↑ 「本郷功次郎まつり」は叶順子、三田村元も参加して盛大でした。
当時の私は月に一度の宣伝会議で、本社・東京撮影所・京都撮影所に行ってい
たこと、それに色々なスタイルで監督や俳優を九州に呼んでいたことは、既に書き
尽くしています。
それでも今回は俳優を九州に呼んで"お祭"みたいなイベントには、支社からも指
名しますが司会役を買って出た俳優さんたちのことをご紹介したいと思います。
既にご紹介したイベントの中で写真などがWるかも知れませんがお許しください。
改めてご紹介したい俳優は、潮万太郎・中条静夫・品川隆二・近江輝子・上田寛・
阿部脩のみなさんです。
みなさんの司会は本職ではありませんが、同じ撮影所で一緒に仕事をしたり、仕
事以外の付き合いも深いことから、舞台での話題に事欠かず、司会者の人柄も良
くて明るい方ばかりで、楽しい司会をしてもらった記憶ばかりです。そしてその司会
者をお客さんに紹介するのが私の役目でもありました。
↑ 舞台の一番奥が潮さん、マイクは私。 ↑ 旅館で記念撮影、一番右が潮さん。
「潮万太郎さん」のお嬢さんは、後年売り出した弓恵子さんです。潮さん本人も長
い脇役生活から、あのユニークな暖かさが評判になり、当時流行り始めたホーム
ドラマ的な作品で重宝がられようになりました。
九州には何回が来てもらいましたが、いつもニコニコ顔でファンに囲まれていたの
を思い出します。
↑ おどける中条さん。 ↑ ロングですが、一番左が中条さん。
「中条静夫さん」は、映画では美味しい芽が出なかった人で、むしろテレビに出る
ようになって俄然人気が出た人です。よく九州に来てくれて楽しい舞台を相談しな
がら作ったことを思い出します。
そして舞台だけではなく、仕事が終わっても楽しい雰囲気作りを心掛けてくれる大
人でもありました。惜しむらくは早死でした。
↑ 一番右が品川さん。
「品川隆二さん」当時は売り出し中の若手で、根が好きなのかいつも司会役を買
って出てくれた有難い人でした。
本名が奥秋なので私たちは”奥ちゃん”と呼んでいましたが、途中から東映に移
った後でも、我々が京都の宿に居ることを嗅ぎ付けてひょっこり現われる"奥ちゃ
ん"でした。今回の人の中で、今でも元気で仕事をしている唯一の人です。
いつの日か、再会出来ることを密かに願っています。
↑ 長崎で私が撮った近江さんです。右はグラバー邸で蝶々さんよろしく。
↑ 鹿児島でのスナップ、右から二番目が近江さん。↑ 真ん中、藤村志保の左が近江さん。
「近江輝子さん」は大映で珍しい女優司会さんでした。彼女の司会で鹿児島や
長崎などをこなしましたが、決して出しゃばらず楽しい雰囲気をかもし出そうと
努力されていたことを思い出します。
主役こそ張ることが無かったけど、的確なお芝居が出来る中堅女優として大映
で最後まで頑張ってくれた一人です。
当時彼女からもらった手紙が何通も手元に残っています。
↑ 福岡大映で壁側左から、川口浩、山本富士子、市川雷蔵、上田寛、そして私。
「上田寛さん」は、京都撮影所では絶対に欠かせない名脇役の一人でした。
福岡大映劇場のオープン・イベント「市川雷蔵と山本富士子による日本舞踊と、
歌う川口浩」の司会を頼みました。
異色で豪華なイベントとして、その後も長く地元の話題になったものです。
このイベント作りにとても苦労したことも思い出ですが、上田さんの司会が雷蔵
に偏り、お富士さんが積み残されている・・・のクレームが思わぬところから出て、
更に苦労して円満解決した思い出もあるのです。
↑ 「本郷功次郎まつり」の面々、九州支社長室で。 右の写真の右端は私。
「阿部脩さん」はプロレス界に長くいて、私はジャイアント馬場やアントニオ猪木
の試合をリング下で何度も見せてもらったことがあります。そして大映俳優とし
ても楽しく付き合った一人です。
あの体格でいかつい表情ですから、いかにも怖そうですが、日常はとても優し
い人情家でしたし、大映倒産後は福岡でレストランをやっていたこともあり長い
付き合いでした。九州各地で行なった「本郷功次郎まつり」では司会を買って
出てくれて、ずーっと一緒に過ごした思い出が残っています。
その「本郷功次郎まつり」で、北九州の直営館と筑豊の田川市の上映館をカケ
モチで開催した時の話ですが、交通渋滞で田川から北九州に着くのが約一時
間遅れとなり、当時は携帯電話もないので一同青くなりながらやっとの思いで
到着。劇場には満員のお客さんと、地元のキャバレーから来てもらったバンドも
怒っているだろうと思いながら駆け込むと、舞台では誰かが歌ったりおしゃべり
をしていてお客もノリノリだったのです。
何と丁度キャバレーに出演していた歌手・藤田功さん(後の作曲家・曽根幸明)
が繋いでいてくれたのです。
彼曰く「大映のピンチだもの、応援は当然だよ」ですって。ちなみに勝ちゃんの
「座等市子守唄」や藤圭子の「夢は夜ひらく」は彼の作曲です。いい時代でした。
懐かしい写真ですね。
渋谷大映跡はいまどうなっているのでしょうね。
マルハンですか、なんだか寂しいですね。
知らせてくださり有難うございました。
http://www.regasu-shinjuku.or.jp/photodb/det.html?data_id=1927
今はブランド品リサイクルのコメ兵です。
当時は封切日に、全国主要館の入客数が1時間毎に電話で入ってきていましたが、
この館も然りでした。
それにしてもいい場所にあったのですねー。