映画が中心のブログです!

中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映株式会社宣伝部 ~ その3

2011年11月18日 | 日記

 
  「妻の日の・・」ロケスナップ。鳥打帽と話ししてるのが私、カメラの前は当時撮影助手だった上原明。
       
   
       「妻の日の愛のかたみに」


     前の日記。で宣伝部は、立場上監督や俳優たちと自然に仲良くなるのは当然
     と書きました
     当時の大映は俳優がマネージャーを持つとか、どこかのプロダクションに所属
     するとかを堅く禁じていたため、身の回りの世話をする付け人を持つ俳優はい
     ましたが。

     現在のプロダクションが全てを仕切るのとは違って、当時の社内での演技事務
     は東京・京都撮影所の俳優課が行なうのですが、社外に対する作品の宣伝・マ
     スコミ対策・俳優の売り出しやイベント出演などは全て宣伝部が仕切っていたの
     で、俳優さんたちだって宣伝部を大事にしたのは当り前でした。

     思い出せば監督や俳優たちとの交流は私も色々ありまして、一緒に食事や飲
     みに行くのは序の口で、おデートしたこともあるし、先方の家に遊びに行ったり
     もよくしたものです。
     いま一人一人書いていると中々前に進みませんので、このシリーズの後半か
     或いは新しいシリーズでお伝えしたいと思います。

     前にも述べたように、監督や俳優のこととか撮影所にかかわる社外での事項
     については宣伝部の仕事となります。
     私は当時九州担当の宣伝課長ですから、例えば九州でロケをする場合も、バ
     ックグランドについては私が権限と責任を持つことになるのです。
     一つの例として1965年作品「妻の日の愛のかたみに」を上げてみましょう。

     この映画は水郷として名高い福岡県柳川市で、昭和28年ころ小学校の教師
     をしていた池上三重子さんの同名手記を木下恵介が脚色、富本壮吉が監督、
     俳優は若尾文子・船越英二・藤村志保・姿美千子ほかが出演することになっ
     たのです。
     柳川市は水と白壁に囲まれたの美しい町ですから、現地ロケは絶対に必要
     だとなり、私の仕事は原作者と映画化の交渉をする所からはじまります。
    
     交渉は上手く行って監督たちとロケハンに出かけ、一緒にロケ地を探すほか、
     私は柳川市長をはじめ関係先へのご挨拶と地元とのタイアップなどに当たり、
     何とかロケ隊を受け入れてくれる段取りを付けます。
     このあたりまでは上手く行ったのですが、突如問題が起こりました・・・。

     物語は愛し合った夫婦だったのですが、奥さんが難病の筋ジストロフィーに
     なり、身体が動かなくなった彼女は、愛するが故に旦那と離婚をするのです。
     その旦那から私のことが悪人に描かれているようだ、製作を止めてくれ・・・
     の申し入れなのです。困りました・・・。
     ご本人であるもと旦那と当時の学校長と、富本監督と私と4人で何時間も何
     時間もお話しました。
     監督も絶対に悪人扱いをしないと約束してくれたし、やっとOKが出て撮影が
     出来るようになり、柳川市に若尾ちゃんや船越の英ちゃんを先頭に、約50人
     のロケ隊が乗り込んでき来ました・・・。 (続きます)

  
    ↑左.渚まゆみ・坪内ミキ子・私。渚は私が好きだった子の一人です。
    ↑右.山本富士子と北原義郎を帯同して映画館へ挨拶回り。こんな時代もありました・・・。
  
  
    ↑左.僕・叶順子・本郷功二郎。私がスタッフに注意しているのを横目の二人。
    ↑右.松山常務と私。松山常務は「ゴールデン・ウイーク」の名付親として有名です。


コメント (12)
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