旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

山形へ

2015-03-19 09:57:34 | 日記
2016年春の《手造の旅》山形企画のための一泊二日
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新幹線の窓をたたく雨音が心地よくてすぐに寝入ってしまった。
いくつかの駅をぼんやり覚えているが、眠気がすっかり落ちたのは福島駅。

「これからトンネル区間が続き、電波の受信状態が良くない区間にはいります」と車内アナウンスがはいる。
雨は止んでいる。低い雲の上に雪をかぶった山が見えてはっとした。


そして新幹線がトンネルを出ると、ちょっとどころではない雪が風景をがらりと変えた。

畝に縞模様になった雪が美しい。

これまでも東北を訪れた事はあったが、もっと暖かい観光シーズンだけ。
そうか、これが東北なのだ。三月とはまだまだ雪の季節なのか。


大阪と兵庫で生まれ育ったせいだろうか、三月に雪がいっぱいだという意識がぜんぜんなかった。
いくらニュースで報道されていようと、「知らない」というのは、そういう事なのである。

17:46山形へ到着。
思ったよりも寒くはなくてほっとする。
今日の泊はワシントンホテル山形駅西口。駅から直結している高いビルの19階から24階がホテルとしてつかわれている。ワシントンホテルは七日町の方にもあったが、地元にお住まいの方がこちらを勧めてくれた。実際、行ってみると確かにこちらの方が新しく気の利いたつくりになっている。
24階がフロントになっていて、「夜景が楽しめる」とホームページに書いてあった。

チェックインしてすぐに東口から七日町へ向かう。
六年前にフランスの旅でご一緒した方とお会いすることになっている。

そのお二人がえらんでくださったのは「東京天國」というてんぷら屋さん。
歴史を感じさせる店構えの二階でおちついた
※この店の話をもう少し⇒こちらに書きました

夕食後にいただいた榮玉堂のどら焼き。
ふわふわクリームの、はっとさせられる美味しさだった。


*****
翌朝、24階の朝食レストランからの眺め夜景はさほどでもなかったが、たしかに見晴らしはよい。四角い堀にかこまれた一角がかつての城であることはすぐわかった。

調べてみるとあの掘割の中に博物館がある。
朝食をゆっくり食べていたので09:45発の仙山線には間に合いそうもない。次の列車までは一時間ある。よし、この時間に「縄文の女神」を見に行こう。

さっと歩き出して十分で到着。入口に等身大に拡大された「女神」が置かれている「あまり時間がないのですが…」と入口で話すと、まよわず「あ、それでは二階の二号室をご覧ください」と教えてくれた。

ひっそりした博物館をどんどん奥まで歩いてゆく。
だれもいない「国宝展示室」に写真で見慣れた「女神」が鎮座している。しかし、この像、正面から見ているだけではその魅力があまり伝わってこない。
デフォルメした造形がとても現代的で印象的ではあるが、美しかと訊かれると即答できない。

斜め前からの図、ポスターにもなっている。だが、これでも、それほど魅力的な造形ではない、と思った。

だが、ゆっくりうしろへ回り込んでいくと、いっきに見え方が変わった。

この背中から腰にかけてのライン。写実というのとは違うが、充分な美しさが込めてあるではないか。

思い出したのは、ルーブル美術館所蔵ドミニク・アングル作「グランド・オダリスク」美しい背中が大好きだったアングルは、あまりに好きすぎて、長く引き伸ばした背骨を創作してしまった。
発表した当時は「歪んでいる」とか「こんなポーズはとれっこない」とか言われて評価されなかったが、見たままに再現することが上質な表現にはならない。

「縄文の女神」を制作した人物が、アングルと同じように考えていたわけはないだろう。
それでも、この背中にこそ、この造形の魅力があると感じるのである

真後ろ近くから横から・・・ん~、やっぱり斜め後ろからがいちばん。

考古学的な面白さも満載。
使われている土にキラキラと光る雲母が混ざっているのは、数年前に諏訪湖畔・尖り石遺跡で見たこの「縄文のヴィーナス」と同じ。
こちらも現地で見てはじめてその魅力を理解できた。写真では分からないキラキラ光る雲母を含んだ土を素材に使うというアイデアは土偶を制作する時の定石だったのだろうか。

「ヴィーナス」が高さ27センチなのに比べ、「女神」は45センチとこの種のものとしてはいちばん大きい。
頭の部分に何かつけられていた穴があるのが分かる

たくさんの類似した破片が見つかり、まわりのショーケースに展示されている破片ではあるが、ひとつひとつが四千五百年前の誰かの手によってうみだされたと思うと興味深い。「縄文の女神」がこの種の土偶の頂点だというのが理解できる。すべて重要文化財指定となっている。



*****
復元された城壁の中は今でも発掘調査が続けられている。
江戸期に崩落した城壁の石が見つかって、それがこんなかたちで残されていた

この洋館建築は、明治十一年に「済生館」という病院として建築されたもの。宮大工が七か月で建て上げたそうな。現在は郷土資料館としてこの場所へ移築されている。内部も見て見たかったが、次の機会に。


・・さて、10:50発の仙山線に乗って、山寺へ向かおう。
翌日の日記に続く


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