旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

京都・丹後 下見三日目

2018-02-08 09:23:21 | 国内

明け方四時ごろだった。
「大雪警報がはつれいされております」と町内放送が夢うつつにきこえてきた。
明るくなって障子をあけると↓

今日は間人の集落を歩いておきたいと思っていたが、これではむずかしそうだ。
シンボルになっている「立石」も本番までとっておこう。

ゆっくり朝食を終えて、「とト屋」女将・池田さんとうちあわせ。
本番でカニをどのように味わっていただくのが良いか、値段とも相談しながら決めなくてはならない。

また、昨夜ひきあわせていただいた町歩き案内をしている亀田さんからもアイデアをいただいた。
3月後半の夕方、間人の路地を案内していただいてから夕陽の海岸に出られたらいいなぁ。

**十時に博物館が開いたら見学に行こう。
※丹後半島は日本一古墳が密集している場所だと、きのうはじめて知った

雪はまだまだ降り続いている。一歩外へ出ると…↓

車が半分雪に埋もれている。なんとか出発できるところまでかき分けて乗車。
「とト屋」も雪に埋もれそうだ↓

堤防のところまで出れば、除雪もされているだろう。がんばれ↓


五分も走らずに↓

「京丹後 古代の里資料館」に到着↓

こんな日には誰も来ないと思っているのでしょう。駐車場も雪でいっぱい。
職員の方のものらしき車はあるから、開館はしているようだ↓
ゆきで見えなくなった階段をのぼって入口↓


★京丹後 古代の里資料館
想像していたような「ほこりをかぶったショーケースが並ぶ博物館」などではなかった。
展示物はよく整理され、見学しやすいように並べられている。
はじめての場所ではしかし、解説が是非ほしい…
この時間お一人しか職員の方はおられなかったのだが、なんとなく案内してくださった↓
「いちばん見てほしいものはなんですか?」の質問に、
下の「女王の墓」をあげられた↓

古墳時代直前、弥生時代末期の二世紀後半から三世紀はじめごろの女性の墓
五十メートル弱の方形の丘の上に埋葬されていて、多くの蒼いガラス装飾が見つかった。
この被葬者を飾っていた部分の土地をきりとってそのままここに展示してあるのだ↓

単独で埋葬された高貴な女性?女王?

三世紀中ごろ、古墳時代がはじまると丹後には何百もの古墳がつくられていった。※大阪堺市の古墳群よりも百年程度早い
つまり、ちょうど卑弥呼の時代にあたる。
卑弥呼が魏に朝貢し、西暦239年(景初3年)に銅鏡百枚を下賜されたとする記述が「魏志倭人伝」にあるという。
その鏡かもしれない…とされる鏡が見つかっている↓

※ここに展示されているのはレプリカ
年号「青龍三年」と刻まれている。これは卑弥呼が鏡を賜る二年ほど前の年。

巨大な古墳の周りを囲っていた埴輪↓頭頂部が丸くなっているのが丹後型と呼ばれる↓

勾玉も多数↓

「舟に乗る人」が刻印された破片↓

この博物館と、すぐ近くにある「神明山古墳」は、是非解説付きで見学したい

出てすぐに「神明山古墳」の入口にある「竹野神社」↓

今日はとても行けません

****
博物館を出て天橋立方面へ向かう

風が降ったばかりの雪を巻き上げて煙の様だ↓


雪雲がとぎれて青空も見えるようになってきた↓


あ!古墳だ↓

「黒部銚子山古墳」百メートル×五十メートルの前方後円墳だった



*****
宮津に着くころにはすっかり青空になっていた。
「今は修復中で中には入れませんが、畳敷きなんですよ」と教えてもらった、日本で二番目に古い現役教会↓
宮津教会は明治二十九年のかたちを伝えている↓

★この教会について、こちらにもうすこし書きました
宮津は細川ガラシャゆかりの地でもあるのだ

******
港の近く、インフォメーションセンターへ行ってみることにした。
この近くは近在の産物も売られている↓

★「たべそ」は、古代赤米の麺 こんなのはじめてみました

付設の解説
「大和朝廷時代、屯倉(みやけ)の耕作に従事した農民の事を「田部」と呼び、そこでつくられた赤米は今日の稲作の起源とも言われます」
ブータンやネパール、スリランカといったアジアの国々でも赤米はたくさんみかける。おいしいでしょうねぇ。

近くにはちょっと食事をする場所もある↓
自分で具をえらんで焼いてももらえる海鮮丼↓


*******
案内所で簡単に解説してもらい、お寺が密集している地区へ行ってみることにした。
路はせまくなり、雪は住民の方々ががんばって除雪されていた↓


蕪村が数年滞在したお寺↓


●経王寺 天井に立派な龍が描かれているという
本堂入口の彫り物↓


「天井画、見られるかな」と心配していたが、ちょうど住職さんが来られて快く招じてくださった。
一歩入ってびっくり!
↓すごい迫力

※これについては別途書きます

本堂の入口につるしてあったかご↓

「これはどうやら、死人を入れて運んだもののようですよ」
と言われてまた見ると、たしかに霊柩車仕様のカゴのようだ

*********
近くに営業している、見るからに古い旅館↓
入口に「当館は享保年間からこの地で営業しております」とあったが、建物はまさかその時期のものではないですよね。


**********
午後五時には京都駅へ到着

20時半には東京へもどった







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする