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【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

逢びき(Brief Encounter)デヴィット・リーン監督、イギリス、1945年。

2019-11-30 18:27:18 | 映画

                        

 
この映画は、中年の人妻と医者との束の間の、行き場のない愛をテーマとした佳作。家庭のある女性の平凡な日常に生まれた愛情がテーマである。木曜日だけの短い逢いびき。原作と脚本はイギリスの著名な劇作家、ノエル・カワード。「きざな会話や劇的な場面はひとつもない。それゆえに、ありふれたメロドラマに終わらなかった極上の叙情詩」である。

 ローラ・ジョンソン(シリア・ジョンソン)には、実業家の夫と二人の男の子がいた。何不自由のない幸せな生活であった。ローラは毎週木曜日にケッチワースからミルフォードの街に出掛け、買い物。午後は映画で気晴らし。夕方の汽車で帰宅するのが習慣であった。ある日、駅のホームにいたローラは、汽車の排煙から出たススが目に入り、とれなくなった。医者であるアレック・ハーベイ(トレーヴァー・ハワード)がたまたまそこに居合わせ、親切にススを取り除いてくれた。

 翌週の木曜日、ローラは再びミルフォードへ。買い物の途中、偶然アレックに会った。思いがけない再会に、爽やかな挨拶。帰り際、駅でチャーレー行きの汽車を何げなく見送る。そして、次の週。夫の誕生日のプレゼントを求め、混んだレストランで食事をしていたところに、アレック飛び込んで来た。同じテーブルで食事。ローラはここでアレックがチャーレーで家族とともに住み、木曜日だけ大学で同期だった友人が主任であるミルフォードの病院に代診にきている医者と知った。その日の午後、二人は一緒に映画を見て、帰りの汽車を待つ駅の喫茶室で、次週の再会を約束して別れた。予防医学のことなどを少年のように熱っぽく語るアレックに、ローラは何かしら惹かれるものを感じたが、一方で危険な匂いを直感し、「二度と逢うまい」と心に誓うのだった。

 約束の木曜日、約束を儀礼的に果たそうとレストランでアレックを待った、彼は現れない。急の手術が入ったためだった。ケッチワースに帰る時間になり、駅の喫茶室で汽車を待っていると、彼が息を切らして駆けつけた。次週のデートを約束し、チャーレー行きの汽車に飛び乗るアレック。

 翌週。二人は映画鑑賞を早めに切り上げ、散歩。ボートを漕ぎ、楽しい時間を過ごした。アレックは、ローラに愛の気持ちをうちあけた。ローラも同じ思いであったが、お互いに家庭があり好き勝手なことはできない、障害が多すぎる、今なら後戻りできる、分別をとりかえさなくては、と訴えた。別れ際の抱擁と接吻。ローラはロマンチックな甘い夢に酔い、アレックとパリ、ベニスと世界中を旅行している自分に酔った。帰宅後、夫に嘘を言った、「映画を一人で見て、食事を友達のメアリーとした」と。結婚後、夫についた初めての嘘であった。

 アレックとローラはデートを重ねた。不実の愛情はどこに行きつくのであろうか。友人から借りた車でローラと田舎をドライブ。二人の関係は危うかった。どんなに二人が愛し合っているかも、互いに理解していた。留守中の友達のアパートにローラを誘うアレック。彼女はこれを拒否し、いったんは帰ろうとし、汽車の座席にすわったが、思い直して彼の待つアパートの一室に戻った。ところがそこに風邪気味で急遽予定を変更して、友人が帰って来た。ローラは慌てて裏階段から逃げ、降りしきる雨のなかを逃げ帰った。ローラは愚かな自分を問いつめ、良心の呵責に苛まれ、涙を流す。部屋に置き忘れられた女物のスカーフを見つけた友人は、アレックを非難した。アレックは、ローラを追った。泣き崩れるローラにアレックは、別れの決断を告げた。兄が開いたアフリカのヨハネスブルクの病院に行くとの決意であった。

 想い出の田舎へのドライブの後、最後の別れの場面。駅の待合室で二人は沈痛な面持ちで汽車を待っていた。そこへ偶然、ローラの友人ドリーが現れて、二人の事情に無頓着に喋りかけてきた。二人は別れの言葉を交わすこともできず、アレックはローラの肩に軽く手を押して、やがて入って来た汽車に乗るのだった。この映画の冒頭の場面に戻る。アレックは、チャーレーに帰る。列車の音に耳を澄ますローラ。

 ローラは力を落として帰宅。精彩が無い。「この切ない気持ちは、いずれ忘れるわ。しっかりしなきゃ。永久に続くものはない。幸せも絶望も、人生だって。今に平気になる時がくる。あの一瞬一瞬を覚えていたい。いつまでも」。全てを察した夫は「遠くに旅していたようだったね。よく戻って来た」と優しく彼女を抱くのだった。

