kenroのミニコミ

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名門の安定度 ボリショイのラ・バヤデール

2006-05-14 | 舞台
ラ・バヤデールは2回目である。前回は初めて行ったびわ湖ホールでのベルリン国立バレエ団。戦士ソロル役はもちろん貴公子マラーホフである。実はこの時、京都をバスで移動中とても時間がかかってしまい開演に間に合わず、1幕目はモニターで見るというとても残念な思いをしたのだ。今回はそのようなことなく最初から堪能できた。今回初めてフロア席ではなくて階上席(と言っても1階のフロアに続くS席)から鑑賞したがなかなか良いものだ。ダンスを少し上から見下ろせる上、舞台全体を見渡せて、それでいて舞台から遠すぎることもない。ただ、側面故反対の袖から次の出演者がちらちら見えることと、こちら側の袖付近の演技は見にくいのが難点。けれど、フロア席ばかりではわからなかった発見があった気がした。
2月に怪我をしたアンドレイ・ウヴァーロフに代わってソロル役はウラジミール・ネポロジーニー。さすがにマラーホフほどの跳躍の高さはないが雰囲気は十分。ニキヤ役はボリショイが誇る超ベテラン、ナデジダ・グラチョーワ。西洋人にしてはあまり高い身長ではないグラチョーワは艶やかなガムザッティ(エカテリーナ・シプリナ)との対比で、階級も低いバヤデール(踊り子)役としてちょうどよいし、一つ一つの演技 例えば一瞬立ち止まるポアントにしても、美しい。しかし、この作品はおそらくソロルとニキヤのグラン・パ・ド・ドゥやソロルとガムザッティのそれだけが見所ではない。グラチョーワのフェッテももちろん手練の技だ。が、団員200数十名を抱えるボリショイであるからこそ魅せ得た群舞。そう、むしろ、最大32名も登場するコール・ド・バレエが見物だ。
3幕目のニキヤを失ったソロルが麻薬のせいで(本演ではそれがあまりわからないような演出のようだったが)夢の中、ニキヤやその他の踊り子たちに囲まれるシーン。ゆったりと舞い降りて来るコール・ド・バレエを舞うダンサーたちのじれったさ、可憐さといったらない。どこか舞うボレロという感じの終わりのないうれしいじれったさは鍛え抜かれた群舞のなせる技。あのシーンは大好きだ。
ただ、日本公演をいくつも重ねてきての終盤であるからか、ダンサーたちは幾分疲れているように感じたのだが。ラ・バヤデールが神の怒りとともに神殿が崩れ落ちる本来の演出が定着してずいぶんなるそうな。崩れ落ちる様の豪華さとそこに倒れるソロルの化身は、マラーホフの方がよかったようにも思うが、これはその時々の舞台装置等にもよるものだろう。
バレエといえば単純な悲恋物語。でも多分また行ってしまう魅力がそこにはある。

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