旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

2009年の「プラハの春音楽祭」オープニング

2018-01-19 19:22:45 | チェコ

2018年1月、久しぶりにプラハの市民会館・音楽堂を見学して、2009年にここで見た「プラハの春音楽祭」のオープニングを思い出した。
当時書いたブログはもう読めなくなってしまっているようなので、この機会に少しだけ記憶を振り返ってみようとおもう。


5月12日の「プラハの春音楽祭」のオープニングコンサートを観覧できたのは、今になってみるとても幸運だったと思う。
当時のチェコスロヴァキアの独立を宣言したこの市民会館で、スメタナの名前を冠したこの部屋で、現職チェコの大統領臨席のコンサートなのである↓

↑上の写真はステージのアップ。すぐ左のバルコニー席に大統領が座る。
我々の席はちょうどその場所がまっすぐ見える場所↓夫人らしき人はだいぶ前から着席されていたが、大統領自身はなかなか現れなかった。


客席が暗くなるほんの寸前に姿を現した↓

↑当時はクラウス大統領。ハヴェル前大統領のもとで経済改革を担当した大蔵大臣だった人物。
国有企業を民営化するために、18歳以上の全国民に株を買う権利を付与するというおもいきった政策を実行した。
政策は成功。国民はそれぞれの判断で株主となり、あるいは従業員たちが自分たちの勤める破たんしそうな国営企業を救ったりもした。
2009年は彼の大統領十年間の中では転換期だったかもしれない。前年のリーマンショックでユーロ周辺の小国からは資本が引き上げられ、通貨は暴落した年であるのだから。 まぁ、そんなことは我々通りすがりの観光客にはなかなか見えてこない。

さて、演奏は、この年のネーメ・ヤルヴィというエストニア国籍の指揮者。社会主義時代から活躍していた人のようだ。


「わが祖国」というと、どうしても第二楽章の「モルダウ」のメロディだけが有名。
そのメロディは知っていても、クラシック音楽愛好家でもない自分が全曲をじっくり聴かされて退屈しないかと心配していた。
だが、実際にはじまってみると二つの理由で杞憂に終わった。
①六楽章あわせても74分程度
②楽章がそれぞれはっきりと主題を感じさせる個性をもっている
何を言いたい楽章なのかをあらかじめ少し知っておくだけでぐっと魅力が増す

特に第一楽章の「ヴィシェフラード」は、プラハ創立神話の舞台であり、スメタナはじめチェコにとって大切な人々の墓地がある場所。この日我々は午前中に訪れているのだ。スメタナの墓前で行われた式典と合唱を見た。
第一楽章「ヴィシェフラード」↓=「高い城」 への入口↓

広い敷地の一角にぽつんと残るこの礼拝堂がこの城でいちばん古い建物だとされている↓

ヴォルタヴァ川の向こうにプラハ城が見える↓リブシェの見た幻影のごとく↓

第一楽章ではじめできこえてくるハープの音色は、リブシェが奏でていたように感じられる。
このメロディはあとから何度も聴こえてくる。

ドヴォルザークの墓↓

祖国の為に命を捧げた人々の記念碑の前で合唱隊が控える↓

いくつもの花輪がやってきて↓

スメタナの墓前に供えられる↓命日は今日、5月12日と刻まれている↓




第二楽章の「ヴォルタヴァ(ドイツ語で「モルダウ」)」は、はじめは小さな流れがだんだんと水量を増やしてボヘミアの野を流れゆく様

三、四、とばします

第五楽章 「ターボル」は、15世紀のフス戦争の中で徹底抗戦して壊滅した町。

第六楽章 「ブラニーク」は、フス戦争の戦士たちが眠る山の名前。祖国の危機には復活して救国にやってくると伝わる。

これらのストーリーをちょっと知っておくだけで、「わが祖国」は味わい深く染み入ってくる曲になる。

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雪のモラヴィアを超えてプラハへ

2018-01-19 10:30:33 | チェコ
天気予報が当たってしまい、ウィーン雨の朝

二時間ほど走ると、何のチェックもないがチェコ領に入った。
国境近くでトイレストップしたのは・・・不思議なお店街↓

免税屋なのでお約束のたばこがたくさん↓

両替所もある↓表記はチェコ・コルナ↓

チェコはプラハのあるボヘミアと、第二の都市ブルノを中心とするモラヴィア地方に分かれている。ウィーンからくると少し標高の高くなるモラヴィアの国境地帯をこえてゆくことになる↓いきなり雪景色になった↓

