今さらですが、清少納言ってすごく変わっています。
紀貫之が「土佐日記」を書いて以来、平安女流日記が数々書かれます。それらは、すべて基本的には作者の内面の切なる思いを述べた文章です。「蜻蛉日記」は夫兼家の不実への辛い思い、「和泉式部日記」は敦道親王との熱々の思いを伝えるために書かれた日記です。
「枕草子」は、思いを伝えようとしていません。同じ時代の「源氏物語」は物語ですが、登場人物たちの生きることへの切なる思いを、作者紫式部は時に共感しながらも、高所から「あはれ」というくくりで描いていきます。生きることの辛さ、思いの辛さについて伝えてきます。
清少納言は、これら女流文学者の中で、得意な立ち位置にいます。何も伝えようとしていません。何と言っても「春はあけぼの」なんです。
同じ時代の男性たちは漢文の日記はつけています。それらの中には、淡々とした身辺雑記のようなものも見られます。でも、女性である清少納言は、本当に特殊です。
中宮定子から、当時貴重品であった陸奥紙をたくさん頂いたことが「枕草子」に出てきます。彼女はその紙に、ブログのような身辺雑記を書いて、それがみんなに読まれ、愛されて残ったのです。
ちなみに、2枚目の写真は植物の「むらさきしきぶ」です。清少納言は紫式部が嫌いでした。紫式部も日記に清少納言の悪口を書いています。二人の置かれた立場を考えると仕方ないですけど。
奥山が来てくれました。元気そうでした。先週末はまた兄じゃも来てくれました。だんだん寒くなってくると、受験も近づいてきます。みんながんばってね。
紀貫之が「土佐日記」を書いて以来、平安女流日記が数々書かれます。それらは、すべて基本的には作者の内面の切なる思いを述べた文章です。「蜻蛉日記」は夫兼家の不実への辛い思い、「和泉式部日記」は敦道親王との熱々の思いを伝えるために書かれた日記です。
「枕草子」は、思いを伝えようとしていません。同じ時代の「源氏物語」は物語ですが、登場人物たちの生きることへの切なる思いを、作者紫式部は時に共感しながらも、高所から「あはれ」というくくりで描いていきます。生きることの辛さ、思いの辛さについて伝えてきます。
清少納言は、これら女流文学者の中で、得意な立ち位置にいます。何も伝えようとしていません。何と言っても「春はあけぼの」なんです。
同じ時代の男性たちは漢文の日記はつけています。それらの中には、淡々とした身辺雑記のようなものも見られます。でも、女性である清少納言は、本当に特殊です。
中宮定子から、当時貴重品であった陸奥紙をたくさん頂いたことが「枕草子」に出てきます。彼女はその紙に、ブログのような身辺雑記を書いて、それがみんなに読まれ、愛されて残ったのです。
ちなみに、2枚目の写真は植物の「むらさきしきぶ」です。清少納言は紫式部が嫌いでした。紫式部も日記に清少納言の悪口を書いています。二人の置かれた立場を考えると仕方ないですけど。
奥山が来てくれました。元気そうでした。先週末はまた兄じゃも来てくれました。だんだん寒くなってくると、受験も近づいてきます。みんながんばってね。