最初の一音から聴衆を魅了するホール
二年前にいちばん後ろのこの席で聴いた時も↓※2018年1月
↓この席で聴いた今回も
同じように「届く」音楽を楽しめた。
●一曲目 シュトラウス「オーボエ協奏曲」
モーツァルト的に、のびやかで明るい曲調。
オーボエの旋律のうしろから聞こえてくるカウンターメロディがよくきこえる。
バイオリンはもちろんだが、その下で地味になりがちなヴィオラの音がくっきりむりなく聴こえる。
1945年に作曲されたものだけれど、18世紀の宮廷で演奏されても無理のないオーソドックスな美しさがある。
●二曲目 ベートーベンのオラトリオ「オリーブ山上のキリスト」
題名からもわかるように最後の晩餐の後に弟子たちをつれて近くの小高い丘・オリーブ山にのぼった時の「ゲッセマネの園」でのエピソードを詩にしている。
もちろんドイツ語。なので聴いていても理解できない。
字幕が同じくドイツ語で出ているが、読めない。
音楽の力は感じられるが、歌詞のあるものについては言葉を理解できるかで楽しめる度合いが大きくちがってくる。
コンサート・マスターの樫本氏のファーストヴァイオリンのぐいぐいひっぱっていく様も見ものだった。
会場で無料配布されているA4の簡単な英語解説がおもしろい(^.^)↓
有料のコンサートパンフレットよりも書き方が自由で、音楽家の人柄や歴史的背景から解説されるストーリー。
「若きベートーベンと老年のシュトラウス~それぞれのゲッセマネ」と副題がつけられている。
「ゲッセマネ」とは「困難な時期」の比喩である。
●八十歳をすぎたリヒャルト・シュトラウスは祖国ドイツ(ナチス・ドイツ)が壊滅した1945年の10月、スイスに居た。
ナチス政権下で音楽監督までやっていたので戦犯容疑がかけられていたシュトラウス。
従軍していた24歳のアメリカ人オーボエ奏者ジョン・デ・ラーシンが彼を訪ね「オーボエのための曲をかいてもらえませんか」と頼んだ。
戦勝国だが若造音楽家の頼みを、シュトラウスは言下に断ったが、モーツァルト風の楽器用曲を書くのが好きだったので、一月ほどで書き上げてしまう。
初演は1946年チューリッヒにて。オーボエはマルセル・タブトウ。きっかけをつくったアメリカ人に演奏の機会はまわってこなかった。
●三十三歳のベートーベンは「オラトリオ~オリーブ山上のキリスト」上演日当日の朝までトロンボーンパートに手を入れていた。
リハーサルは当日の朝八時から午後までかかった。
初演はウィーンのアン・デア・ウィーン劇場(※後にはミュージカルを上演する劇場となり「エリザベート」もここで初演された)。
三年前に書かれたばかりの協奏曲一番、そして協奏曲第二番、ピアノコンチェルト三番、までが同日に演奏された。
ベートーベンは指揮をしピアノも弾いたのだから、実に圧巻のコンサートだっただろう。
入場料は当時の普通のコンサートの三倍とったことが話題となった。
ベートーベンはしかし、この当時すでにかなりの難聴に陥っており、前年には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いている。
「オラトリオ」はその後少なくとも二回はスコアを大幅に書き直された。
ベートーベンがこの曲に生涯課題を抱えていたのがわかる。
今日の演目は
八十歳を超えたシュトラウスがノスタルジックにさっと書き上げた曲と、
三十歳そこそこの若きベートーベンの壮大な挑戦曲、だったのか。
音楽といえどもただ音楽を楽しむだけでは不十分な時がある。
背景を自分なりに理解して聴くことは大切だ。
二年前にいちばん後ろのこの席で聴いた時も↓※2018年1月
↓この席で聴いた今回も
同じように「届く」音楽を楽しめた。
●一曲目 シュトラウス「オーボエ協奏曲」
モーツァルト的に、のびやかで明るい曲調。
オーボエの旋律のうしろから聞こえてくるカウンターメロディがよくきこえる。
バイオリンはもちろんだが、その下で地味になりがちなヴィオラの音がくっきりむりなく聴こえる。
1945年に作曲されたものだけれど、18世紀の宮廷で演奏されても無理のないオーソドックスな美しさがある。
●二曲目 ベートーベンのオラトリオ「オリーブ山上のキリスト」
題名からもわかるように最後の晩餐の後に弟子たちをつれて近くの小高い丘・オリーブ山にのぼった時の「ゲッセマネの園」でのエピソードを詩にしている。
もちろんドイツ語。なので聴いていても理解できない。
字幕が同じくドイツ語で出ているが、読めない。
音楽の力は感じられるが、歌詞のあるものについては言葉を理解できるかで楽しめる度合いが大きくちがってくる。
コンサート・マスターの樫本氏のファーストヴァイオリンのぐいぐいひっぱっていく様も見ものだった。
会場で無料配布されているA4の簡単な英語解説がおもしろい(^.^)↓
有料のコンサートパンフレットよりも書き方が自由で、音楽家の人柄や歴史的背景から解説されるストーリー。
「若きベートーベンと老年のシュトラウス~それぞれのゲッセマネ」と副題がつけられている。
「ゲッセマネ」とは「困難な時期」の比喩である。
●八十歳をすぎたリヒャルト・シュトラウスは祖国ドイツ(ナチス・ドイツ)が壊滅した1945年の10月、スイスに居た。
ナチス政権下で音楽監督までやっていたので戦犯容疑がかけられていたシュトラウス。
従軍していた24歳のアメリカ人オーボエ奏者ジョン・デ・ラーシンが彼を訪ね「オーボエのための曲をかいてもらえませんか」と頼んだ。
戦勝国だが若造音楽家の頼みを、シュトラウスは言下に断ったが、モーツァルト風の楽器用曲を書くのが好きだったので、一月ほどで書き上げてしまう。
初演は1946年チューリッヒにて。オーボエはマルセル・タブトウ。きっかけをつくったアメリカ人に演奏の機会はまわってこなかった。
●三十三歳のベートーベンは「オラトリオ~オリーブ山上のキリスト」上演日当日の朝までトロンボーンパートに手を入れていた。
リハーサルは当日の朝八時から午後までかかった。
初演はウィーンのアン・デア・ウィーン劇場(※後にはミュージカルを上演する劇場となり「エリザベート」もここで初演された)。
三年前に書かれたばかりの協奏曲一番、そして協奏曲第二番、ピアノコンチェルト三番、までが同日に演奏された。
ベートーベンは指揮をしピアノも弾いたのだから、実に圧巻のコンサートだっただろう。
入場料は当時の普通のコンサートの三倍とったことが話題となった。
ベートーベンはしかし、この当時すでにかなりの難聴に陥っており、前年には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いている。
「オラトリオ」はその後少なくとも二回はスコアを大幅に書き直された。
ベートーベンがこの曲に生涯課題を抱えていたのがわかる。
今日の演目は
八十歳を超えたシュトラウスがノスタルジックにさっと書き上げた曲と、
三十歳そこそこの若きベートーベンの壮大な挑戦曲、だったのか。
音楽といえどもただ音楽を楽しむだけでは不十分な時がある。
背景を自分なりに理解して聴くことは大切だ。