この時期ならずっとこの景色でもおかしくないのだ。

プラハの少し手前で二度目のトイレストップ。ドライブインの楽しみはちょっとしたお菓子を見つけること。この赤いチョコレートは悪魔のように辛いのかしらん?↓

ジャケット買いしてしまったけれど、食べてみるとふつうでした↓

↓プラハが近づく。チェコの国旗が高速道路沿いによく見られる↓


今日の昼食レストランはプラハ旧市街、お城の下・カレル橋からも徒歩五分ほどの趣ある広場に面していた↓

※この広場には日本大使館もある
雰囲気ある店内↓




**昼食後、まずはプラハ城へ↓

そびえているのは聖ヴィート大聖堂
警備兵がいるのは大統領官邸もここにあるから↓




聖ビート大聖堂は19世紀のステンドグラスも見もの↓有名なミュシャのデザイン↓銀行がスポンサーとなってつくられた↓

真ん中右の男の子がチェコの守護聖人ヴァーツラフ。左の祖母ルドミラによって敬虔なキリスト教者として育てられ、この教会の基礎を築いた10世紀のボヘミア王。彼の遺骨はこの教会の特別な礼拝堂にある↓今日は閉まっていたその入口↓

ボヘミア王の王冠もこの礼拝堂のさらに特別な場所に安置されている。中を覗き見たことはあるが16世紀のフレスコ画でいっぱい。一度間近でみる機会があればいいと思っている。

聖堂内のもうひとつの重要物、ヤン・ネポムツキーの墓↓豪華な銀はクトナーホラの銀山からのもの。以前見学したっけ。

「ヤンJAN」は、英語の「JOHNジョン」で、ドイツ語の「JOHANヨハン」。ネポムク村生まれ。
彼は王妃の告解僧だったが、ヴァーツラフ四世王に妃の告白を知らせるように告げられたが拒否。カレル橋から落とされたとされる。その話が描かれた絵がちかくに飾られている↓ストーリーが絵の中で展開しております↓


この教会の全体像は横の広場の端っこまで寄らないと写真に入らない↓

そのまま後陣の方向へ歩いていくと、プラハ城エリアでいちばん古いイジー(英語でいうジョージですね)教会がある↓

ロマネスク様式の厚い壁とドーム↓

10世紀以前の墓が何層にも残されていて、発掘の成果が展示されている。掘ればキリスト教以前のものも出てくるのだそうだ。
チェコ、ボヘミアにとって大事なのは聖ルドミラの墓⇒さっきのステンドグラスのおばあちゃんですね。
彼女の礼拝堂に葬られているとされる↓※下の棺ではありません↓


イジー教会を出てさらに後陣方向へ進むと「黄金の小道」へ至る↓以前は無料で入れたのにねぇ↓


フランツ・カフカもここに数か月すんだ↓


道はだんだん下り、市街方向への城門手前に、今も続く名門貴族ロブコヴィッツ家の宮殿・博物館がある↓

ここもゆっくり見学したいなぁと思って、まだ果たせておりません

城門を出ると、ヴァルタヴァ川(モルダウ川)と市街が見晴らせる。ブドウ畑は近年復興されたもの↓


ミニバスに乗り(今回少人数なのでこういう事が可能なのです)、川岸へ降りてきた↓川向うに見えてきたドーム、日本のどこかの建物に似てませんか?

広島の「原爆ドーム」として知られる建物=旧産業奨励館は、同じ建築家ヤン・レツェルによって、十数年後に建設されたもの。現在はチェコの通産省↓

※こちらに日本の方の建築に関するページがありました

***
今日は16時から市民会館の見学予約がはいっている↓

「火薬塔」のとなり、もともと王宮のあった場所につくられた見事なアールヌーボー建築

この中の音楽ホールで「プラハの春音楽祭」のオープニングコンサートが開催されるのだ


※こちらに内部見学、ミュシャの装飾した部屋など載せました

市民会館を出ると夕暮れ。火薬塔を背にして旧市街広場への道を歩く
途中に横道へ入り、モーツァルトが「ドン・ジョヴァンニ」を初演したホールの前を通る↓1787年からこのホールはあるんだ

前作「フィガロの結婚」がウィーンで大うけして、その評判をきいたプラハの貴族たちがモーツァルトを招いた。
「プラハのモーツァルト」という映画を、この旅の予習に東京の映画館で観ておりました(^.^)
※予告編のページをこちらから見ていただけます 

旧市街広場の後ろにティーン教会がにょっきり上だけ姿を見せている↓

この配置、最初に見た時からいかにも不自然だと感じていた。
今回のガイドさんが「宗教対立で嫌がらせにわざわざ家をつくったんです」とさらっと言われて、納得した。

雨になったが観光客はいっぱい↓

カレル橋までずっと↓

川向こうの丘の上にプラハ城がライトアップしている↓橋の手すりに鍵をかけるのは、やれやれどこもおんなじ↓

カレル橋↓を渡り↓

プラハ城側の橋塔門を抜けると↓

今日のお昼を食べたレストランがある広場に戻ってきた。近くにこんなプレートがはまった家が↓

あ、ここにもベートーベンが住んだのですね。

ホテルは昔からある大型の方のヒルトン↓

















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