CLASS3103 三十三組

しがない個人ホームページ管理人の日記です。

陶磁器あれこれ

2006-08-03 08:40:05 | 陶磁器を探す旅と名物
で、間違いなくへうげものの影響を受けて
大変、茶器、とりわけ茶入に興味を持ったというか
ぶっちゃけ、あれほしいとか
何に使うわけでもなく、ただ、所有したいという
悲しい欲望にかられている昨今
しかし、陶磁器とは骨董のようなもので
値段がまさにピンキリというか、素人が手を出すなと
警鐘が鳴り響いておりますが
そういうのは、ほしいと思ったときには
あまり関係がないもの

と、まさに渡りに船ではないが、来週
京都にて陶器市が開催されると調べあげて
ああ、これで俺も茶器持ちかなどと
思ったり考えたりしていたのですが
よくよく考えて
毎日、芽の出たジャガイモで生死の狭間を行きかいしてるような馬鹿が
茶器を購入する金子をどこから調達するのか
俺はうつけでも、たわけでもなく、ただのバカではないかと
まぁ、そういう経済との戦いになっておるのであります

閑話休題

さて、それはそれとして、陶磁器の魅力について
調べたりして、早くも感じるよりも理解するところから
入ってしまってる、ダメな趣味家であります
なるほど、陶磁器のすげぇところというか
綺麗なあれのひとつに釉薬(うわぐすり)というのがある様子
茶入を調べてるときに、あの飴みたいになった部分の
淵のところを示して「釉」と書いてあって
まったく字が読めなかったのでありますが
ともかく、そう読むのだそうです

ここがいわゆるガラス質と呼ばれるそれに
高温がかかると変質し、世にも美しい光を放つようになるとか
なんとかかんとか、まぁ、ガラスが綺麗なのはあたりまえで
そのガラスのよしあしを見ているうちはかなりの素人だろうと
思いつつも、今後の指標にしようと考えてしまうのであります

現在わたくし、高校の卒業旅行で広島・萩へと赴き
高校生の分際で萩焼きの湯のみを5000円くらい出して買ってきておりました
なんというか、釉薬の白さがとても品があって
淡い赤みを帯びた肌が、つるり、水がすべるような趣をと
覚えたての言語を使ってみたかっただけですがそんな
結構お気に入りの湯のみを持っておるのです
昨日、まざまざとそれを眺めていて
むふふ、われながらよい目利きとか、とりあえず
言ってみるだけ言ってみたりして
一人悪代官プレイを楽しんでおります

話がそれまくる

さて、本題というか、わたくし現在ともかく
陶磁器の茶入がほしいと願っておるわけであります
この茶入の秀逸なところが、大きさ10cm内外という
こう、抜群のかわいらしさにあります
これをちょろっと飾っておくだけでステキすぎる
きっとお部屋に潤いが、などと、箪笥など家具のCMと
同じことを考えておるのでありますが
実際として、わたくしこういったコレクションものは
使ってこそどうだろうと思う節がありまして
まぁ、平生使っても問題がない値段のものしかもってないからと
割り切れてはしまうものの
やはり、湯のみとして生まれたら湯を飲むために
茶入として生まれたら、茶を入れてこそ
そう考えて、ここにいれる茶をどうしようかと
現在、買ってもないうちから考えている始末

現状想定しているのはこれであります
会社で、休憩時間に飲む茶の葉を入れておく
時間がくると、ジョンブルかの如く
ティータイムだとつぶやき、どんな会議があっても
ぶっちぎって茶を飲むわけだ
そこで、おもむろに取り出すのが
浅黄色の袋に包まれた茶入、そして中から日本茶が出てくる
・・・・・・・
ダメだ、目を覚ませ日本かぶれのガイジン

と、こんなことばっか考えて楽しくてしかたないのでありますが
茶入ってのは、元来、抹茶を入れるはずですので
茶葉入れたらダメだろうとも考えるところ
だが、さすがに会社で茶を点てるわけでもいくまい
というか、そんな暇あったら仕事せぇ
いうか、仕事しないとそんなもの買うことすらできまい
先行投資として茶いれを買って、そのよさにほだされて
仕事をしていれば問題ない
しかも、茶入を使っていればいいのだから、
最近好んで食べてる梅干でも入れて持ち歩いてはいかがかとか、
飴ちゃんとか入れておいてもかわいくね?とか
陶芸家の先生が聞いたら、失敗作より先に私の頭を割りに来ると
直感できるようなことを考えてしまう、楽しい

と、まぁ、現在、仕事のやりがいを失いつつあったのを
茶器を買うという理由をモチベーションに転化しようと
画策しておるとかなんとかかんとか
いろいろ考えて、使い勝手とかを思うに
陶磁器でよく使えるものとなれば、ここは焼酎サーバーはいかがかと
割と流行どころにのっかった答えも急浮上
ただし、わたくし焼酎は買ってまで飲むものではないと
思ったりなんだったりなので、ここにウォツカ入れておいたら
味よくなるかしらと、もう、なんだろう
目的とか狙いとかが、すべて台無しになっていることを考えつつ
ああ、世の中はこうやって打算と妥協の上に
誰も望まない結果に落ち着いてしまうのだなと
歴史に触れたような感慨にふけるのであります

オチもなにもないのだが
誰に読まれるでもない日記に
ひっそり、独身男性が女性に相手されないからと茶器に心を開いた
ある種、動物を飼いだすよりも異常な事態を記しておきます
悲しいかな、人生の張り合いをどこに求めるか
社会通念にそって、家族をもって繁栄すべく生きるはずが
間違って、茶入に茶葉を入れるために生きていると

どこで人生を間違えてきたのか
もう一度考える必要がある
暑い日が続く8月であります
そうだなぁ、茶入じゃなくて湯のみとか茶碗のがいいのかなぁ
(問題が違います)