【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「天使のピアノ」の音色がよみがえる

2009-01-19 23:59:54 | 音楽/CDの紹介
 このブログで、青柳いづみこさんの本を3冊紹介しました。『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』(ブログ紹介日:2008年2月14日)、『天才ピアニスト 安川加壽子』(2007年11月25日)、『無邪気と悪魔は紙一重』(2007年11月5日)です。

           青柳いづみこ

 青柳さんはピアニストで、安川加壽子、ピエール・バルビゼに師事。東京芸大大学院を経て、マルセイユ音楽院を首席で卒業。ドビュッシーの研究家としても知られています。

 その青柳さんの公開講座がありました。題して「天使のピアノ」。内容は、滝乃川学園(日本で最初の知的障害児のための社会施設)の創始者、石井亮一の妻で、亮一の死後、園長を努めた石井筆子が愛用していたピアノ(天使のピアノ)による演奏を行い、CDにも発売した青柳さんが筆子さんの生涯をふりかえり、筆子がアンデルセンの童話を脚色したものを朗読し、いくつかの曲を弾くというものです。

 この天使のピアノは、1885年にドイツの楽器商デーリングが横浜で製造販売したアップライトピアノで筆子が使っていましたが、戦後ずっと使われないまま眠っていたのを1995年に学園史研究会のメンバーによって発見され、1997年に日本に存在する最古のアップライトピアノと鑑定された、いわくつきのものです。ピアノ調律教会の協力で1998年によみがえり、演奏可能なまでに復活しました。「天使のピアノ」と呼ばれるこのピアノ(ピアノ正面中央にガラスに焼き付けられた2人の幼子を抱く天使がはめ込まれているのでこう呼ばれる)は、音が切れないで糸のようにひき、弾いている演奏家も余韻が気持ちよいのだそうです。このピアノで青柳さんは演奏し、それをCD化したのです。

 青柳さんがこの活動に携わったのは、彼女の父違いの兄が滝乃川学園で世話になっていたのが契機だそうです。

 石井筆子(1861-1944)は、津田梅子とともに20世紀前半の日本の近代女子教育の先駆者です。肥前に生まれ、若いころから英語、フランス語、オランダ語に堪能で、19歳のときにフランス留学。帰国後、小鹿島果と結婚、華族女学校(学習院大学)のフランス語嘱託教師になりました。同じ職場に津田梅子がいたそうです。生まれた女の子3人は、体が弱く(長女は30歳で死去、二女、三女は幼少で死去)、夫の果も35歳の若さで亡くなります。37歳のときに梅子とともに、アメリカのデンバーで開催された婦人倶楽部万国大会に日本代表として参加しました。

 42歳のときに滝乃川学園長の石井亮一と再婚します。その後は、夫とともに学園での福祉と奉仕の活動に専念することになります。

 講座では、いづみこさんがCDのクープランの「ゆりの花ひらく」「春」(クラブサン第13組曲より)、ベートーヴェンの「月光の曲」第一楽章を聴きました。ピアノ演奏は、スカルラッティの「ソナタ・行列」、チャイコフスキーの「子供のアルバム」からの数曲などでした。

 なおこの「天使のピアノ」をめぐるエピソードなどについては、常盤貴子主演の映画『筆子、その愛』でも紹介されたそうですが、わたしは未見です。

 CDと本を買ってきましたので、いずれまたこのブログに紹介文を掲載します。また、『ピアニストが見たピアニスト 名演奏家の秘密とは』を持参してサインをもらってきました。

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