映画の宣伝は、新聞・テレビ・雑誌などの広報と広告、劇場を飾ることが最低の業務
で、我々宣伝マンはそれ以上に何か加えたいといつも考えています。
このブログでもいくつかご紹介しましたが、宣伝とはこれをやったから大丈夫と思った
ら負けで、無限に向かって日夜苦悩したものでした。
今回は大映が1959年の「あゝ江田島」を最初に、「あゝ〇〇」シリーズを製作した頃
の思い出です。
当時はまだ2本立て興行でしたから、新しい企画が順調に発案されなかった時期で、
第1作の「あゝ江田島」が若者に受けて興行成績も良かったのでシリーズ化となりまし
た。そこで盛り上げるため単純な思い付きですが、九州支社宣伝課では撮影所から
衣装を借りて、朝の出勤時から退社時間まで海軍兵学校の生徒になりきることにした
のです。勤務中はもちろん接客も外出もその恰好です。そして「敵国降伏」の額がかか
る筥崎神宮に揃って参拝をしました。直接的にどれだけ効果があったか判りませんが、
社員や劇場関係者が俺たちも負けないよう頑張ると言ってくれたのが大収穫だったと
思っています。
出勤時から外出まで、皆さん一丸となって海軍兵学校の衣装で宣伝をされていたとは♪♪
お仕事にここまでで良い、というのではなくて
無限の向上心にグッときます
皆さんが真剣であればあるほど、お写真がユーモラスに、そして素晴らしいなあと思うのです☆
やっぱり、制服(それもスマートな海軍士官)が似合うのは、けんさんが元々オシャレでスタイルが良い証拠ですね。(^。+;
映画「巨人と玩具」での製菓会社や開高健氏の著書でも宣伝部のモーレツなエピソードが描かれていますが、けんさんも日々是決戦、常在戦場の意気込みだった事と思います。
ワタシが保育園にあがるか上がらないかの頃に、家に漫画雑誌の古本が何冊か有りパラパラと観て居ましたが、題名は失念しましたがマンガではなくてSF絵物語のページで、カメラ型のタイムマシンで過去から海軍の軍人(士官)を現代に連れて来るストーリーがありまして、士官の制服のまま現代の街中を闊歩しても、全く怪しまれずに 『きっと、映画の宣伝だよ』って人々が囁き合う場面を思い出しました。
確か、「あゝ江田島」よりも後の発行の雑誌だと記憶して居ます。
大叔父が海軍の技術士官で写真が残って居ますが、けんさん達のお召しの制服よりもかなりヨレヨレです。(^。+;
宣伝課は全員嫌がるものはおらず、みんな恥ずかしがらず
むしろ楽しんでやったくらいです。
今の宣伝マンに宣伝の仕事は無限だと言っても理解して
もらえないかも知れません。
「巨人と玩具」も身につまされる内容でした。
でも宣伝は無限の仕事でもありますので、苦しい反面、楽しい想いもする訳です。
この制服は撮影所から借りましたが、気持ちよく貸してくれましたよ。