旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ヒッタイトの遺跡から

2013-04-27 08:03:13 | トルコ
《手造の旅》6日目、午前
アマスィアの街を出てすぐ、道路近く岩山の上に巨大な像があるのが見えてきた。「フェルハットとシリン」の像に違いない。こんなのつくったんだ、びっくりこの二人の悲恋物語伝説をこちらに載せました。

この、古代の水道は以前から一度見てみたいと思っていたのだが、三回目にしてやっと実現した。観光施設として2013年6月オープン予定

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お昼前にヒッタイトの遺跡を見学。
まずは祭礼所だったと思われるヤズルカヤ。とんがった帽子をかぶった神々が行進している

至聖所への階段わきに門番のように刻まれた神
紀元前15世紀頃、同時代の大国エジプトやペルシャと類似した雰囲気がある。ヒッタイトの存在が確認されたのは前出二つの大国に比べてたいへん遅い。民族の名前が旧約聖書創世記のヘテ人から命名されたのでさえ二十世紀になってからだ。つまり「ヒッタイト」と言う呼び方も、聖書を書いた民族からの呼び名である。日本が世界では「ジャパン」であるのと同じように。

この広大な都市遺跡も1906年にドイツ人学者によって発見された。よって、解説版にはトルコ語の次にドイツ語が記されている。

良い天気で花盛り古代の彫刻のかたも良くわかる。これはまさにライオンですね
この土台の上に木造の建築群があった
バスでかつての街の端まで行くとライオンの門がある。外側からみたところ。おや?向かって左のライオンの顔、昨年9月に来た時は復元していなかった。かわいいライオンになっちゃいました(笑)
物売りが「自分で彫った」と言って小さなライオンを持ってきた。この門のライオン模したらしい。工場の大量生産お土産より個性があって楽しい。ユーモラスな顔です。

もうひとつ通称「突撃門」を見学厚い城壁を貫通している通路は古代からのまま。ミケーネのトロス墳墓を思い出した。頑丈なのです。

この通路の建設目的を、現地の解説本では「城壁を囲んだ敵の背後に、不意に兵を送って挟み撃ちにするため」としているが、最近の学者は「あまりにも目立つ通路で、それは無理だろう」と言っているそうな。さもあらん。

いったん城壁外へ出て、階段を上って城壁の上へ。ピラミッドのような角急な階段
ヒッタイト遺跡はまだまだ発掘中の場所が多い。これからも新しい学説が出てくることだろう。
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