旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

カッパドキアを楽しむ日

2013-04-28 13:51:09 | トルコ
朝五時過ぎにホテルを出た気球オプションは、七時半にホテルへ帰着。ゆっくり朝食を食べて、九時から観光へ出発!
最初は地下都市へ

近年大人気で=大混雑する。今日は早く行ったから待たずに入れたが、混雑時には入場待ちの上、地下の迷路を腰をかがめて上下しながら渋滞になる。

入口周辺はお土産モノ街ネコが店番?青い目玉(ボンジュクと呼ばれ、ルーツは古代のメドゥーサの目に遡るお守り)の上を動きません。


ジャガイモを丸ごと長いスライスし、油で揚げてチップスにして売っている。しっかりした食感でおいしい


**トルコ絨毯は買わなくても一見の価値がある。店のど真ん中にあるアタチュルクさんがデザインされた絨毯

***
ガイドブックにも必ず乗っているパシャバーという場所へ。ここもバスが止まる周辺はお土産物屋がずらりと軒を連ねている。のびるアイスクリーム屋さんも日本語で声かけてくる。

しかし、お土産物やアイスクリームにばかり時間をとられているのはもったいない。自分の足で少し登っていくと、ほら、すばらしい白い砂と青空に出会えた(^^)



****
昼食は「シナソス」という街へ。
「シナソス」はギリシャ系住民時代が住んでいた頃の名前で、現在の名前は「ムスタファ・パシャ」という、アタチュルクゆかりの名前に変えられている。

以前、この↑レストランを紹介してもらって美味しかったのを記憶していたので今回もリクエストした。
サルマ~葡萄の葉でコメや穀物に味付けしたものを巻いたもの

トルコ、ギリシャともによく見かける料理。ここのは特においしかった。

丘の上にはまだまだ廃墟の村が残っているが、下の広場あたりは観光地として整備されている。
食事の後、中庭の東屋でチャイを

村に残る教会だった建物。
なぜ?いつ?ギリシャ人たちは村からいなくなったのか?

この村に住んでいたギリシャ人が追放されたのは20世紀前半。
トルコが共和国として独立を果たした時。

ギリシャに住んでいたトルコ人が追放されたのと交換のようにして、トルコに住んでいたギリシャ人たちは追い出されたのである。

共和国トルコは「政教分離」だった筈なのだが、やはりギリシャ正教徒のギリシャ人たちと共存し続けることは難しかった。
内戦で殺しあった異民族・別宗教のギリシャ人たちとのわだかまりをそう簡単にはなくせなかったのである。

*****
カッパドキア観光の定番「ギョレメ野外博物館」へ。近年ここもすごい混雑になってきたので、グループでそれぞれの教会内部へ入場することが禁止された。現在は外でガイドさんが説明した後解散し、各自で入場する。

******
混雑する定番箇所ばかりまわっていては疲れる。写真撮影でバス移動するよりも、一か所強く印象に残る場所を歩く方を選ぶ《手造の旅》であります。以前訪れた「剣の谷」をリクエストしたのだが、あまり行かない場所なので運転手さんも戸惑い気味。毎月来ているわけでもない小松も正確に道案内はできないから、しばらくおまかせしていたら、見覚えのあるばしょの近くまでバスが入って行ってくれた。ここからならしばらく歩けば、「あの場所」へ行けるに違いない。「みなさん、歩きましょう、すごい風景が見られるのを約束します」いやがるガイドさんを引きずって((笑)そんなことありませんが)、歩き出した。
ここ!
夕陽に染まる、間近に見上げる岩

天気によって来られないかもしれない場所だと、日本のツアー行程には入れられない。こういう馬での観光も楽しそうですねぇ。
おかあさんの畑仕事をおてつだい?


