旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

座禅初体験

2018-02-04 09:56:49 | 国内
「源光庵の早朝坐禅、思いっきり寒いですが、行きませんか?」
以前から興味はあったが機会がなかった座禅、ついに体験する機会がやってきた。
二月の京都、朝六時二十分にホテルに迎えにきていただき、北大路を超えてあがってゆく。
「北大路通は東寺の塔と同じぐらいの標高で五十五メートルぐらい違うんですよ」
 寒さもそれだけ増すということか↓






はじめての人には十分ほど解説してくださる。
座禅の丸い座布にどのように尻をおろすのか、足はどう組むのか、警策(きょうさく)はどのようにしていただくのか~(肩にバシっといただく、あれです)

七時に始まるが少し前になると、顔なじみの常連さんがどんどん来られる。この座禅は檀家さんというより長年参加している方々が自主的にお世話をしているのだそうだ。厳しい作法も問われない気軽なもの。

最初に本堂で般若心経を唱える。
「お経は最初の音楽だ」という話をきいたことがあった。
なので、今まで御経を聴くときも四拍子を基準にしていたのだが、どうもしっくりこなかった。
今回、分かりやすい冊子を渡してもらい、文字を追いながら読んだ。
そして、お経は四拍子とか・何拍子とか、まったく考えないでつくられている事に気づいた。

お経はいわば漢詩。漢詩の文字数は四文字で切れるとは限らない。
意味によって五つになったり六つになったりする。
書かれた経典には意味があり、それを音読しているのがお経だということか。
息継ぎをするタイミングも、意味の切れ目にあった。
「お経は四拍子ではない」
これを理解できただけでも今日ここへやってきた甲斐があった(^.^)

暖かい部屋に入って身仕度。そこで皆が靴下を脱ぎだした。
これから凍てついた本堂で座禅を組むのに、裸足になるんですか?
夏には靴下があまり好きでなくなる小松だが…今朝は、脱いで冷たい廊下に一歩踏み出した瞬間に「靴下様」のありがたさがよぉっく分かった。

暖かい部屋を出た四十人ほど、作法通りに座布を持って左足から本堂へ入る。
それぞれの座る位置を決める。曹洞宗は達磨大師以来の「対壁」つまり壁に向かって座る。
足の裏を逆の膝上に組み上げるのが正式だが、小松は片方だけにした。
足を組むのが辛い方には、この座禅会では椅子も用意されている。

二柱(にちゅう)の間、じっとしていられる身の置き所を各自探して、各自ゆらゆら身体を揺らす。
※座禅の一単位は、線香が一本燃え尽きる時間とされ、「一柱(いっちゅう)」と呼ぶのだと知った。ここでの一柱は三十分。

やがてぽーんっと鐘が鳴らされ、一柱目がスタート。
足を組んだきつい体勢で自分はどれだけ耐えられる?
痛くて痺れて、ギブアップのサインをどう出したらよい?
そんなんで、「頭を空にする三十分、何もも考えない三十分。」が可能なのか?
と、いろいろ考えていたのだが、はじまってみると意外にも体勢自体は辛くはなかった。

周囲のいろんな音が聞えてくる。
くるぅる~、ぐるぅ~、
「お腹の鳴る音」というのは多様だ。今朝、ちょっとだけパンを齧ってきたので幸い自分のは鳴っていない様子(笑)
もぞもぞ身体を動かす音、背後を歩く僧の足音。ひととおりを感じ終わると退屈が訪れた。
耳が音を探している。そして、聞こえてきたのが、自分の心臓の鼓動だった。
規則正しく自分の中を流れていく血液の音。
さっき聴いたお経のリズムのような。
考えないという時間にはならなかったかもしれないが、それを飽きずに聴き続けていると
ぽーんっと鐘が鳴って一柱が終わった。
「あ、こんなに短かったんだ」と思った。

皆は一度立ち、冷たい畳の上を半歩ずつゆっくりと歩く。
気分をリフレッシュする、ということなのだろうか。

元の位置にもどり、二柱目がはじまった。
一柱目でちょうど良い体勢だったと思ったのに、今度はその位置がよく分からない。
もぞもぞと動く自分。氷のように冷たくなっていく印を結んだ親指の先。
足もさっきよりよほど辛く感じる。
心臓の鼓動がきこえるまでに至らず、終わってしまった。
今度は、ほっとした。

暖かい部屋に移動。
老子を中心に輪ができる。半世紀も月一度の座禅会を続けておられるのだという。
この人があって、この場がある。
「はじめての方」と問われて手を挙げ、ここに書いたような感想を簡単に話した。
お茶とお菓子をいただき、九時になって散会。

夜明け前凍てついたきびしい雰囲気だった境内に、今は光があふれている。

丸い「悟りの窓」の向こうに庭の緑がある↓


右隣に四角い「迷いの窓」↓

この二つの対比は、ルネサンスの幾何学的美しさと共通する。
幾何学的な美しさは古くならないのであります↓


丹精された庭がうしろにひろがっている。借景が現代でも何者にも邪魔されていないのはありがたい↓

きけば、その向こうはお墓なので何も建たないだろうとのこと。

この源光庵、観光場所として有名なのは
★「血天井」↓

関ヶ原の戦い前哨戦となった伏見城で自刃した鳥居元忠はじめとする徳川家家臣の血の跡。
徳川家康は忠義に報いるため「その血の跡を踏んではならない」としたので、天井板にされたのだそうだ。

コメント
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