長谷川一夫先生が大映の役員をされている時に、先生の長男・林成年さんが
永田社長の勧めで大映に入ってきました。
彼は昭和6年生れで慶應義塾大学を昭和29年に卒業してすぐの話です。昭和
12年には大阪・歌舞伎座で初舞台を踏み、更にお父さんが主演の映画「土屋
主税」に出演した後も、お父さんの映画にちょいちょい出ていて、大学時代は
映画監督志望だったそうですが、大映は俳優として契約しました。
大映では数本の足慣らし作品をこなし、昭和29年の「真白き富士の嶺」(佐伯
幸三監督)が初主演作で、80本に近い出演作品があります。
最初は現代劇出演でしたが、その内に時代劇にも出るようになってからは大
半が時代劇です。印象に残る作品は「新・平家物語」「赤胴鈴之助」「大阪物
語」「ぼんち」などでの好演が思い出されます。
会社としては現代劇をやらせたかったのですが、当時の彼はやや肥満のため
あまり好評ではなく、時代劇に転向させたのです。お父さんの血を引いている
のですから、俳優としての素質は大なのですが、どこで何をやっても長谷川一
夫の息子だから・・・が、良くも悪くも常に付きまとっていて、本人の内面的な苦
しさを判ってあげたいのですが、全く思うようにはならなかった大映時代でした。
お父さんが大映を離れたこともあり、昭和35年に大映を退社し、その後はテレ
ビや舞台で活躍、お父さんが率いる東宝歌舞伎にはレギュラー出演していまし
た。晩年は舞台の他に映画「廃市」「たんぽぽ」に出演していますが、平成20年
に心不全で亡くなりました。享年76歳、生きていたら今年84歳です。
前回、梅若正二の態度の悪さが話題になりましたが、林成年は御曹司にもかかわらず、腰が低い人だったのかな。
林さんは、主役ではないものの、大映時代劇にはなくてはならない方だったと思います。明朗時代劇からシリアスな時代劇まで、脇で支える幅広い演技力を持っていた方だと思います。父が長谷川御大でなければ、もう少しほっそりしていれば、時代劇スターとして大成していたかもしれない、という「たられば」はありますが、私は脇役として十二分に活躍されたと思います。長谷川御大の本当の「忠臣蔵」での堀部安兵衛、雷蔵さんの「長脇差忠臣蔵」での宇津井さん一家の子分役、「ぼんち」での雷蔵さんの息子役、等が印象に残っています。一般的な「忠臣蔵」では、堀部安兵衛は中心人物の1人ですが、大映の「忠臣蔵」ではそうではなく、だからこそ林さんの演技力が必要だったように思います。
兄妹で大映に入ってきましたが、小野道子のほうがお兄ちゃんより、さらに熱心でしたね。
映画から舞台へ行きましたが、舞台が彼に一番合ってたようです。
このブログから追加・書き直したものが「スタアのいた季節/わが青春の大映回顧録」と
いうタイトルで、講談社から来月18日に発売されます。
アマゾンでは予約を開始していますが、詳しいことは近々発表しますね。
普通だったらもっと伸びた人だと思いますが、御大の息子というプレッシャーは、
我々の想像を遥かに超えていたと推察します。晩年の顔の方がずーっと素敵です
ものね。
前の猛虎さんの所にも書きましたが、このブログから追加・書き直したものが
「スタアのいた季節/わが青春の大映回顧録」というタイトルで、講談社から
来月18日に発売されます。近々内容を発表しますが、どうかご期待ください。
出版おめでとうございます!非常に非常に楽しみです。中島様の本で、多くの方に大映のことを知っていただきたいと思います。アマゾンのサイトを覗いてみましたが、脇役の方も掲載されるようで、うれしい限りです。出版記念サイン会など開いていただけたら駆け付けたいところです。
タイトル「スタアがいた季節/わが青春の大映回顧録」で、、来月19日の発売です。宜しくお願いします。
私は現代劇が好きで、当時は市川崑、増村保造の作品は殆ど見てましたが、いま振り返るとそれらメジャー作品の併映作品も結構楽しんで見ていましたよ。
三木裕子や仁木多鶴子の可憐な笑顔はまさしく私の青春でした。
ご著書、楽しみにしています。これからも楽しい話題を期待していますので、いつまでもこのブログを続けてください。
自分ながら面白いとの自負があります。
どうか宜しくお願いします。
有難うございます。
大映の歴史というか、日本映画黄金時代の記録にもなると思っての出版です。
もちろん三木裕子も仁木多鶴子も紙面に出しました。