【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

テネシー・ウィリアムズ/小田島雄志訳『欲望という名の電車』新潮文庫、1998年

2011-12-07 00:05:05 | 演劇/バレエ/ミュージカル

           
 「欲望という名の電車」は演劇の世界では不朽の名作と言われ、世界各国で上演され、日本でも例外でありません。女優になったからには、この作品のブランチ役を一度は演じたいと思っている人は多く、その表明をあちこちで目にします。

 映画ではビビアン・リーとマーロン・ブランドの主演による「欲望という名の電車」(エリア・カザン監督、1951年)が有名です。近々、青年座のこの「欲望という名の電車」を観劇に行く予定なので、原作を読みました。小田島雄志さんの名訳です。

 あらためて、素人が脚本を読むことの難しさを感じました。一読すれば筋はわかります。しかし、脚本ですから対話と簡単なト書きがあるだけです。脚本を本で、これを舞台化するのは、なみななみならぬ創造力、想像力が必要と思われ、実際にそういう方たちは演出家として存在するわけですから、その人たちの才能にあらためて敬服する思いでした。脚本だけ読んで、俳優さんがセリフを暗記し、形としてそこにコミュニケーションが成立してもそれだけでは舞台になりません。

 場所はアメリカはニューオリンズ市のフレンチ・クォーター。<極楽>という名の街路に面した、ある街角の二階建ての建物のあたり。貧困の街区です。5月のたそがれどき。
 そこにブランチ・デュボアが妹のステラ・コワルスキーを訪ねてやってきます。ブランチは南部の大農園の娘でしたが、身をもちくずし、アル中気味です。
  妹の夫スタンリー・コワルスキーは粗野な性格の持ち主です。カードと酒に狂いステラにつらくあたるのですが、彼女はこの男に全身を捧げて生活しています。そのような妹夫婦の日常にあきれつつ批判的でありながら、ブランチはステラのアパートに身をよせるうちに、スタンリーのカード仲間ミッチに次第に関心を持つようになります。
 ミッチは母と2人暮らしの純情な独身者で、真面目にブランチとの結婚を考え、彼女も彼に、年若の夫を失った暗い過去を打ち明けて、将来への希望を語るのでした。

 しかし、スタンリーは街の仲間から、ブランシュが実は身もちをくずした女で、17歳の少年をたぶらせたかどで故郷を追われた女だということを噂に聞き、この事実をミッチにつげぐちするのでした。
 ブランチの誕生日に、ミッチは来ず、スタンリーは彼女に贈り物として故郷へ帰る片道切符を渡します。
 その夜ステラがにわかに産気づき、スタンリーと病院に出かけたあと、ブランチは訪ねてきたミッチに結婚を迫るのですが、彼はもはやその言葉に耳をかそうとさえしません。
 夜更けて戻ってきたスタンリーは、ブランチが1人泥酔しているところを暴利力的に迫ります。さて、この顛末は??

 そこにあるのは人間と人間の、あるいは人間の内面の確執と葛藤の世界。具体的には、ブランチとスタンレリーによって象徴されるアメリカ南部の没落地主階級の文化と貧民街の労働者の粗暴な生命力との対立、ブランチのなかの過去と現在、幻想と現実、死と生(性)の葛藤です。これらが未解決のまま、傷口もあらわに読者のまえに投げ出されています。


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