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↑左から田宮二郎、永田秀雅副社長、私です
巻さん(藤巻潤)と同じように、吾郎さん(田宮二郎)も度々このブログに登場し
ていたので、私はてっきり彼のことを詳しく述べていたとばかり思っていまし
た。ブログを読んでくださっている方から指摘を受けて、詳しく書いていない
ことに気が付いた始末です。改めて今回は田宮二郎の巻です。
田宮二郎は昭和10年(1935)の生れですから、生きていたら79歳で、いい役
者になっていただろうと思います。
彼は大阪生まれの京都育ち、本名が柴田吾郎ですから私は最後まで「吾郎
さん」と呼んでいました。学習院大学を卒業して外交官が志望だったようで
すが、在学中の昭和30年に行われたスポーツ・ニッポン主催の「ミスターニ
ッポン・コンテスト」に優勝、それがきっかけで大映演技研究所10期生として
入社することになったのです。同期に叶順子や市田ひろみが居ますが、彼
は中々芽が出ず苦労しています。
昭和34年に永田社長の指示で、社長がオーナーだったプロ野球・大毎オリ
オンズの強打者・田宮謙次郎にあやかり、「田宮二郎」と改名したあたりか
ら役が付き始めるのです。「女の勲章」(1961)「悪名」(1961)など、とんとん拍
子に出演作品が増え、続いて「犬シリーズ」「黒シリーズ」などを送り出してい
ます。
身長が180㎝であのルックスですから、たちまち人気が出て、若尾文子や叶
順子との共演も人気を呼びました。
当時私は仕事上の付き合いでしたが、彼は礼儀正しいし、身のこなしもスマ
ートで、相手に名刺を渡す時は、ポケットからすーっと出せば、相手が名刺
の向きを変えずにそのままで読める・・・そんな男でした。
一緒に九州各地のご挨拶まわりもしましたが、ある時、ファンに頼まれたサ
インの際に彼の万年筆のインクが切れ、私の万年筆でサインを続けたことか
らお互いの万年筆を交換することになりました。今でもその万年筆は私の手
元にあり大事にしています。
彼の事を書くには、どうしても後に田宮夫人となった藤由紀子さんの事を述べ
なくてはなりません。
彼女が松竹から大映に移籍する時に、私はささやかにお手伝いしたことは20
13年2月25に、結婚後に勝・玉緒夫妻と一緒に九州に来た話は2013年3月4日
に、そして大映を追われた1968年後半、キャバレー周りをしていた田宮に、私
が渚まゆみと一緒に会いに行った話は2013年4月29日の当ブログに書いてい
ますので、大映退社の経緯なども併せて読み返していただけませんか。
二人が予想に反して?結婚し、世田谷の新居に招待された際に、彼女が好き
な天婦羅をテーブルで揚げながら食べられるセットをお土産に持って行って喜
ばれたことや、食事を終えて麻雀を夫婦と一緒に楽しんだこと、後日夫妻から
お手伝いさんを頼まれて送りこんだのですが、その子が仕事上でのお手伝い
と勘違いしていて夫婦を困らせた話しなど、田宮夫妻とは最後まで色々ありま
また・・・。
田宮二郎が出演した大映作品は77本で、代表作は「悪名」「白い巨塔」です。
大映を離れた田宮は、とても苦労したようですが、先述のキャバレー周りなどを
しながら家族を守り、テレビ界で新境地を開き、五社協定の期限が過ぎてから
は邦画各社に出演したりして順調に見えたのですが、その後の経過や悲しい結
末は皆様の方が詳しくご存知と思いますので割愛します。
彼はいま、生まれ故郷である京都の法然院で静かに眠っています。
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↑私のデスク横で
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↑結婚式の引き出物のひとつ ↑達筆な田宮二郎のハガキ
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↑田宮二郎一家
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↑一番左が私で、一番右が田宮二郎
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フリーになって間もない頃、テレビで歌謡ショーの司会をやっている彼を見て、永田さんも酷いことするなぁと思ってましたが、その後テレビドラマで大活躍し、映画にも復帰してくれました。
最後は本当に残念だったけれど、山あり谷ありのスター人生だったと思います。元気だったら、さらに渋味も加わっていい俳優になっていたでしょう。ところで藤由紀子さんはお元気なのでしょうか。
