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晩期資本論(連載第28回)

2015-02-23 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(3)

資本主義的蓄積は、しかもその精力と規模とに比例して、絶えず、相対的な、すなわち資本の平均的な増殖欲求にとってよけいな、したがって過剰な、または余剰的な労働者人口を生みだすのである。

 資本蓄積が進行すれば、それだけより多くの労働力が必要とされ、究極的には夢の完全雇用が達成されるのではないか。単純に考えればそうなるが、実際のところ、資本主義社会で完全雇用が達成された試しはない。資本主義社会は好況時であっても恒常的に失業を伴う。このことは、資本主義社会に生きる者であれば誰でも経験的に知っているが、なぜそうなるのか。

正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒体として役だつ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎ捨てると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。

 マルクスは、より抽象的な表現で「資本の蓄積は最初はただ資本の量的拡大として現れたのであるが、それが、・・・・・資本の構成の不断の質的変化を伴って、すなわち資本の可変成分を犠牲として不変成分の不断の増大を伴って、行なわれるようになるのである。」ともまとめている。より具体的には、「蓄積の進行につれて、不変資本部分と可変資本部分との割合が変わって、最初は1:1だったのに、2:1、3:1、4:1、5:1、7:1というようになり、したがって、資本が大きくなるにつれて、その総価値の二分の一ではなく、次々に、三分の一、四分の一、五分の一、六分の一、八分の一、等々だけが労働力に転換されるようになり、反対に三分の二、四分の三、五分の四、六分の五、八分の七、等々が生産手段に転換されるようになるのである」。

 それ(労働にたいする需要)は総資本の大きさに比べて相対的に減少し、またこの大きさが増すにつれて加速的累進的に減少する。総資本の増大につれて、その可変成分、すなわち総資本に合体される労働力も増大するにはちがいないが、その増大の割合は絶えず小さくなって行く。

 このような割合的・相対的に過剰化される労働力という意味で、マルクスはこれを「相対的過剰人口」と呼び、資本蓄積に伴いこうした労働者の相対的過剰化が進むことを、「資本主義的生産様式に特有な人口法則」と規定している。これは過剰人口を労働者人口の絶対的な過度増殖から論じようとしたマルサスの人口論に対するアンチテーゼとしても対置されている。

それ(相対的過剰人口)は自由に利用されうる産業予備軍を形成するのであって、この予備軍は、まるで資本が自分の費用で育て上げたものでもあるかのように、絶対的に資本に従属しているのである。この過剰人口は、資本の変転する増殖欲求のために、いつでも搾取できる人間材料を、現実の人口増加の制限にはかかわりなしに、つくりだすのである。

 マルクスは相対的過剰人口を産業予備軍という軍事的な用語でも言い換えている。ただ、「資本への絶対的従属」という表現はいささか勇み足のようである。産業予備軍はまさに予備役兵のように必要に応じて召集を待機している存在であり、待機中はフリーな存在であるから、絶対的な従属関係とは言えない。ただ、直前の箇所でより適切に説明されているように、「・・この過剰人口は、資本主義的蓄積の槓杆に、じつに資本主義的生産様式の一つの存在条件になる」という意味において、産業予備軍は資本の別働隊である。

近代産業の特徴的な生活過程、すなわち、中位の活況、生産の繁忙、恐慌、沈滞の各時期が、より小さい諸変動に中断されながら、一〇年ごとの循環をなしている形態は、産業予備軍または過剰人口の不断の形成、その大なり小なりの吸収、さらにその再形成にもとづいている。

 資本主義社会には景気変動がつきものであるが、その周期的変転に際しては、産業予備軍からの「人間材料」の出し入れを通じて、労働力の需給調節がなされていく。その結果―

近代産業の全運動形態は、労働者人口の一部分が絶えず失業者または半失業者に転化することから生ずるのである。

 最初に問題提起したように、資本主義社会が常に失業を伴うゆえんである。ところが、「(古典派)経済学の浅薄さは、とりわけ、産業循環の局面転換の単なる兆候でしかない信用の膨張や収縮をこの転換の原因にしているということのうちに、現れている」。金融主導の資本主義が進行した晩期資本主義社会では、専ら金融の観点からのみ景気変動を解析しようとする部分思考が横行しがちであるが、マルクスによればそうした発想は「浅薄」なものである。


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