 効果的に流れるラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の旋律。人々が往来するミルフォード駅の喫茶室の風景。蒸気機関車の黒い車体と汽笛。二人の関係が容易ならざるものに向かって行くことを伝える画面展開。デヴィット・リーンの巧みな演出とそれに応えた二人の名優が忘れられない。第一回(1946年)カンヌ映画祭グランプリ、国際批評家賞。


小栗康平「泥の河」(1981年、105分)

2019-11-12 20:08:09 | 映画

 「泥の河」は宮本輝さんの小説(同名のタイトル)が映画化されたものです。この映画が公開された頃に、札幌のどこかの映画館で観た記憶があります。印象的でした。
         

 今回は2回目の鑑賞です。いくつかのシーンは覚えています。また改めて観て、よみがえってきたシーンもあります。そして全く忘れてしまっていたシーンがあったことを思い知らされました。

 昭和31年。舞台は大阪。安治川の川べりでうどん屋を営む家族がいます。男の子がひとり。名前は信雄(朝倉靖貴)。そしてその父母、晋平(田村高広)と貞子(藤田弓子)。ある日気づくと、お店の近くに船宿が浮かんでいました。船のなかでは、男女の子ども姉弟が二人と母親(加賀まり子)が生活していました。男の名前は喜一(桜井稔)、女の子の名前は銀子(柴田真生子)。

 ストーリーはこのうどん屋の子どもと船宿の男の子が仲良くなり、その交流です。とは言っても、船宿は、噂によれば、行ってはいけないところのようです。そこでは女性が男を呼び込んで、「商売」をしているようなのです。

 うどん屋のお父さんはみるからにいい人物で、船宿の姉弟を呼んで、食事をさせたり、手品を披露して喜ばせたりします。お母さんもちゃきちゃきした働き者の女性です。女の子と一緒にお風呂に入って、背中を流しあったりで歓迎します。

 天神祭りの日。すっかり仲良くなった信雄と喜一は、お小遣いの50円を握りしめて出かけますが、喜一はそのお小遣いを雑踏のなかで落としてしまいます。運悪く、あずかっていた信雄のお小遣いも一緒になくしてしまいます。

  しょんぼりした喜一は、信雄を船宿に招き、自慢の泥の河につっこんだカニの巣をとりあげ、たくさんのカニを得意げに見せます。喜一はカニの甲羅にランプの油を塗ってマッチで火をつけて遊びます。そして・・・・

 最後のシーンが悲しい。

 

 


アーヴィング・ラッパー監督「アメリカ交響楽(Rhapsody in Blue)」(アメリカ、1945年)

2019-11-11 23:51:15 | 映画

      
 アメリカに生まれ、38歳で脳腫瘍のため亡くなったブロードウェイの作曲家ジョージ・ガーシュウィン(ロバート・アルダ)の生涯を映画化した作品。ジョージの人生の喜びと苦悩、彼を中心とする家族、友人とのつながり、ジョージが目指し、作り上げた音楽とその環境などを知ることができるだけでなく、音楽、踊りがふんだんに盛り込まれ独特の音楽的香りを持った作品である。アル・ジョンソン、ポ-ル・ホワイトマン、オスカー・レヴァントなどのジャズ演奏家本人が出演しているほか、俳優が扮してではあるがラヴェル、ハイフェッツ、ラフマニノフなどクラシック界の大御所も出てくる。音楽ファンにはたまらない。

 ジョージは、子どもの頃からピアノを弾く才能があった。両親、とくに母親は家にピアノがあると文化的になるという理由から、また兄のアイラが弾いてくれたらと期待して中古のピアノを購入した。ところがピアノに真っ先に向かったのはジョージで、人に習ったわけでもないのに曲をひき、両親を驚かせた。それと言うのも、ジョージは音楽が好きで機会があればピアノに向かい練習をしていたからであった。両親はそれを知らなかっただけであった。

 音楽を本格的に学ぶことになったジョージはピアノ(特にドビュッシーやラヴェル)と理論・オーケストレーションに打ちこんだ。最初の目標はクラシックのピアニストだったが、結局、彼は十五歳で高校を中退。ポピュラー音楽の作曲家・出版社が集まるニューヨークの一地域にある出版社レミックで楽譜宣伝用のピアニストになった。彼はここで自作の曲をいくつか書くが、レミックには気に入られない。また、ジュリー・アダムスという女性に出会い、生涯の友人となるきっかけを得たが、自作曲スワニーを彼女に歌わせたことでレミックと決裂、結局ジョージはそこを辞めざるをえなくなった。その後、彼は地方廻りの伴奏ピアニストをし苦労したが、一九一九年、初めてのブロードウェイのショー作品 La、 La、 Lucille で転機を得た。100回もの公演を続けるなか、当時大スターであったボードビリアンでジャズ・シンガーのアル・ジョンソン が スワニーを自分のショーに取り入れ、これが大ヒット。映画ではここでジョンソン本人が登場して、この歌をたっぷり聴かせてくれる。ジョージは、ソングライター界で一躍有名になった。「アメリカは今、成長しつつある国だ。羊と狼、理想と現実が矛盾しながら同居している。アメリカに声を与える音楽家になって欲しい」とフランク先生がジョージを励ますシーンも感動的だ。

