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晩期資本論(連載第29回)

2015-02-24 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(4)

・・・蓄積の進行につれて、一方ではより大きい可変資本が、より多くの労働者を集めることなしに、より多くの労働を流動させるのであり、他方では同じ大きさの可変資本が同じ量の労働力でより多くの労働を流動させるのであり、最後により高度な労働力を駆逐することによってより多くのより低度な労働力を流動させるのである。

 「どの資本家にとっても、その絶対的関心事は、一定量の労働をより少数の労働者から搾り出すことであって、同様に廉価に、またはよリ以上に廉価に、より多数の労働者から絞り出すことではない」。そこで、資本家としては、既存労働力の外延的または内包的な搾取の増大により、新規労働力を抑制しつつ、新規労働力を非正規労働力に置換することで、産業予備軍を作り出す。

それゆえ、相対的過剰人口の生産または労働者の遊離は、そうでなくとも蓄積の進行につれて速くされる生産過程の技術的変革よりも、またそれに対応する不変資本部分に比べての可変資本部分の比率的減少よりも、もっと速く進行するのである。

 資本間のグローバルな競争関係が増した晩期資本主義では、相対的過剰人口の形成速度はますます増している。一方で、就業中の過少労働力にも負担がのしかかる。

労働者階級の就業部分の過度労働はその予備軍の隊列を膨張させるが、この予備軍がその競争によって就業部分に加える圧力の増大は、また逆に就業部分に過度労働や資本の命令への屈従を強制するのである。

 就業中の現役過少労働力に長時間労働による何人分もの成果が要求されることで、失業・半失業の予備軍は増大するが、「産業予備軍は沈滞や中位の好況の時期には現役の労働者軍を圧迫し、また過剰生産や発作の時期には現役軍の要求を抑制する」という形で現役軍を競争的に脅かすことで、現役労働者はいっそうの過度労働や無理な業務命令への服従を余儀なくされていく。現役労働者にとっても、労働はストレスに満ち、時に過労死/自殺を結果するものとなる。

だいたいにおいて労賃の一般的な運動は、ただ、産業循環の局面変転に対応する産業予備軍の膨張・収縮によって規制されているだけである。だから、それは、労働者人口の絶対数の運動によって規定されているのではなく、労働者階級が現役軍と予備軍とに分かれる割合の変動によって、過剰人口の相対的な大きさの増減によって、過剰人口が吸収されたり再び遊離されたりする程度によって、規定されているのである。

 労働市場における賃金水準の決まり方について、マルクスは資本の膨張・収縮によって労働の需給とそれに応じた賃金水準が定まるのではなく、まさに景気変動の中での産業予備軍の膨張・収縮によって定まるという逆説的な見方を提示している。

一方で資本の蓄積が労働にたいする需要をふやすとき、他方ではその蓄積が労働者の「遊離」によって労働者の供給をふやすのであり、同時に失業者の圧力は就業者により多くの労働を流動させることを強制して或る程度まで労働の供給を労働者の供給から独立させるのである。この基礎の上で行なわれる労働の需要供給の法則の運動は、資本の専制を完成する。

 産業予備軍の調節を通じて回っていく労働市場は、労働者の生殺与奪を資本が掌握する専制権力を作り出す。ここでまた『資本論』に特徴的な政治学的な視座が示されている。

それだからこそ・・・・・・、彼ら(労働者たち)が、彼ら自身のあいだの競争の強さの程度はまったくただ相対的過剰人口の圧力によって左右されるものだということを発見するやいなや、したがってまた、彼らが労働組合などによって就業者と失業者との計画的協力を組織して、かの資本主義的生産の自然法則が彼らの階級に与える破滅的な結果を克服または緩和しようとするやいなや、資本とその追随者である経済学者は、「永遠な」いわば「神聖な」需要供給の法則の侵害について叫びたてるのである。

 ここで、マルクスは就業者と失業者の計画的な協力組織の有効性を提言している。言い換えれば、現役軍と予備軍の共闘である。直後の箇所では「就業者と失業者の連結は、すべて、かの法則の「純粋な」働きをかき乱す」とも指摘している。マルクスは労働組合が現役労働者の利益代弁者であるだけでなく、失業者の利益代弁者であることも期待していたのである。
 この貴重な提言がその後の労働運動に生かされることなく、労組が現役労働者の利益団体として定着したことは、労働運動の「攪乱力」をも弱化させていると言えよう。

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