私は田宮さんというと「犬シリーズ」が一番印象に残っています。世間的には「白い巨塔」での重厚なイメージだと思いますが、軽妙な鴨井大介役こそが田宮さんの持ち味だったように思います。劇中の目玉だった曲撃ちのシーン、今でもどうやって撮ったの?と思います。現代劇も時代劇も、当時の大映のスタッフの皆様の技術力には驚かされます。鴨井と名コンビの木村刑事(しょぼくれ)役の天知茂さんも後年の「非情のライセンス」のハードボイルドぶりとは違ったひょうひょうとした演技でしたね。そういえば、天知さんについてお書きになっていましたか?天地さんと宇津井さんと万里さんは新東宝からの移籍で、いろいろと苦労されたかと思います。天知さんの思い出がありましたら、ぜひ読ませてください。
大映にだけではなく、映画界にとって本当に惜しい男だったと思います。
「不信のとき」のポスター序列の問題は事実です。
問題が起きてすぐの撮影所会議で、私も出ていましたが、宣伝部長から
東京撮影所長になった舟橋所長から、経過を聞きました。
序列はトップカラ段々格が下がるのではなく、前段のラストも重要ポジションです。
私は女性映画ですから、前段の四人のラストに田宮が入るのはおかしいとは
思いません。
加賀まりこは、私が宣伝部に配属された時の部長がまりこのお父さんだったし、
彼女のお兄さんも宣伝部にいまして、まりこが映画いりするなら大映とばかり
思っていた子です。当時は凄い人気でしたよ。
一番先の田宮と撮影所長の話し合いが、言葉の行き違いですれ違ったのでしょう。
理は所長が言っている方が正しいです。
それにしても、こんなつまらないことで田宮を放り出すなんて、これには納得が行か
なかった私です。
藤由紀子さんは一昨年でしたか、脳梗塞で倒れ療養中だと聞いていますが、
昨年息子を亡くして、気の毒でした。
もとのように元気になるといいのですが・・・。
もちろん私も「犬シリーズ」「黒シリーズ」も大いに買いますが、代表作と言うには
ややスケールが小さくなると思います。
当時の大映撮影所は、東京も京都も素晴らしいスタッフが揃っていて、他社から
とても羨ましがられました。もうあんなメンバーは絶対に組めないでしょう。
天地さんは私は、残念ながら一度も会わないままで終えました。
1回目からのブログを読みだしている途中です。
やはり田宮さんは根強い人気がありますね。
今日、注文していた田宮さん主演の『勝負は夜
つけろ』のDVDが届きました(上原キャメラマンの
『ガメラ対ギャオス』と共に)。まだ未観なので楽し
みです。
藤由紀子さんの回復も願ってやみません。
金田一敦子さんと小野道子さんの事も触れていた
だきたいです。お二人とも藤さんのクールビューティ
ーという感じよりも、ユニークな個性が感じられ、当時の日本映画では稀有な存在だと思います。
コメント有難うございます。
上原明撮影監督は私の親友で、ユニークなテクニックを持った人です。
どうか彼の撮影監督ぶりも楽しんでください。
この前、北原義郎さんと会って昔話をした際に、彼は私の勤務先が
撮影所だったでしょう・・・言うくらい撮影所にいる時間が多かったのですが、
それでも同じ大映なのに会ったことがない俳優さんが結構いて、その一人が
小野道子さんなのですよ。
過去のブログも読んではいましたがうれしい限りです。
田宮さんのスタイルの良さといい、ハンサムといい、味のある演技といいすっかり魅力にとりつかれています。
彼は大映を去ったことや、衝撃的な最期を思うと本当に残念でならないですが、
こうやって長い年月を過ぎても、根強い人気なのは彼の魅力だと思います。
私は現役の彼を全く知らないし、どうしてこうもファンになってしまったんだろうと不思議なくらいです。
作品を観ることで楽しい時間を過ごすことができ、本当に田宮さんに感謝しています。
あの手の男優さんは、最近では見られなくなったからでしょう。
彼はあれでも丸一年間、大映東京撮影所にあった演技研究所で
基本から勉強したのですよ。
今尚、田宮のことをそんなに言っていただき、田宮も役者冥利に尽きると思います。
今は草食系男子、と言いますか。今言われる人気俳優さんもお顔は綺麗ですが、男っぽさみたいなのがあまり感じません。
時代の違いなのかもしれませんが、ちょっと寂しいですね。
現在も素質のある人は沢山いると思いますが、ほとんどが利益第一の
プロダクションに所属していて、我々がやっている頃の養成法が根本的に
違います。
プロダクションシステムは今後も変わらないでしょうから、俳優は中々育たない・・・
ってことになるのです。