 兄のアイラと二人でコンビを組み、数々の名曲を生み出したジョージ。しだいに、クラシック音楽に対する憧れが強くなり、本物の音楽を学びにパリに飛んだ。その成果は The Rhapsody in Blue や An American in Paris、 Concerto in F として現され、オペラ Pogy and Bess はその集大成となる作品であった。不朽の名作  Summertime  で有名なこのオペラは、Dubose Heywardの小説をもとにつくられた作品である。主要な作品は映画の中でも紹介され、楽しい。さらに、家族の人達に大事にされていたジョージ、またジュリー・アダムスとの恋愛、作曲だけでなく舞台、コンサート、撮影所とのかけもちで多忙だったガーシュインの生活が描かれている。

 脳腫瘍のせいか、疲労のせいか、彼はしだいに頭の痛みを訴え始め、指が自由に動かなくなった。ピアノ弾きにとっては、致命的な症状であった。最後の場面、ジョージの死がコンサート会場に伝えられ、友人のオスカー・レヴァントが追悼で The Rhapsody in Blue をピアノ演奏。ジュリーの顔、そして生涯独身であった生前のジョージの演奏姿が重なって行く。


パーシー・アドロン監督「バグダッド・カフェ」(西ドイツ、91分、1988年)

2019-11-10 22:46:00 | 映画


 なんとも独特のニュアンスのある映画です。2回目の鑑賞です。10年ほど前に初めて観ました。BSで観た今回が、2回目です。

  アメリカのラスベガス近郊のモハーヴェ砂漠のなか。ひなびたカフェがある。モーテルでもあり、簡易宿泊ができる。来るお客は少ない。ここを仕切っているのは、ブレンダ(CCH・パウンダー)という女性。ギスギスした雰囲気であり、家族がいるが怒鳴りあっている。夫とは喧嘩をし、追い出した(逃げていった?)。

  そこに太っちょのドイツ女性がひとり、とぼとぼ荷物を引いてやってくる。あてもなくここに来た様子。宿泊の申し込みをする。名前は、ジャスミン(マリアンネ・ゼーグブレヒトが)というようだ。
  この女性もわけあり人生の様子。映画の冒頭で夫と一緒にラスベガスを目指していたが、ささいなことで言い争いになり、車から降ろされ、おいてけぼりになった。砂漠のど真ん中で。やっと歩いてこのカフェにたどり着いたという感じである。

 ブレンダはこの女性の宿泊を許可するが、うさんくさげで、ジャスミンの様子をうかがう。ジャスミンはジャスミンで、マイペースで部屋のなかを整えたりし、そのうち長居になってくる気配。ブレンダはこの怪しげな女性に落ち着かない。保安官を呼んで調べさせたりするが、とくに問題なし。ますますいらだつブレンダ。

  ジャスミンはしだいにブレンダの子どもたちと仲良くなる。ブレンダはそのことにも面白くない。

   だが次第にジャスミンはカフェにたむろする人たちとなじんでいく。覚えたマジックで人気を博し、噂を聞いて、お店に来る人も増えていく。お店が繁盛しているのであれば、ブレンダも悪い気持ちはしない。彼女への不信感も徐々に消えていく。否、むしろ親しみ、信頼さえ生まれてくる。子どもたちも、かつてハリウッドの大道具の仕事をしていた画家(ジャック・パランス)もジャスミンをしたうようになる。が、突然・・・。ジャスミンに不法就労の疑いが・・・。

  何度も書くが、筋立ては以上のようだが、このように話がきちっと進んでいくわけではなく、独特のセンスでシーンが展開する。カットが短く、意表をついてくるので、目をはなせない。ブーメランが飛んでいたり、手品があったり。

   映画のなかに挟まれているジェヴェッタ・スティールの「コーリング」という歌がアンニュイで記憶のなかにきざまれる。相当、流行ったようである。監督はパーシー・アドロン。主役のマリアンネ・ぜーぐブレヒトが好きで、この映画を作ったという。

  

 


アラン・クロスランド監督「ジャズ・シンガー(The Jazz Singer)」(アメリカ、1927年)

2019-10-30 22:20:56 | 映画

              
  この映画は、ユダヤ教の厳格な父に育てられた少年ジェイキーが家の伝統を継がず、家出してジャズ・シンガーとなり、成功をおさめ、父の死の直前に和解するという物語。世界最初のトーキー映画である。全体の3分の2ほどが画面展開に説明文字を挟む従来のサイレント版、残りの部分が歌の入るトーキー版になっている。

 ニューヨークのユダヤ人街に暮すユダヤ教のラビノウィッツ家は五代にわたって司祭長をつとめ、教会の聖歌の先唱役を担う家柄、父親は息子ジェイキー(アル・ジョルソン)を後継ぎにするべく教育したが、彼は父の言いつけにそむき、酒場で歌を唄っていた。父はジェイキーを勘当同然に扱った。ジェイキーは家業を継ぐことを嫌い、家出。母親はそんなジェイキーに同情し、父親にとりなそうとするが聞き入れなかった。