******
夕方ホテル帰着。斜面に建てられたホテルの夜景

朝早かったけれど、ご希望の方はさらに、ベリーダンスの夕べへ。
民族舞踊
そして、ベリーダンスのおねえさんが登場
「ちょっと、いらっしゃ~い」呼び出された男たちは・・・こんなことあんなこと

カッパドキアの夜はふけてゆきましたとさ
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カッパドキア気球フライト

2013-04-28 06:46:32 | トルコ
午前5時10分、ホテルに迎えのバンが到着
ギョレメの街にある気球会社のオフィスにてお金を払い、簡単な軽食と、ここでかならずトイレを済ませましょう。

車で15分ほど走ると気球が飛び立つサイトに到着。ここへ到着するまでにもたくさんの気球がフライトの準備をしていたし、すでに飛び立っている気球がいくつも見えた
バルーンに熱い空気を送り込む為のバーナーと巨大扇風機

明けゆく空にゆっくりと巨大な風船が立ち上がると、そろそろバスケットに乗り込む。このバスケットのふちが高いので足があがりまへんわぁ(笑)
今回十五人、全員が乗り込んで、キャプテンがさらにバーナーを開ける。頭の上でごうごうと炎の吹き出る音がして、頭が熱くなる
しばらくすると、音もなく浮き上がるバスケット。風と共に動くから、時折のバーナーの音以外は無音なのである。足下にまだ地上にある気球から手を振る人
昇る太陽が大地を赤く照らし、そこに我々の乗った気球の影が移動していく

変化に富んだカッパドキアの地形は気球から楽しむに最も適しているといえるだろう
洞窟住居に住む人々はまだまだ居る

気付けば、三百六十度まわりにおびただしい数の気球が浮かんでいる(@_@;)八十まで数えた方があったが、その数百近いだろう。パイロット曰く、最盛期は百五十にもなるそうだ。はじめてカッパドキアで気球にのった十年前には「大空の孤独」という風情さえ感じたのに、これだけの数になろうとは、びっくり

それでも、この気球には乗る価値があると思う、何度でも。

45分ほどのフライトの後、降下体制ににはいる。今日はほとんど風もなく、練習していた「ランディング・ポジション」をとる必要もなく、なんと、地上で迎えにきた車が引くバスケット用の台車の上に直接着陸したのであった。

バルーンの頂上を開き、熱い空気をにがしてゆくバスケットから降りるのにも足があげないと…こうしてだっこしてもらいましょうか(笑)

気球フライトの後、恒例のシャンペンタイム。一応イスラム圏のトルコではノン・アルコールでありますが。キャプテンがようく振ってポンっと開けると勢いよく噴出した。

大満足のフライトを終えて午前八時前にはホテルに戻り、シャワーして着替えて朝食。朝九時からゆっくりと今日の観光スタートであります。
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カッパドキア~夕陽のウチヒサールが美しい

2013-04-27 08:58:36 | トルコ
《手造の旅》6日目、午後、まだ陽の高い18時前にホテルへ到着。洞窟ホテルは近年新しく施設の良いものがオープンしている。ここも十分な設備で快適。日本人の求める熱いお湯も充分すぎるぐらい出た。構造上へやの造りはそれぞれ違う

荷物を置いて、夕方の散歩へ出発。街を楽しむ為に、ホテルを街中に選ぶ事は大事。
このホテルはカッパドキアの自然城塞の中でも最も高く大きいウチヒサールのすぐ下にある。せっかくだから登り行こうじゃありませんか。入場料ちょっと払ってえっちらおっちら十五分ほど。頂上にはトルコの国旗凝灰岩の大地を風雨が浸食してできた土地だという事が眼で理解できる風景がひろがる


ウチヒサールから降りて歩き出すと、さっきまで登っていた頂上が夕陽に赤く染まっている。
歩き出して、思い出しが場所がある。2008年の《手造の旅》で選んだホテルがこのすぐ近くだった。そこのテラスからはとてもきれいにウチヒサールが見える。今はちょうどきれいな時間だろう、行ってみよう。

