↑ 福岡の大洋映劇でのスナップ。菅原謙二・若尾文子・潮万太郎さんに、メガネの方は
我々とお付き合いがあった、当時の大洋映劇の岡部章一社長(現社長は息子さん)
随分前に根上淳さんのことを書きました。1950年代に根上さんと菅原謙二さん
は、大映で稼げる俳優さんとして活躍したお二人です。
私は根上さんとは個人的に親しくさせてもらっていたので先に書きましたが、
菅原謙二さんは昭和36年(1961)に大映を離れるまで頑張って頂きましたし、フ
リーになりってからは、映画各社の作品やテレビ、新派にも出演して活躍を続
けられました。
残念なことに、平成11年に急性肺炎により73歳で亡くなりましたが、大映として
忘れてはならない一人として、今回アップしました。
日本映画学校、俳優座養成所を経て大映に入社、「絢爛たる殺人」がデビュー
作です。大映では現代物を中心に活躍しましたが、本人が柔道三段なので、そ
の腕前を買われて柔道物にも主演作の幅広げました。
柔道物はその後、大映の十八番作品として人気が続き、菅原さんの後は本郷
功次郎、石井竜一などへと引き継がれて行ったのです。
菅原さんの大映での作品は97本に及びますが、前向きで本格的な活動がした
かった彼は、昭和36年(1961)に退社してフリーの道を選びます。
大映でのラスト作品はフリーの立場で出演した「あゝ海軍」(1969)でした。
上の福岡でのスナップは、私がまだ九州支社に転任してくる前のもので、当時
よく行われた代表館の舞台挨拶のもので、場所は福岡市の大洋映劇です。
この頃には共演作品が多かったこともあり、若尾ちゃんとのロマンスが巷の話
題になりました。
私もそれは本当だと思っている一人ですが、それが不発に終わったことが、今
でも若尾ちゃんが活躍を続けている源になっていると思っています。
ちなみにフラメンコの小松原庸子さんは彼の妹さんです。もし彼が生きていた
ら88歳、どんなに素敵な老人になっていたでしょう・・・。
↑ 晩年の菅原さん
いつもコメントをいただき、有難うございます。
私は内部にいた人間でもあり、ファンでもあるので、
本当にこう言った表現は難しいのです。(笑)
とうかご理解ください。(再び笑)
少しずつお掃除したいんですが、なかなか進まないのが現状です(O.O;)
この方、大映を知ってからお名前は見かけるのですが、実は全く知りません。
でも、とてもハンサムな方だったんですね。
またまた最近「夜の河」を観ました。
山本富士子さん主演で、本当にお美しい。
私はお名前もなんとなくしか聞いたことがなくて、こちらのサイトを見たりして知ったのですが、
日本一の美女と言われただけありますね。
上原謙さんも、ほとんど知りませんが、加山雄三さんのお父さまというぐらいしか知りませんでした。
ストーリーは染物工房の娘として奮起しているところ、妻子ある男性にだんだんと惹かれる、というよりは押しも強い女性で大胆だなぁと思いました。
お立寄り有難うございます。ブログを開設して満4年になります。
南堂正樹さんは個人的なお付き合いはありませんが、
大映最後の社員名簿に、彼も私も載っていますのでいわば戦友です。(笑)
このブログも、いつまで続くか判りませんが、これからも宜しくです。
私の時代は、本当にひと昔前なんだなーとつくづく思います。
私がいた時期は日本映画の最盛期だったし、あれから半世紀が
経っていますから仕方がないことですが・・・。
「夜の河」は私が好きな大映作品の内の一本です。
役者もいいし、吉村監督もいい味を醸し出しているし、
宮川一夫のカメラも素晴らしかったと思っています。
フリーになってから、テレビの「七人の刑事」もカッコ良かったですね。
そしてまたまた懐かしい名前が。「石井竜一」!
この人も硬派系でしたが、いつの間にか見かけなくなりました。仁木多鶴子とのコンビが多かった気がしますが。
大映の俳優さんだと、スターさんはもちろん、南堂さんとの関連で脇役の方々により愛着を感じます。私が勝手に「大映三大脇役」と名付けている早川雄三さん、伊達三郎さん、夏木章さん、やたらにいろいろな映画に出てくる三夏紳さん、藤山浩二さん、仲村隆さん等々…。いずれ脇役の方々の話を読ませていただけたら嬉しいです。
大映でのチマチマした役柄に、彼は飽きていたのだと思います。
特にテレビの「七人の刑事」の彼は良かったですね。
その後、新派に入るなど、やりたいことが沢山あったのでしょう。
石井竜一はこのブログに写真だけ登場していますが、その内に
取り上げるつもりでした。
早川雄三は役者だけでは中々食えず、とても苦労した話を本人から
聞いたことがありますし、夏木章は私の友人の友人で、博多で一緒に
飲んだことがあります。
藤山浩二は長崎の出身で、悪役が多かったけど、本人はとても演技に
熱心な好青年でしたよ。