 家出したジェイキーはショー・ビジネスの世界に飛び込み、数年を経てジャズ・シンガーとなり、名前もジャック・ロビンと変える。酒場でうたう(「汚い手、汚い顔」「トッツィー」など)。彼は、メアリー・ディル(メイ・マカボイ)という女性を紹介された。彼女は、彼の「声に涙がある」と賞賛。互いに心が惹かれあい、彼女の援助を得て、ジェイキーはニューヨークのブロードウェイの舞台公演ミュージカル・コメディに出演することとなった。ニューヨークに戻ってジェイキーは久しぶりに家に寄り、母と対面し、ジャズ・ピアノを演奏してみせるが父親とは依然対立が続いた。

 公演を翌日に控えた日、教会では贖罪の式の日にあたっていたが、先唱役を担うはずの父が危篤であることを知らされた。舞台出演と父と和解して欲しいとの母の願いの間で、ジェイキーは悩む。

 悩みに悩んだ末、ジェイキーは母親の懇願を受け入れ公演を中止。父の最期に立会い、和解した。先唱役として聖歌隊とともに唄った。

 ラストシーンは、ショーでの舞台。黒人風に黒塗りのメークアップでジェイキーが母親の前で唄う「マミー」は、情がこもって秀逸。


ジャン・ピエール・メルヴィル監督「影の軍隊 (L’armee des Ombres)」(フランス,1969年)

2019-10-29 21:03:03 | 映画








1942年,ドイツ占領下のフランスで実際にあったレジスタンスの闘士として生きた活動家の物語です。パリ,ロンドン,マルセイユ,リヨンを舞台に,組織的連繋のなかで展開された地道な抵抗運動の様子が淡々と,しかし時として非情な形で綴られます。

第二次世界大戦中に出版されたジョゼフ・ケッセルの小説の映画化。全編に重苦しい雰囲気が漂うレジスタンスの闘士たちへのレクイエムです。

リノ・ヴァンチュラ、シモーヌ・シニョレが好演です。

バッファロー,ルピン,ジョニー,フィリップのいずれの闘士もレジスタンス活動を続けるなか,ゲシュタポに捕まり,非業の死を遂げます。そのことが告げられ,映画は幕となります。戦時下,ドゴール派の抵抗活動の様子を,虚飾のない抑制されたスタイルで描いた佳品です。



フォルカー・シュレンドルフ監督「ブリキの太鼓」(西独・フランス、1979年、142分)

2019-10-29 10:58:14 | 映画

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以下のような、奇怪な話が連続する。それだけ読めば、なんとも不条理なとりとめもない映画に思えるのだが、実際に観ると不思議な魅力をもった映画である。映画史ではかなり高い評価を得るのが常である。それもうなずける。

19399月l日、ダンツィヒの郊外のカシュバイの荒野で芋を焼いていたアンナ(ティーナ・エンゲル)がスカートのなかに逃亡兵を匿い、それが原因で(?)女の子が産まれる。

・第一次大戦、成長した女の子アグネス(アンゲラ・ヴィンクラー)はドイツ人のアルフレート・マツェラート(マリオ・アドルフ)と結婚。しかし、彼女は従兄のポーランド人ヤン(ダニエル・オルブリフスキ)と愛し合いオスカルを生む。

3歳になったオスカル(エンゲル・ベネント)は誕生日に、母からブリキの太鼓をプレゼントとしてもらう。この日からオスカルは成長がとまる(成長を拒否し自ら階段から落ち成長を止めた)。この時、オスカルは超能力をもつようになり、太鼓を叩きながら奇声をあげるとガラスがこなごなに割ることができるようになる。

・毎週木曜日になると、アグネスは安宿でポーランド郵便局に勤めるヤンと愛し合う。

・オスカルが市立劇場の大窓のガラスを割ったその日、第三帝国を成立を狙うヒットラーの声がラジオの拡声器をとおしてダンツィヒの街にに響いた。

・両親とサーカス見物に出かけたオスカルは、そこで10歳で成長を止めたという団長のベブラ(フリッツ・ハックル)に会う。オスカルは彼から小人の生き方を聞く。

・ヤンも含めた海岸に遠出したおり、岸に打ち上げられた馬の生首からウナギがはい出てくる。それを目にしたアグネスは激しく嘔吐する。実は彼女は妊娠していた。ヤンが父親である。

・その事件以来、魚をむさぼる彼女は自死する。

・やがて、ナチ勢力が跋扈し、ポーランド郵便局襲撃事件が起こる(19399月l日)。そこで銃殺されるヤン。


・マツェラート家に、オスカルの母親がわりに16歳の少女マリア(カタリーナ・タールバッハ)が来る。オスカルとベッドを共にする彼女は、やがてアルフレート(マツェラート)の妻になり、息子クルトを生む。


・クルトを自分の子と信じるオスカルは、その子が3歳になったら太鼓を贈ると約束する。

再会したベブラ団長と共に慰問旅行に出る。オスカルは慰問団のヒロイン、ロスヴィーダ(マリエラ・オリヴェリ)といい仲になるしかし、連合軍の襲撃の日、彼女は爆撃のなかで死んだ。

