goo blog サービス終了のお知らせ 

kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「韓流」の勢い止まらず  ダンサーの純情

2006-05-14 | 映画
荒川選手らが活躍したトリノオリンピックでフィギアスケートに魅了された人なら入り込みやすい映画ではないか。それにとてもストーリーはわかりやすい。主演のムン・グニョンの可愛さには誰もが賛同するだろう。ただ、全くの素人が3ヶ月であれほどのダンスができるようになるということは絶対にない。当のクニョンさえ毎日10時間のトレーニングを半年間続けたというのであるから。
ストーリーは中国は朝鮮族出身の田舎娘が、挫折したダンストレーナーと訓練を続ける中でダンスを超えて二人は惹かれ合い、また、彼女自身が成長し大人となっていくという他愛のないものだが、クニョンの魅力ゆえか全くクサイ芝居に見えないところがいい。このようなマンガのようなお話でもクササを抱かせず、楽しく見せることができることに「韓流」映画の水準に成熟を感じる。
興味深かったのは、訛りのきつい韓国/朝鮮語を話す主人公が次第に標準語を話すようになるという設定と、韓国語における親族用語の複雑さがよく描かれているところ。韓国では、ネイティブでも迷うほど親族用語が複雑だ。妹から呼ぶ場合と弟から呼ぶ場合では同じ「お兄さん」でも違うというくらいはわかるが、父方/母方のおじさん、おばさん、その順番によって呼び方が違う。儒教社会の名残だが、韓国でもそのような厳しいしきたりもだんだん弱まり、結婚式や葬式だけでしか見ることができなくなってきた家族等も増え、余計に混乱するとか。そう、韓国は日本以上に大都会集中、人口の4人に一人がソウルに住み、合計特殊出生率は日本をはるかに下回る1.09。少ない子どもを留学させたらそのまま韓国に帰って来ない頭脳流出も深刻であると言う。
であるからこそ、本作で描かれているような中国朝鮮族の貧しい地域から韓国に来て「偽装結婚」する場合もあり、さっさと海外に行ってしまうような言わばエリート層とは違う人の姿がここにはある。「偽装結婚」したチェリンがヨンセを呼ぶとき「アズバイ」と呼んだり(おじさん=「アジョシ」の方言だそうな)、一転「ヨボ」(あなた)と呼んだり、その中間がないところがおかしかった。
一躍トップダンサーへの切符を得たチェリンだがヨンセと踊ることのできないダンスは無意味と結局中国に帰ることにするが、別れの時やっとお互いの必要性に目覚め、それを確認し合うという少し安直な結末だがこれもよし。
川本三郎言うところの「マイ・フェア・レディ」のイライザやら、クァク・ジェオンの「ラブ・ストーリー」での劇的な展開やらいっぱい要素の詰まったファンタジー。「韓流」の勢いはまだ止まりそうもない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 送還日記  メディア・リテ... | トップ | 名門の安定度 ボリショイの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

映画」カテゴリの最新記事