
カバーは密林の中の遺跡だった

4㎢の面積に一万人が暮らしていた場所だという。
紀元後700年から1000年ごろをピークとし、その後はチチェン・イッツァの勢力下に入ったと推察されている。
※後半にもっと写真を載せます
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メキシコシティを飛び立つと広大な計画都市だというのがよくわかった↓

かつて湖だったという名残も、そう思ってみれば見える↓

ユカタン半島のメリダまで二時間弱のフライト↓

メキシコ国内には時差がないと思っていたが、ユカタン半島は年中サマータイムを実施しているので実質一時間の時差がある。

↓ユカタンの海岸線が見えてきた

メキシコシティ周辺の高地とちがって熱帯の森がひろがっている

空港の近くになり住宅街になってきた

飛行機を降りると、メキシコシティと五度以上は違う、そして湿度もある。
空港から南に位置するカバー、ウシュマル両遺跡に向かう道は

すぐにジャングルの中の一本道になった↓


カバー遺跡の周辺には店もなにもない。チケット売り場からいきなり石造りの階段がみえた


すぐよこにはマヤの人々が昔から住んでいる茅葺の住宅↓

向かい側に遺跡↓

神殿の前にはマヤの人々が神聖なものとかんがえた「セイバの木」が植えられている↓若木には棘がたくさんある

ふとみると・・・びっくりするほど大きなトカゲ!

だいじょうぶ、おとなしい(^.^)
急な階段をのぼり↓

テラスまで到着

彫刻でうめつくされたファサードが目の前にあらわれた


幾何学模様のように見えるが、巨大な顔の集まりだ↓丸い目とギザギザの歯。極彩色だった時にはもっと迫力があったにちがいない。

雨の神CHAAK(チャックともチャークとも発音されているようだ)
本来はぜんぶに象のような鼻があった↓一部だけに残っている↓

この鼻が雨を乞うていたのか。
ユカタン半島では水はとても貴重だったようで、雨水を溜める大規模な地下貯水槽も残されている↓

↓こんな仕組みになっているのだそうだ↓

「カバー」というのは現地の言葉で「強い手」という意味なのだそうだ。
その名前のもとになった石像が上部に残されている↓

↓確かに丸いおもしろいかたちをしている手↓

王の像だと言われている↓

↓顔には刺青↓

↑威厳ある表情に彫られている。刺青を含めた装飾は実際にこんなだったと思ってよいのではないだろうか。