・クルトが3
歳の誕生日。ドイツ敗戦の前夜であった。銃撃戦でソ連兵に射殺されるマツェラート。

・マツェラートの葬儀の日、オスカルはブリキの太鼓を棺の中に投げ入れ、彼は成長していくことを決意する。


・祖母アンナ(ベルタ・ドレーフス)は彼を介抱しながらカシュバイ人の生き方を語る。


・成長をはじめたオスカルは、アンナに見送られ、汽事に乗ってカシュバイから西ヘと向かって行く。



マレーネ・ディートリッヒの美しさ

2019-10-28 20:10:48 | 映画

ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督『嘆きの天使』(ドイツ)1930年、80分     

 

 教育に携わる者は洋の東西を問わず,世俗から一線を画して人生を生きていがちです。そのため,世俗の世界に踏みこむと,そもそも免疫がないので,その世界に埋没し,身を滅ぼすことがあります。教育者たる男性の理性が女性の魔力に跪くとき,事態はもっと悲劇的です。

 この映画は,独身中年男性の教育者がその人生を破滅させていく悲劇的結末を,明快な構成で示した作品です。同時に,この映画の内容は,上映当時,ベルリンに花開いたワイマール文化を象徴していました。映画の主題は,悦楽を享受する大衆文化による旧来の古い道徳的,権威主義的な価値観の駆逐でした。

 原作は,ハインリッヒ・マンの小説「ウンラート教授(ダメ教授)」。ハインリッヒ・マンは「魔の山」で有名なトーマス・マンの弟です。

 舞台はドイツの港町,ハンブルク。イマヌエル・ラート(エミール・ヤニングス)はギムナジウムの英語教授で独身です。厳格な,しかし鼻持ちならない堅物教師で,生徒たちから「グズのラート教授」と綽名がつけられていました。

 ある日,ラート教授は悪戯生徒がもっていた踊り子の写真を発見し,その写真を手掛かりに彼らが「嘆きの天使」という居酒屋に通っていることを突き止めました。

 彼は居酒屋に見回りにでかけました。これがラート教授の運のつきでした。

 居酒屋には大勢の踊り子がいましたが,なかでも歌がうまかったのは,抜群の肢体の持ち主であったローラでした(マレーネ・ディートリッヒ)。

「嘆きの天使」に出入りするうち,ラート教授はローラに優しくされ,そこがすっかりいごこちのよい場所になってしまいました。

 ローラは、居酒屋
で官能的に唄います。「♪恋するために生まれてわたし,恋だけがわたしの生きがい。♪わたしはそういう女なの,わたしは恋しかできない女。♪寄ってくる男たちは火傷する,焔にむらがる蛾のように。♪恋するために生まれてわたし,わたしは恋しかできない女」

 ラート教授の噂は学校内のスキャンダルとなりました。この後の展開はいかに??

 1933年,ナチスがこの映画をその「退廃性」を理由に上映禁止としたことは有名です。ドイツ映画の凋落は,ナチスの台頭とともに始まりました。

監督: ジョセフ・フォン・スタンバーグ,製作: エリッヒ・ポマー,原作: ハインリッヒ・マン,脚本: ロベルト・リーブマン,撮影: ギュンター・リター,音楽: フリードリッヒ・ホレンダー 

出演: エミール・ヤニングス,マレーネ・ディートリッヒ,クルト・ゲロン,ハンス・アルベルス


世界的ベストセラー「アンネの日記」の映画化

2019-10-28 00:03:58 | 映画


ジョージ・スティーヴンス監督「アンネの日記」米、1959年、150分

「アンネの日記」は世界的ベスト・セラーになったアンネ・フランクの同名の日記の映画化です。

 舞台はオランダ。アンネはユダヤ人の少女。ナチスの強暴なユダヤ人狩りをのがれ,アンネは家族(父,母,姉)とともに,彼らに好意をもつクラレル氏の工場の屋根裏部屋で暮らしています。もしナチに見つかれば、そのまま収容所おくり。物音をたてないよう息をひそめる毎日,アンネは日記を書き続けます。

 屋根裏生活に別の家族が加わり,アンネはその家族の男の子ピーターと親しくなります。周囲の人にも温かく見守られ,若者らしい会話がかわされます。

 しだいに食糧がなくなり,共同生活が成立たなくなると思われた矢先,ラジオが連合軍のノルマンジー上陸を報道がありました。歓喜して,抱き合っているところに,靴の足音。しかし,足音はゲシュタポのそれでした。

 アンネもピーターも無慈悲に収容所に連行されていきます。何と悲しい結末でしょう。

 屈託なく,人間を信じて疑わなかったアンネを演じたミリー・パーキンスは,小柄で黒い大瞳,利発な顔立ちに短い黒髪,役柄にぴったりの少女でした。


グレン・ミラー物語(The Glenn Miller Story)アンソニー・マン監督、アメリカ、1954年

2019-10-27 21:10:31 | 映画
「ムーンライト・セレナーデ」などの名曲でビッグ・バンドの黄金時代を築いたスイング・ジャズの神様、グレン・ミラーの半生を、妻ヘレンとの愛情に重きをおいて映画化した作品である。ストーリーはいくつかのエピソードを織り込み、軽快な多数の音楽が挿入されて展開する。

