タオルミナの朝、もともと修道院だったホテルの庭からは海とエトナ山が見晴らせる
朝食はテラスで午前八時過ぎ、まだ観光客であふれるまえのタオルミナの中心街 オープンしたばかりの古代劇場から、朝の光に照らされた比類なきタオルミナの絶景がひろがった。
劇場のすぐうしろに活火山エトナ。ここが噴火したらステージになんか目がいかないだろう。タオルミナの最大のスターだ。
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右にイタリア本土を遠望しながら一時間ほど北へ走ると、海峡の街メッシーナである。
ここの博物館見物はアントネッロ・ダ・メッシーナとカラヴァッジョの絵画だ。
★アントネッロ・ダ・メッシーナはイタリアに油絵技法を伝えたという人物。ダ・ヴィンチよりも二十歳ほど年長だったとされる。
この祭壇画細部に15世紀フランドル絵画的な技巧の極致を感じることができるだろう。
上の祭壇画の一部、中央パネルの聖母マリアの裾部分を下に載せます↓↓
★カラヴァッジョ作品は二つある。シラクーサで見た「聖女ルチアの埋葬」が遠すぎてよく感じられなかったのに比べ、こちらはまさに目の前に、柵もなにも無しで展示されている。フランス人の団体が長々解説をうけていたが、いなくなるとひっそりした。
カラヴァッジョがメッシーナに滞在したのは、マルタ島から逃亡した後の1608-9年。
左の「ラザロの復活」について、カラヴァッジョらしい逸話が伝わっている。現在に伝わるこの作品以前に、別のヴァージョンが制作されていた。が、注文主が完成品を見てちょっと不満な点を指摘すると、カラヴァッジョはやおらナイフを振りかざして、荒っぽく絵を切り刻んでしまった。「あっけにとられている客を前に、興奮がおさまると彼は、すぐに満足のいく別の絵を仕上げるから心配しないように、と言った」と、同時代の人物が記録している。
この時期、自分が怪我を負わせた高位のマルタの騎士からの刺客におびえていたと分析する研究者もいる。
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メッシーナの街は、エトナ火山の噴火で何度も被害にあっている。現在みられる大聖堂も、一見古く見えるが、古い聖堂の材料をふたたび利用して再建している。鐘楼などは1933年の建設
この鐘楼の仕掛け時計はストラスブール大聖堂の天文時計を制作したのと同じ業者が制作したものだそうだ。この種のものとしてはもっとも大掛かりな動きをする。ライオンがぐぉ~っと吠えたりニワトリが鳴いたり…まぁ、そんな感じなので、小松としてはユーチューブで見ておけば充分と思わないでもなかったが(笑)、ひとつだけ特筆すべきなのは、メッシーナの歴史を表すシーンもちゃんと織り込まれていること。
メッシーナは現トルコ領のエフェソスに住んでいた聖母マリアから手紙をもらったというのだ。これが街のひとびとの誇りになっている。仕掛け時計でメッシーナ市のキリスト教徒からの手紙を、天使がマリアに渡し、それに対しての返信をマリアが託すシーンが出てくる。
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昼食はB級グルメの立ち食いにてめずらしい日本人ということで、サービスしてくれたお菓子黒く見えるのはオレンジで、砂糖ドーナツがより引立ちます。
中心のカフェで休憩、壁には大きく本土との間に橋が架けられた図が描かれている。ほんとにこういう橋が出来る日がくるのかしらん
★今回の旅で、小松がいちばん見たいもの、レッジョ・カラブリアの博物館に所蔵されている「リアチェの戦士」
比類なき、紀元前四世紀に製作されたという古代のブロンズ彫刻二体である・・・次の日記へ続く・・・