火刑に遭ったときから営業していたとされる「ラ・クーロンヌ」

数多くの有名人のサインが掲げられているが

入り口の故エリザベス二世イギリス女王は別格。

パンプキンが主体の暖かい野菜スープ、カモはノルマンディーらしいカラメルソース、ミルフィーユ。
このレストランは団体客を受け入れても質を落とさない稀有な有名レストランにちがいない。
※2012年に訪れた時のブログにもメニュー写真を載せております
コメント
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