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中島けんです。新しい映画や舞台の感想を中心に、大映の思い出、海外旅行・地元の話題などを写真付きで書かせていただきます。

大映宣伝部 (33) ダイニチの設立と滅亡

2018年07月09日 | 日記

  

    昭和45年(1970)に直営館が少ない大映と、同じ悩みを抱えていた日活と一緒になっ
    て新しい配給会社ダイニチを設立しました。それが撮影所の効率化にもつながると
    考えられたからです。
    社長には大映専務の松山英夫、副社長に日活常務の坪壺田重三が就任、運営スタ
    ッフは両社から社員が出向しましたが、選ばれた一人、私の気持ちはまるで特攻隊
    のような気分でした。
    まずダイニチの運営スタッフと配給作品のラインアップを全国向けに発表しましたが、
    とにかくスタートは派手にやろうと、九州では大映から藤村志保・長谷川待子、日活は
    山本陽子・梶芽衣子を参加させた館主招待パーティを開きました。
    そのような状態でスタートしたダイニチでしたが、製作費の縮小ばかりか俳優やスタッ
    フの流失もあい次ぎ製作現場も上映館も荒廃の一途をたどり、1971年(昭和46年)8月
    にはダイニチから日活が離脱、11月には遂に大映倒産の日を迎えるたのです。
    私が大映に入社した昭和29年から最終までの大映作品スチールは、作品ごとにスク
    ラップにまとめていて、退社後に持ち帰ったスチール写真は自宅の押入れ一杯ほどあ
    りました。数年後に家人からの要望もあり、それを大事に保管・利用してくださるという
    方に思い切って差し上げましたが、いま思えば少々残念でした。
    最近では権利を引き継いでくださったKADOKAWAさんが、大映男優祭・女優祭などを
    積極的に展開してくれています。大映OBとすれば、嬉しい思いもありますが、正直言っ
    て少々淋しい気持ちでもあります。

   

   

   

   

       



コメント (6)
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