朝、イスタンブルを出て西へ。ギリシャとブルガリアの国境に近いエディルネへ向かう。いつも思うのだが、トルコのドライブインは食べ物が充実している。スナックというにはもったいないメニューをちゃんとその場で調理してくれる。昼のバッフェはもう十分なレストランだ。今朝はお茶だけね。
エディルネを代表するのは、昨年世界遺産にも登録されてしまったセリミエモスク。これでまた観光客は増加することだろう。
セリミエモスクから歩いてすぐのところに、かつてのキャラバンサライがある。スレイマン大帝の臣下だったソコルル・メフメット・パシャがつくらせた建物。今はホテル。こんばんはここを宿にした。
郊外にあるもうひとつの見所「バヤズィット二世の医療コンプレックス」を見学に行く。ここは十六世紀の病院であり、医学学校であった場所。モスクとともに病院棟、学校棟がある。バヤズィット二世の胸像はだいぶん後から置かれたもの。※ここについてはまたあらためて書きます。
一角で伝統工芸「マーブル紙」の実演をやっていた。※これについてはここにもう少し詳しく書きました。
十五世紀の大宮殿は今や廃墟となっている。
エディルネはトルコ相撲のメイン会場となっている。歴代名横綱の像が立ち並ぶ。
街へ戻り、ちいさなエディルネ考古学博物館を見学した後、いよいよセリミエモスクへ。
ここはやはり圧倒的に美しい空間だ。百年少し前に建設されたエスキ(古い)モスクと比べて圧倒的に明るい。※エスキ・モスクに関してはこちらに書きました。
有名な「逆さチューリップ」の彫刻は、中央の泉の一角にある。以前来た時には真っ黒でカバーもされていなかったが、今回はこのとおり真っ白に洗われていた。
エディルネのビザンチン=東ローマ帝国時代の名前はアドリアーノポリ。五賢帝のひとりハドリアヌスにちなんでいる。この時代の名残は、このマケドニアの塔。
夕食はこの街の名物・レバーフライと豆のスープ、サラダ、肉の盛り合わせであります。
エディルネを代表するのは、昨年世界遺産にも登録されてしまったセリミエモスク。これでまた観光客は増加することだろう。
セリミエモスクから歩いてすぐのところに、かつてのキャラバンサライがある。スレイマン大帝の臣下だったソコルル・メフメット・パシャがつくらせた建物。今はホテル。こんばんはここを宿にした。
郊外にあるもうひとつの見所「バヤズィット二世の医療コンプレックス」を見学に行く。ここは十六世紀の病院であり、医学学校であった場所。モスクとともに病院棟、学校棟がある。バヤズィット二世の胸像はだいぶん後から置かれたもの。※ここについてはまたあらためて書きます。
一角で伝統工芸「マーブル紙」の実演をやっていた。※これについてはここにもう少し詳しく書きました。
十五世紀の大宮殿は今や廃墟となっている。
エディルネはトルコ相撲のメイン会場となっている。歴代名横綱の像が立ち並ぶ。
街へ戻り、ちいさなエディルネ考古学博物館を見学した後、いよいよセリミエモスクへ。
ここはやはり圧倒的に美しい空間だ。百年少し前に建設されたエスキ(古い)モスクと比べて圧倒的に明るい。※エスキ・モスクに関してはこちらに書きました。
有名な「逆さチューリップ」の彫刻は、中央の泉の一角にある。以前来た時には真っ黒でカバーもされていなかったが、今回はこのとおり真っ白に洗われていた。
エディルネのビザンチン=東ローマ帝国時代の名前はアドリアーノポリ。五賢帝のひとりハドリアヌスにちなんでいる。この時代の名残は、このマケドニアの塔。
夕食はこの街の名物・レバーフライと豆のスープ、サラダ、肉の盛り合わせであります。