旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

チェスター到着、まずは城壁とROWSを散歩

2016-05-16 18:29:35 | イギリス
リバプールからチェスターまでは一時間もかからない距離。午後五時、まだ昼間のうちにチェスター中心部のグロヴナーホテルにチェックインした。下の写真、右側の古い建物がそれ。古いけれど、快適に改築され、スタッフも優秀であります。
写真で右遠景、大きな時計はヴィクトリア女王即位六十年を記念して、チェスターの城壁の上に設置されたもの→まずは、この城壁の上を散策するのが、チェスター町を体感することになる。


北側はローマ時代から位置がかわっていないとされている場所。下にディー川の水を引き込んだ堀が見下ろせる
北東の一角にあるフェニックスの塔。
彫り込まれた石の不死鳥からその名がつけられた→

1645年、清教徒革命の時代、国王チャールズ一世王は自軍が敗走するのをこの塔から見て、チェスターから逃げ出したと伝えられている。その様子はチェスター最古の教会・聖ヨハネ教会のステンドグラスに描かれている↓

このステンドグラスがつくられたのは十九世紀だが、がっかりした王様の表情など、よく出来ております。

**旧市街には建物に完全に組み込まれた公共の歩道がめぐらされている。

これがTHE ROWSと呼ばれる、チェスター独特のもの
このルーツはイタリアにあるのかと思っていたが、地元ガイドさん曰く「コンスタンチノープルにモデルがあるようだ」とのこと。
十字軍時代にかの地を訪れた王侯もあっただろうから、可能性あります。
明日またゆっくり散歩します(^^)
****

一時間ほどでホテルに戻り、ダイニングでアラカルトの夕食。メニューに「ハンバーガー」とあったけれど、出てきたら予想以上にてがかかった、しかもおいしい一皿でした(^^)


・・・明日は地元ガイドさんと共に、街をめぐります。

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リバプール観光③リバプール博物館

2016-05-16 11:22:33 | イギリス

●リバプール博物館は2011年に、世界遺産の建物群のすぐとなりに完成した、えらくモダンな建物



入ってすぐはこんな感じ、入場無料です→内部にこんな階段もある


★ドック群の再現模型は必見


これを見てはじめて、リバプールがどれだけ繁栄した町だったのかを理解できた気がしたから↓



アルバートドックは特別な存在ではなく、同じようなものがこんなにたくさんあったのか。


工業都市マンチェスターを結んで、1830年に世界で最初の鉄道が運行されたのも必然だった。その、最初の蒸気機関車のひとつが展示されている↓



 


これらのドックは河口16㎞にもわたりずらりと並んでいたから、世界初の高架鉄道がドック群をつないで十六キロメートルもの長さで走っていた、その写真→と、当時の列車→


扱っていた品々の中で、ちょっとおもしろかったのが●リバプールでつくられた陶磁器 リバプールのシンボル「ライバード」がデザインされたお皿もある。 最初は1756に、中国磁器をまねたデルフトのような陶器をつくったのだが、そのうち品質を改善し、独自のデザインで生産されるようになっていった。今でもイギリス国内ではウェッジウッに次ぐ生産地になっているのだそうだ。


窓からは世界遺産のビル群も見える↓



上の写真で二つの尖塔の上に設置されているリバプールのシンボル「ライバード」の、実物大模型が置かれている。なんと高さ5.5メートル この鳥は鵜のように見えるが、実在しない鳥のようだ。古い市庁舎に掲げられていたというこの鳥がモデルになっている→ 二羽の鳥、一羽は港を向いて船の安全を、もう一羽は市内を向いて市民の安全を守っているのだとか。


**もちろんビートルズ関係の展示もあるし、リバプールで必見の場所と言えます。


****ここに、もうひとつのリバプールのマスコット「スーパーラムバナナ」も展示してあった。


市内のいろんな場所でみかけたこれは? こちらにもう少し書きました

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リバプール観光②ミュージアムと港

2016-05-16 10:33:22 | イギリス

19世紀に世界の富を集めたリバプールには、当時の美術品をあつめた個人美術館が三つもある。今回はそのうちのひとつ●ウォーカーズ・ギャラリーを訪れた。
 


昨年から今年にかけて日本で行われていた展覧会でその存在を知り、今回の旅で是非コースに入れてみたいと思っていた。
入場は無料。ちょっとしたカフェもある→

こちらがその展覧会のサイト


ラファエロ前派の代表格、バーン・ジョーンズのベアトリーチェの死をあらわした作品→ダンテの時代のイタリアを題材にしたものでフィレンツェの風景が背景にある→
イギリスの詩人シェリーが、イタリアで水死して火葬されているシーン→
イギリスの歴史画もたくさんあったが、その中で印象的だったのは市民戦争(清教徒革命)時代の事柄をあつかったこの絵。王党派の父の行方を、議会はに査問される息子。題名は「最後にお父さんに会ったのはいつだい?」
写生のモデル用の古代彫刻のコピーもたくさんあった→この時代の美術習慣であります。

