
公園で一番好きだった遊具は何だったでしょうか。
シーソーとかある公園は羨ましかったですし、アスレチックみたいのも楽しかった(家の前の公園にはどちらも無かったです)。
とはいえ、色んな形が作れるのが面白かったのか、
今思い出しても、僕は砂場が一番好きだったようです。
居る時間が長かったです。やもすると一日中いた、という。
水を使うのがまた楽しいんですよね。
それに、滑り台は、どこの公園でも必ず滑ってみないと気がすまないものでしたし(個性のあるがありましたしね)、
あと、やっぱり、ブランコは楽しかったですね。
というか、ブランコだけは、大人になった今でも、
時折り座って、揺らしてみることがあります。
ゆらゆら揺れるのが楽しいのは、一体なぜなのでしょう。
半面、苦手だったのを思い出しました。
丸ジャングルジムみたいの(360度クルクル回るあれ)がありましたが、
アレは好きか嫌いか言われたら好きだったんですが、
・・・よく酔いました。
いつも乗った後に、しばらくベンチで座り込んでしみじみと後悔するするという。
ブランコが揺れるのは楽しいのですけれども。
でも、地面は。
あの震災から、今日で十一ヶ月。
こんな動画がありました。昨年一年間の、世界と日本の地震を視覚的に分かりやすく表現してくれています。
3.11のあの瞬間、そしてその後の余震の凄まじさには、思わず息を飲みます。
2011年の世界の地震 分布図 World earthquakes 2011 Visualization map (2012-01-01)
http://www.youtube.com/watch?v=cwWn_W6ZbT4&feature=player_embedded#!
2011年の日本の地震 分布図 Japan earthquakes 2011 Visualization map (2012-01-01)
http://www.youtube.com/watch?v=eKp5cA2sM28&feature=player_embedded#!
今日は、地震が起きた時間にテレビをつけていたので、現地の方々と一緒に黙祷をしました。
膝の上にいた赤さんの手も持って、一緒に合わせました。
そんな赤さんは今日でちょうど四ヶ月。
コメント欄で触れていただいて調べてみましたら、確かに一年前の今日が、赤さんがいることが分かった日でした。
普通の生活の中で、突然起こった地震。
ある瞬間を境に、家や仕事場、そして何よりも、愛する家族を失うという現実は、到底受け入れがたいものでしょう。
本当に、言葉もありません。
一日も早く、被災された方々の心の傷が、・・・少しでも癒えますよう。
そのテレビで、岩手県の陸前高田市で、町中の津波が到達したラインに、桜の植樹をしているという話をみました。
植樹を進めている会の副理事さんが、険しい顔で、
「悲しい桜になるかもしれないと思っています。でも、・・・いつか、笑ってこの桜を見れる日が来るように願っています」
と語られていたのが印象的でした。
桜ライン3.11
「プロジェクトの趣旨」
『私たちは、悔しいんです。
平成23年3月11日、東日本大震災が発生し、1時間以内に東北各地を津波が襲いました。 陸前高田市でも多くの人が時間を止めました。その後、「実は、今回と同規模の津波が三陸沿岸を 飲みこんだ記録や痕跡がありました。」との、ニュースが流れていました。
10mを超える津波の可能性が、震災前から声高に叫ばれていれば! 震災前の防潮堤には、限界があることを知らされていれば!津波によって奪われた命は、 もっと少なくて済んだのではないか?その思いが、今も頭を巡ります。
私たちは、悔しいんです。
その思いを同じくする者が集まり、「桜ライン311」を立ち上げました。 次の時代が、この悔しさを繰り返すことのないように、 今回の津波の到達点を桜の木でつなぎ、後世に伝えたいとおもいます。
現在、瓦礫撤去が進み、津波の到達点がぼやけ始めている今、一日も早く、やりたいんです。 でも、私たちだけでは、限界があります。皆さんの力を貸してください。お願いします。』
次の世代へ。
では。