博多芸妓が全国的にブレークしたのは明治・大正期。日露戦争後に満州を訪れた
水茶屋券番の芸妓2人が「満州帰りの芸者」として鼻息荒く、客を客とも思わぬ豪気
さで人気を集めたそうです。そんな2人は「馬賊芸者」と呼ばれ、やがて水茶屋の芸
妓たち全般を指す愛称になりました。「博多芸妓はおおらかで気っぷが良い」という
評判を聞きつけ、初代首相の伊藤博文が訪れたこともあり、全盛期には2千人超の
芸妓がいたと伝えられています。
戦後、「馬賊芸者」と呼ばれた芸妓たちの逸話を地元紙「夕刊フクニチ」が取り上げ、
火野葦平が小説化し、この原作を昭和29年(1954)に大映が映画化したものです。
島耕二の監督で、京マチ子・高松英郎・志村喬・中条静夫・白井玲子などが出演しま
した。博多ロケは今では考えられないくらい大規模で、見物客も空前の人出でしたし、
傘鉾の持ち手には西鉄ライオンズの中西太選手(写真参照)が特別出演しています。
↑ 傘鉾の中は西鉄ライオンズ・中西太さん