路地を曲がり、そのホテルは変わらずそこにあった。ああ、すばらしいタイミング。

夕食はここで軽くにしておこう。いくつか注文したメニューで当たりだったのが、トルコのスナック「ギョズレメ」小麦粉を焼いた生地にチーズが挟まり溶けている。イモや野菜の入ったものなど、いろんなヴァージョンがあるらしい。ウチヒサールの周辺でつくられたワインと共においしいくいただきましたお昼をしっかり食べたのでこれで充分、健康的。明朝は気球ライドの予定だから節制しておきたい。
ホテルへの帰路、振り返ると、さっきまで居たテラスが夕闇に暮れようとしてる
モスクの尖塔と緑色のライトが藍色の空に美しい
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ヒッタイトの遺跡から

2013-04-27 08:03:13 | トルコ
《手造の旅》6日目、午前
アマスィアの街を出てすぐ、道路近く岩山の上に巨大な像があるのが見えてきた。「フェルハットとシリン」の像に違いない。こんなのつくったんだ、びっくりこの二人の悲恋物語伝説をこちらに載せました。

この、古代の水道は以前から一度見てみたいと思っていたのだが、三回目にしてやっと実現した。観光施設として2013年6月オープン予定

**
お昼前にヒッタイトの遺跡を見学。
まずは祭礼所だったと思われるヤズルカヤ。とんがった帽子をかぶった神々が行進している

至聖所への階段わきに門番のように刻まれた神
紀元前15世紀頃、同時代の大国エジプトやペルシャと類似した雰囲気がある。ヒッタイトの存在が確認されたのは前出二つの大国に比べてたいへん遅い。民族の名前が旧約聖書創世記のヘテ人から命名されたのでさえ二十世紀になってからだ。つまり「ヒッタイト」と言う呼び方も、聖書を書いた民族からの呼び名である。日本が世界では「ジャパン」であるのと同じように。

この広大な都市遺跡も1906年にドイツ人学者によって発見された。よって、解説版にはトルコ語の次にドイツ語が記されている。

良い天気で花盛り古代の彫刻のかたも良くわかる。これはまさにライオンですね
この土台の上に木造の建築群があった
バスでかつての街の端まで行くとライオンの門がある。外側からみたところ。おや?向かって左のライオンの顔、昨年9月に来た時は復元していなかった。かわいいライオンになっちゃいました(笑)
物売りが「自分で彫った」と言って小さなライオンを持ってきた。この門のライオン模したらしい。工場の大量生産お土産より個性があって楽しい。ユーモラスな顔です。

もうひとつ通称「突撃門」を見学厚い城壁を貫通している通路は古代からのまま。ミケーネのトロス墳墓を思い出した。頑丈なのです。

この通路の建設目的を、現地の解説本では「城壁を囲んだ敵の背後に、不意に兵を送って挟み撃ちにするため」としているが、最近の学者は「あまりにも目立つ通路で、それは無理だろう」と言っているそうな。さもあらん。

いったん城壁外へ出て、階段を上って城壁の上へ。ピラミッドのような角急な階段
ヒッタイト遺跡はまだまだ発掘中の場所が多い。これからも新しい学説が出てくることだろう。
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サムスンからアマスィアへ

2013-04-26 12:48:34 | トルコ
サムスンは(2013年に日本が輸出する原子力発電所が建設される)黒海沿のシノペの街から、東へ少しいったところにある。
けっこう大きな港湾都市。
ビジネス都市なのでアメリカンスタイルのホテルも多い。

午前中サムスンの見どころを二か所。ひとつ目はトルコ建国の父アタチュルクさんがイスタンブルから乗船してきた船。
彼がサムスンに上陸した1919年5月5日がトルコ救国革命のスタートとされる。イスタンブルからの船中で、彼はスルタン制度をなくして共和国にするまでのプランを考えていたといわれる。蝋人形、真ん中がアタチュルクさん、当時はまだケマル・パシャ(将軍)

