牛車は平安時代に貴族たちが用いた乗り物です。
これは、京都の源氏物語ミュージアムに展示されている牛車です。通常は4人乗りだったようです。身分によってあるいは男女によって細かく作りが規定されていました。
昨年訪れた奥州藤原の里には、実際に乗れる牛車が展示されていました。乗ってみるとこんな感じです。
中から前方を見るとこうなります。ここに牛の背中が見えたのでしょう。広さは、ぎりぎり4人が乗れるくらいです。2人なら十分です。
横にはすだれがあります。通常男性の場合はすだれを上げて、女性は下して乗ったということです。もちろん、光源氏がお忍びで女性のところを訪れるときには下していたのでしょう。ちなみに牛車は後方から乗り込み、牛を外したのち前方から降りることになっています。源平の争乱の時に真っ先に京都を制圧した木曽義仲こと源義仲は後方から降りて笑われたことが平家物語に出ています。
ちなみに、こちらは現代の牛車、水牛車です。西表島から由布島までの海上を渡っていきます。運転(というのかわかりませんが)の方が三線を弾きながら歌ってくれたりします。あちこちの観光地で人力車が復活していますが、京都あたりで牛車を復活させるのはどうでしょう? まあ、渋滞が起こるのは必至ですけどね。
これは、京都の源氏物語ミュージアムに展示されている牛車です。通常は4人乗りだったようです。身分によってあるいは男女によって細かく作りが規定されていました。
昨年訪れた奥州藤原の里には、実際に乗れる牛車が展示されていました。乗ってみるとこんな感じです。
中から前方を見るとこうなります。ここに牛の背中が見えたのでしょう。広さは、ぎりぎり4人が乗れるくらいです。2人なら十分です。
横にはすだれがあります。通常男性の場合はすだれを上げて、女性は下して乗ったということです。もちろん、光源氏がお忍びで女性のところを訪れるときには下していたのでしょう。ちなみに牛車は後方から乗り込み、牛を外したのち前方から降りることになっています。源平の争乱の時に真っ先に京都を制圧した木曽義仲こと源義仲は後方から降りて笑われたことが平家物語に出ています。
ちなみに、こちらは現代の牛車、水牛車です。西表島から由布島までの海上を渡っていきます。運転(というのかわかりませんが)の方が三線を弾きながら歌ってくれたりします。あちこちの観光地で人力車が復活していますが、京都あたりで牛車を復活させるのはどうでしょう? まあ、渋滞が起こるのは必至ですけどね。
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