 妻になるヘレンとの出会いと結婚。ロサンゼルスのベン・ポラック楽団に在籍するトロンボーン奏者グレン・ミラー(ジェームス・スチュアート)は、楽団が彼の出身地デンバーを訪れたさい、大学時代の同級生ヘレン(ジューン・アリスン)の家に二年ぶりで電話をかけ、仕事が終わり次第、訪問することを約束した。ヘレンは彼を待つがなかなか来ない。夜半になって、グレンは待ちくたびれて就寝中のヘレンを通りから大声をあげて起こし、パジャマ姿の彼女に質屋で求めた「真珠の首飾り」のフェイクを誕生日祝いにプレゼントした。

 翌日、二人は母校コロラド大学を訪れた。ヘレンは、グリークラブが歌う「茶色の小瓶」を大好きな曲だと言った。グレンはこれからシカゴ、ニューヨークと巡業に出ること、自分の楽団をもち、自分の音楽を作ることが夢であると話した。ところが、そこへ友人のチャーミーが車でグレンを迎えにきて、唖然としているヘレンをのこし、立ち去ってしまった。二年後、グレンはポラック楽団を辞め、苦しい生活の中で編曲を中心とした音楽づくりに苦労していた。夜のニューヨークの通りを歩いていると、ばったり知人に出会った。彼にショウのための新しい楽団編成への誘いを受けた。直後、グレンは街角で「茶色の小瓶」の曲を耳にし、突如ヘレンを思いだした。「結婚だ、もう待てない」と、別の男性と婚約中であった彼女を電話でロサンゼルスから呼び出し求婚。

 強引な結婚の後、やりくり上手なヘレンが貯めていた「グレン・ミラー楽団基金」でグレンはバンド活動を開始した。しかし、「本当の楽器の組み合わせが分からない」との模索の中、トラブルでバンドは解散、そしてヘレンの流産。その後、苦労の甲斐があり、知人の援助もあってバンドは復活。サックスとクラリネットをとりこんだ美しい演奏で大人気を得た。スイングを中心とした新しい音楽のスタイルが受け入れられ、レコードの売上げは驚異的な伸びを示した。二人の養子もでき、グレンもヘレンも幸せだった。おりしも第二次世界大戦、入隊の請願をしたグレンは大尉として任官通知を受けた。「軍の中でも自分の楽団を持ちたい」と言うグレンの願いがかない、軍の式典でのブルース演奏が、国を出る者に何よりの贈り物になったと評価されたのを契機に「グレン・ミラー楽団」が編成された。グレンは、戦時下のロンドンで連合軍の慰問演奏を続けた。

 連合軍の欧州上陸、パリ解放、終戦も間近と思われた一九四四年一二月、グレンはクリスマス特別番組に出演するために濃霧の大西洋をロンドンからパリに飛んだ。これが運命の搭乗となった。グレンの乗った飛行機はパリに着かず、彼は事故で帰らぬ人となった。クリスマスのパリからの生中継を、本国で子ども、友人のチャーミーと聴くヘレン。ラジオでグレン・ミラー楽団が奏でたのは、この日のヘレンのために彼が編曲したスウィング版「茶色の小瓶」であった。

 ルイ・アームストロング、シーン・クルーパ、モダネイヤーズ、フランセス・ラングフォード、マーティー・ナポレオン、ベイブ・ラッシンらの演奏家が特別出演している。


マーヴィン・ルロイ監督「心の旅路」(アメリカ、1947年)

2019-10-21 23:51:21 | 映画
豊かな,しかしシリアスな人間ドラマを製作した1940-50年代のアメリカ映画のひとつです。グリア・ガースンの美しさが光ります。

第一次大戦末期、イギリス中部のメルブリッジの精神病院に、戦線で砲弾のショックで過去の記憶を失ったジョン・スミス(ロナルド・コールマン)という兵士が収容されていましたが、ある霧の深い日、彼は町からさまよいでてしまいます。ところがあるバーでポーラ(グリア・ガースン)と偶然出会います。彼女はジョンの境遇をしり、同情もあって、心をよせるようになります。ふたりはデヴォンの静かな片田舎で生活をはじめ、男の子が生まれます。

ジョンには原稿を書く仕事も入ってきます。しかし、ある日、新聞社を訪ねる途中で、車にぶつかり大けがをします。そのショックで忘れていた記憶がよみがえり、陸軍大尉時代の自分をとりもどしますが、逆にポーラとの3年間の生活が記憶から消えてしまいます。

ジョンは本来のチャールズ・レーニアになり、とんとん拍子に実業家として出世します。逆にポーラは家を出たまま行方不明になったジョンを探しますが、見つからず、男の子もなくし、途方にくれていました。偶然、雑誌の記事で実業家チャールズが秘書を探していることを知り、応募し採用されます。ポーラはジョンのもとで一生懸命働きますが、3年間の記憶を失っているジョンは気が付きません。さて、この二人の関係の行方は・・・。