この船はスコットランドで造られた、当時としてもかなり古い船だった。黒海の荒波に沈没していたら、現代のトルコはなかったかもしれない。彼の成し遂げた事が余人に可能だったとは思えない

地下の船倉は写真がたくさん展示されている。女性の権利向上のために、彼は意識して女性たちとの写真を撮っていたそうだが(※イスラム諸国では今もって公共の場所では顔さえ出せない女性たちが多い現実がある)、目が留まったのがこの写真

養女サビッハ・ギョクチェンは、トルコはじめての女性パイロットになり、現在イスタンブルのアジア側の空港の名前になっている。※ヨーロッパ側はアタチュルク空港
★この船バンダルマ号のある敷地への入場は1トルコリラ。チューリップが花盛りの庭に、いろいろな兵器も展示されている

展示はほとんどトルコ語だけの解説しかありません。
**

サムスンもうひとつの見どころ(と、小松が判断したのは)、考古学博物館の「アミソスの宝」。
2008年にやってきたときには閉まっていて入れなかったが、今回やっと見学できた(^^)







解説をこちらに載せました。
小松の好きな古代ブロンズ作品も一体あります

売店はこの程度…この博物館ならではのものは絵葉書ぐらいしかないのが残念。

***
内陸の街、アマスィアへ向け一時間半程度のドライブ

険しい岩山に囲まれた、川の流れる美しい街がアマスィア

アレクサンダー大王の死後を継いだポントス王国の墳墓が岸壁に穿たれて街を見下ろしている。思えば、この写真をトルコ航空で見たのが、ここへ来る《手造の旅》をつくるきっかけだった。

今日はこの町に泊まる。この写真の、道を挟んだ両方の建物が民宿程度だが今晩の宿になる
郊外の立派なアメリカンスタイルのホテルに泊まるよりも、こういう場所でその土地を歩き・食べ・感じる事こそが、旅する喜びである筈だ。裏に電車の線路はあるし、すぐ隣のモスク(写真にミナレットが写っています)は夜明けに礼拝を告げるけれど、それは我慢してもらいましょう(笑)

近くに地元料理を食べさせる店があるというので、お昼はそこで。
●ヒヨコマメのカセロール●ドルマ(「詰める」という意味で、ミンチした肉を調理したものを葡萄の葉に詰めてある)白いのはもちろんヨーグルト●マントゥはトルコ風の餃子
●オクラの煮込み~アマスィアの名産なのだとはじめて知った※偶然にも2013年4月のトルコ航空機内誌にアマスィアの特集ページがあって
ところが、オクラはどこにあるの?というほど小さい。拡大していただくと分かるとお思いますが…。
アマスィアのオクラはこんなんなんだ、と思っていたら・・・こちらに夕食に出された、美味しいと言えるトルコのオクラ料理載せました。

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アマスィアの博物館の目玉のひとつ、金属製のヒッタイトの神像

2008年には一般ショーケースにあって、一方からしか見られなかったが、今は独立したショーケースに移され360度から見られるように変わっていた。※この博物館にはまだまだ面白いものがあります

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シナン建築以前の古いモスクは暗いが落ち着いた雰囲気


そして、いよいよ、あの岸壁にあるポントス王墓へ登っていこう

固い岩をくりぬいて作られた道、二千年以上もこうしてあったのかと思うと感慨深い

眼下にはアマスィアの古い町並み。

五年前に比べて、修復された屋根が増えた。

たどりつくと、その巨大さに圧倒される墳墓。アマスィア周辺にこのようなものが十八基あるのだそうだ。

紀元前一世紀に「地理史」17巻を書いたストラボンはアマスィアの出身。この墓の事も書いている。彼の銅像が川のそばに、地球をもって立っていた

夕食後、夕景のアマシィア散策は、岩山の墳墓や城塞がライトアップされて素晴らしい。近頃はしかしやりすぎかも…色なんか変えなくても良いのにね


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