外へ出ると、ビートルズも出演したエンパイア劇場が今も変わらずにある。客席二千ほどかしらん→

***
港に移動し、アルバートドックへ。ここには●「ビートルズ・ストーリー」というアトラクションもある。昔のキャヴァーンを再現したステージも→なるほど、今のステージよりずっと狭い。
→こちらに少し書きました

一角にあったフィッシュ&チップスのお店で。揚げたてをいただきましょ→
緑色のビーンズのソースがおいしかった。ビネガーのソースをつけていただきます。お好みでチリも。


****
●アルバートドックは巨大な人口水たまりのような場所だと、訪れてみて初めて理解した→
マージー川の河口はとても浅く、満潮にならなければ船がドックに入ってこられない状況だったので、ドックを川から遮断して水位を高く保っていたのであります。次の写真でドック内の水位が、浅い川から遮断されて保たれているのがわかる。
浅い河口→
ドック内の水位が高く保たれているのがわかる↓

ドック内では潮の干満を気にせず積み込みや船の修理ができたというわけだ。

こういったドックがどのぐらい二十世紀初頭のリバプールにどのぐらいあったのか、新しくできたモダンなリバプール博物館の展示で初めて理解することができた。
●リバプール博物館は別項目にて書きます
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リバプール観光①二つの大聖堂

2016-05-16 06:26:42 | イギリス


リバプールには二つの大聖堂がある。古くからアイルランドとの行き来が盛んだったので、人口の40%はアイルランド系、つまりカトリックも相当数いるのだ。 この巨大な一見クラシックな建物のほうがアングリカン(英国国教会)になっている。 1904年から二つの大戦をこえて1978年までかかって建設された。一見ゴシック風につくってあるが、細部はアールデコ調に見えた 内部は柱が邪魔しない広々とした空間 ここには、一万本ものパイプをもつオルガンが鎮座している 

床暖房なので冬でも快適。中央の床に設計者のサー・ギルバート・スコットの記念碑がある。※カトリック教徒だったために聖堂内部に葬ることができなかった 彼の設計したものは、彼の名前など知らない人々も必ず目にしている。この赤い電話ボックスとか→ このピンクフロイドのジャケットになった発電所とか→ 

★ジャイルズ・ギルバート・スコットは高名な同じく建築家の父をもってはいたいが、当時はまだ建築された建物のひとつもない22歳の駆け出しだった。ニューヨークに次ぐ大きさをもつ重要なアングリカン教会のコンペに勝ったことが、そののちの彼の人生を決定づけたといってよいだろう。

ただ、彼のもともとのデザインがそのまま実現したわけではない。二つの予定だった塔は結局一つに変更された。こちらが予定していたデザイン→

建設はゆっくりとすすめられた。最初に出来上がったのは「レディース・チャペル」つまり、聖母マリアに捧げられた礼拝堂。ここだけでもひとつの教会として十分使える建物である↓

第一次大戦が終わるころまでは、この礼拝堂だけがこんな感じで存在していたのか→

ステンドグラスがあるべき窓が空虚なのは、第二次世界大戦時にドイツ軍の空襲であらかた割れてしまったから。イギリスを代表する港であるリバプールは1943年5月に大空襲をうけ、約二千人もの犠牲者をだしているのだ。

 

教会入口すぐのところに、ギリシャ神殿風の建物がある→建築年代は19世紀後半で、セントジェイムズ墓地付属礼拝堂であったとある。大聖堂ができる前のこの場所を記憶している建物になる。内部見学はウォーカーズ・ギャラリーに申し出るようにと看板があった。このあと訪れるウォーカーズ・ギャラリーはこういった建物の管理までやっていたのか。

***

もう一つのカトリックの聖堂は、メトロポリタン大聖堂と呼ばれている。こちらはたった五年で完成した1960年代の建物。一見すると、こちらのほうが新教の建物のようにみえてしまう↓

内部もこのような→こちらもしかし、もともと予定していたのはもっと大規模なローマのサン・ピエトロ大聖堂のような建物だった→

***

入口の階段からは、谷を挟んで向こうの丘に立ち上がるアングリカンの大聖堂が見えていた

 

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