三谷幸喜監督「記憶にございません」(2019年)

2019-09-26 22:00:37 | 映画


「MOVIXさいたま」(さいたま新都心)で三谷幸喜監督「記憶にございません」を観ました。黒田首相(中井貴一)が演説中に石を額にぶつけられ、記憶を失います。かつて政治をしきっていたときのことを忘れてしまい、とりまきの官房長官(草刈正雄)、大臣、秘書官、事務官、SPをあわてさせます。

首相はそれまで家族にも無頓着で、悪政にまい進して、国民の反感をかっていました。しかし、この事故で覚醒し、国民のための政治をとりもどそうとします。それを阻もうとする官房長官などなど。

三谷幸喜監督らしいユーモア、お笑いが満載です。ただ、もう少し現政権にたいする「辛口のわさび」をきかせてほしかったです。笑って終わりでは映画の魅力は半減です。






映画鑑賞歴【2019年8月分】

2019-09-23 11:25:27 | 映画
8/1:ブライアン・デ・パルマ監督「ファム・ファタール」アメリカ、2002年、☆☆☆★
8/2:ジョージ・マーシャル監督「青い戦慄」アメリカ、1946年、☆☆
8/4:フリッツ・ラング監督「暗黒街の弾痕」アメリカ、1937年、☆☆☆☆
8/5:ロバート・シオドマク監督「裏切りの街角」アメリカ、1948年、☆☆☆★
8/7:マイケル・マン監督「インサイダー」アメリカ、1999年、☆☆☆☆
8/8:ジャン・ピエール・メルヴィル監督「影の軍隊」フランス、1969年、☆☆☆☆
8/8:ジャン=ピエール・メルヴィル監督「この手紙を読むときは」フランス、1953年、☆☆☆★
8/9:ジャン・ルノワール監督「十字路の夜」フランス、1932年、☆☆☆
8/10:ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「パニック」フランス、1946年、☆☆☆☆
8/11:ジョン・ブアマン監督「テイラー・オブ・パナマ」アメリカ、2001年、☆☆☆★
8/11:アンリ・クルーゾー監督「犯罪河岸」フランス、1947年、☆☆☆☆
8/12:イヴ・アレグレ監督「デデという娼婦」フランス、1947年、☆☆☆☆
8/13:オットー・プレミンジャー監督「天使の顔」アメリカ、1953年、☆☆☆☆
8/14:ジュールズ・ダッシン監督「裸の町」アメリカ、1948年、☆☆☆★
8/15:クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」アメリカ、2006年、☆☆
8/16:ビリー・ワイルダー監督「情婦」アメリカ、1957年、☆☆☆☆」
8/17:ロバート・モンゴメリー監督「湖のなかの女」アメリカ、1946年、☆☆☆
8/18:ロバート・シマドマク監督「らせん階段」アメリカ、1946年、☆☆☆★
8/19:フランク・タトル監督「ガラスの鍵」アメリカ、1935年、☆☆☆
8/20:アンリ・クルーゾー監督「密告」フランス、1943年、☆☆☆★
8/21:ロバート・ワイズ監督「罠」アメリカ、1949年、☆☆★
8/22:ジャン・ルノワール監督「ランジュ氏の犯罪」フランス、1936年、☆☆☆★
8/23:マックス・オフュルス監督「無謀な瞬間」アメリカ、1949年、☆☆☆★
8/25:関川秀雄監督「ひろしま」日本、1953年、☆☆☆☆
8/29:ウィリアム・ワイラー監督「我等の生涯最良の日」アメリカ、1946年、☆☆☆★
8/30:ヴィットリオ・デ・シーカ監督「靴磨き」イタリア、1946年、☆☆☆
8/31:フリッツ・ラング監督「恐怖省」アメリカ、1944年、☆☆☆★

ロバート・シオドマク監督「らせん階段」(アメリカ、1946年)

2019-09-01 20:31:39 | 映画


ニュー・イングランドのあるまちの郊外にたつ古い館。主はウォーレン夫人(エセル・バリモア)。病床にあり、2階で寝たきりになっています。他に長男(継子)でウォーレン教授(ジョージ・ブレント)とその女秘書ブランシュ〈ケント・スミス〉、酒好き家政婦のオーツ夫人とその夫、看護婦のバーカー、そしてヨーロッパから戻ってきたウォーレン夫人の息子スティーブン(ゴードン・オリヴァー)が住んでいます。

 ここに女中として雇われていたのがヘレン(ドロシー・マクガイア)です。言葉が不自由です。ヘレンは子供のころに自宅で火事にあい、両親を亡くし、その時のショックで声を失っていました。若い町医者パリーは何かとヘレンの面倒を見ています。

