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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部・番外編の番外(103) 片山明彦さん

2016年03月07日 | 日記

 

          

   

     

 

    今回もまたまた大映最後の社員名簿から引っ張り出した俳優さんで片山明彦さんです。

    残念ながら一昨年の平成26年に亡くなられましたが、大映で最後まで頑張った一人です

    し、私にとっても思い出深い俳優さんなので取り上げました。

    拙著「スタアのいた季節/わが青春の大映回顧」で、私は台湾で育ったことを書きました。

    台中で当時の大スタア李香蘭に出会ったことなどですが、その台中市で当時9歳の小学

    生時代に見た映画「風の又三郎」(原作・宮澤賢、治監督・島耕二、1940)をはっきり覚えて

    います。主演は島監督の息子さんで名子役の片山明彦さん、主題歌は今でも歌えます。

 

    お父さんもお母さんも映画界の人なので自然に子役となったようですが、青年期になって

    軍隊に召集され終戦を迎えます。

    再び俳優に復帰した彼は、フリーで大映・東宝・松竹・新東宝・東映を渡り歩きますが、昭

    和29年(1954)あたりからは松竹に腰を据え、主演俳優としての活躍はめざましいものが

    ありました。

    お父さんの島耕二監督が大映に迎えられたことを契機に、昭和34年(1959)からは大映に

    入りましたが、残念ながら大映の最後を見届けた一人になりました。大映では通算約40本

    の作品に出演していて、代表的な作品は「われ幻の魚を見たり」「いつか来た道」「総会屋

    錦城勝負師とその娘」「あゝ特別攻撃隊」「女は抵抗する」「安珍と清姫」「婦系図」「女が愛

    して憎むとき」「末は博士か大臣か」などで、島監督作品が主でほとんどが準主役でした。

    平成26年(2014)に心不全で亡くなりましたが、生きておられたら今年で90歳です。

          

                         ↑ 「風の又三郎」(1940)

 

 

 

 

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26 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
映画の歴史 (こんにちは)
2016-03-08 10:59:25
子役から始まった片山明彦さんも
ご存命であれば90歳だったのですね
日本映画の歴史も、
長い時が経ったことを
あらためて思い起こされました。
懐かしい俳優さんが去っていくのが
切ない気持ちがします。
でも、風の又三郎の片山さんの瞳
忘れません。
filmの中で永遠に輝き続けると
いうことは幸せですね。
追記です///// (marinne)
2016-03-08 11:06:54
片山さんは顔立ちの濃い
素敵な俳優さんでした。
画像でお父様も拝見しまして
素晴らしい芸能一家だったのですね。
中島様 (タム親父)
2016-03-08 11:20:42
こんにちは。
片山さんの作品は、「婦系図」と「末は博士か大臣か」を見ました。島耕二監督と親子で映画界で活躍されたことになりますね。湯浅憲明監督も、お父様が俳優、本人は監督という立場ですが、同じようなパターンですね。「細雪」には出演されていなかったと思いますが、それも不思議です。片山さんに合う役がなかったのでしょうか。それから、上の方の大きなスチールは阪妻さんですか?
こんばんわ。 (中島けん)
2016-03-08 20:29:23
marinneさん

私ぐらいの年配者が、もと大映の長老格と言われるようになってきているので、
知らず知らずのうちに年月が経過しているのですね。
それにしても故人となる人のほとんどが男性。寂しい限りです。

こんばんわ。 (中島けん)
2016-03-08 20:37:00
タム親父さん

親子で撮影所にいるのは良し悪しだと思いますよ。出せば出したで色々言われますし、
スタジオ雀は結構うるさいですから。

湯浅監督のお父さんは星ひかるさんと言って、軽妙な役が得意な名脇役の一人です。
私も一度だけ星さんと旅をしたことがありますが、とてもいい人でした。
湯浅親子は活躍の年代が離れているのが良かったのでしょうね。

Unknown (marinne)
2016-03-09 12:09:09
日本の映画の始まりは
100年くらいなのでしょうか(('ω'○)
十代の時、小津安二郎監督の
生まれてはみたけれどを拝見しました。
父親役の斉藤達夫さんも素敵で
昔の映画を探し始めた頃でした。
こちらは昭和7年の作品で
片山明彦さんの
風の又三郎は昭和15年と
戦前戦後、激動の時代の只中に
あったのですね。
映画製作に携わってきた方々の
情熱を感じずにはいれません。
風の又三郎には思い出があって
小学生のときに上級生が劇を
見せてくれました。
何か宙に浮いて舞台の端から
端まで舞っていました(笑)
今でも心に爽やかに残っています。
何かを生み出す心は共鳴しますね(^ー^)ノ
Unknown (marinne)
2016-03-09 12:15:51
斉藤達雄さんです。
ご容赦くださいませm(_ _)m
追記 (中島けん)
2016-03-09 14:19:59
タム親父さん

書き忘れました。
阪妻さんと片山明彦さんのスチールは、「素浪人罷通る」で片山さんの役は天一坊です。

こんばんわ。 (中島けん)
2016-03-09 20:27:38
marinneさん

私が小学生時代に台湾の台中市で見た映画で覚えているのは「風の又三郎」のほか、
羅門光三郎の「孫悟空」、片岡千恵蔵の「宮本武蔵」です。古いですね。(笑)
斎藤達雄という俳優さんもよく覚えています。スマートでお洒落な人でしたね。

中島様 (タム親父)
2016-03-09 22:32:54
わざわざ追記までしていただき、ありがとうございます。

星ひかるさんは、「ガメラ対バルゴン」に1シーン出演されていますね。湯浅憲明監督の特撮監督としてのデビューに花を添えるといった感じだったのでしょうか。大映末期の東京撮影所の特撮は湯浅監督が支えていましたね。

阪妻さんのサイレント時代の名作である「雄呂血」を雷蔵さんでリメイクした「大殺陣 雄呂血」が先日スカパーで放送されました。なんといってもラストの大立ち回りがすごい作品ですが、長いカットと短いカットの使い分けがなされていました。立ち回りシーンのカット割りは監督と殺陣師の方で決めるのでしょうか。それとも、監督のカット割り通りに殺陣を付けるといった感じになるのでしょうか。どちらもあると思いますが、実際はどのようなものなのか、知りたいと思います。

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