 この町で殺人事件が続けておこります。犯人はわかりません。奇妙なのは体の不自由な若い女性ばかりが狙われたことです。ウォーレン夫人はヘレンのことを心配し、他の町に行くように指南します。しかし、ウォーレン教授は、反対し、ヘレンをひきとめます。

 スティーブンはブランシュに好意をよせ、そのことがきっかけとなって喧嘩になります。それを知ったブランシュは館を出ていくことを決意し、荷物をまとめるために地下室におります。しかし、あろうことか、ここでブランシュが殺されます。ヘレンがその絞殺死体を発見し、そこで偶然スティーブンとでくわします。ヘレンは彼が犯人と思い、だしぬいて地下室に鍵をかけ閉じ込めてしまいます。その夜、館のなかは閑散としていました。女主人は瀕死の状態でベッドに横たわったまま、家政婦のオーツは厨房で酔いつぶれ、その夫は町に使いにいき、看護婦パーカーは館に嫌気がさして出ていってしまっていました。
 とりのこされ、不安を感じたヘレンは、ウォーレン夫人のいる部屋に行こうと、らせん階段を駆けあがると、そこで教授とはちあわせになります。ヘレンは紙に「ブラッシュが殺された、犯人のスティーブンを地下室にとじ込めた」と書きつけ、示します。教授の顔はひきつります。聾唖のヘレンは、身の危険を感じ、ウォーレン夫人のところに駆けつけ、拳銃の所在を質しますが、夫人は昏睡の状態。ヘレンは気が動転し、気が狂ったように、邸内をかけまわります。このあたり、ヘレン役のドロシー・マクガイアの演技はさえています。

 さて、ことの顛末は・・

映画鑑賞履歴【2019年7月】

2019-08-29 00:11:46 | 映画
7/1ジョン・ヒューストン監督「勝利への脱出」アメリカ、1981年、116分、☆☆☆
7/2ジョエル・シューマカー監督「フォーリングダウン」アメリカ、1993年、☆☆☆★
7/3エルンスト・ルビッチ監督「天国は待ってくれる」アメリカ、1943年、113分、☆☆☆★
7/3ロベール・ベッソン監督「少女ムシェット」フランス、1967年、81分、☆☆☆☆
7/4ユン・ジェギュン監督「国際市場で逢いましょう」」韓国、2014年、127分、☆☆☆☆
7/5ブライアン・シンガー監督「ボヘミアン・ラプソディ」アメリカ、2018年、135分、☆☆☆★
7/6マイク・ニコルズ監督「ワーキング・ガール」アメリカ、1989年、114分、☆☆☆★
7/7ゲイリー・ミラー監督「フォエバー・フレンド」アメリカ、1988年、123分、☆☆☆☆
7/8藤井道人監督「新聞記者」日本、2019年、113分、☆☆☆☆★
7/9山崎 貴監督「ALWAYS 続3丁目の夕日」日本、2007年、146分、☆☆☆☆ 日
7/10ロバート・アルドリッチ監督「アパッチ」アメリカ、1954年、89分、☆☆★
7/11エーリッヒ・フォン・シュトロハイム監督「クイーン・ケリー」アメリカ、1926年、101分、☆☆☆★
7/12ゴア・ヴァーヴィンスキー監督「ザ・メキシカン」アメリカ、2001年、123分、☆☆☆★
7/13池谷薫監督「ルンタ」日本、2015年、111分、☆☆☆★
7/14犬童一心監督「眉山」日本、2007分、120分、☆☆☆★
7/17マーセル・ランゲネッカー監督「彼が二度愛したS」アメリカ、2008年、108分、☆☆☆
7/18劇団ひとり監督「晴天の霹靂」日本、2014年、96分、☆☆☆★
7/19ジャン・ルノワール監督「愛すべき浮浪者」フランス、1932年、85分、☆☆☆★
7/19ブライアン・デ・パルマ監督「殺しのドレス」アメリカ、1980年、105分、☆☆☆☆
7/20フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナーマルク監督「善き人のためのソナタ」ドイツ、2006年、138分、☆☆☆★
7/22ウィリアム・ワイラー監督「月光の女」アメリカ、1940年、95分、☆☆☆★
7/23ハワード・ホークス監督「エル・ドラド」アメリカ、1966年、☆☆☆★
7/24リチャード・フライシャー監督「その女を殺せ」アメリカ、1952年、70分、☆☆☆★
7/25チャールズ・ヴィダー監督「ギルダ」アメリカ、1946年、109分、☆☆☆★
7/25エイブラハム・ポロンスキー監督「悪の力」アメリカ、1948年、79分、☆☆☆
7/26ロバート・アルドリッチ監督「何がジェーンに起こったのか」アメリカ、1962年、134分、☆☆☆☆
7/27ジャック・ターナー監督「過去を逃れて」アメリカ、1947年、97分、☆☆☆★
7/28ジュールズ・ダッシン監督「深夜復讐便」アメリカ、1949年、94分、☆☆☆★
7/29李相日監督「ふらがーる」日本、2006年、120分、☆☆☆☆
7/29シドニー・ギリアット監督「絶壁の彼方に」イギリス、1950年、99分、☆☆☆★