今朝のことですが、もと大映テレビ室にいた安部氏から久しぶりの電話。拙著「スタアの
いた季節/わが青春の大映回顧録」読み、急に私と連絡を取りたくなったとのこと。色々
あったが彼も私も大映大好き人間で、しかも永田雅一擁護派、電話での話が尽きず、近
々博多に立ち寄るとのことで博多在住の紺野ユカちゃんを入れて昔話をやることにして
います。
昨日はもと大映俳優・夏木章さん(故人)の息子さんからもご連絡をいただくなど、本を出
して半年が過ぎましたが問い合わせや懐かしいお便りを多々頂きました。
私のブログやFBで連絡を取り合っている大映関係者はいるのですが、殆どが故人でそ
の家族の方が多く、特に宣伝部の課長以上で生き残っているのは私一人になりました。
余談はさておき、このブログでのやりとりで圧倒的に多いのが雷蔵さん、若尾さん、渥美
マリさんそして叶順子さんです。叶順子さんに就いては一昨年の3月25日にブログでア
ップしているのですが、私も調子に乗って彼女と一緒に仕事をしたことに加えて、個人的
な付き合いにスペースをさいています。
少しWLますが彼女は東京生まれで、あるスッポン店のお嬢さん、ミス資生堂から推薦さ
れて昭和31年(1956)大映のニューフェイスになった子です。同期に田宮二郎、市田ひろ
み、金田一敦子、毛利郁子などがいて多士済々。デビュー作は「朝の口笛」で77本の作
品に出演しています。肌が白くて綺麗で健康的で大柄で、しかも芸熱心ですから京マチ子
さんタイプとして大いに将来を嘱望されたし事実活躍をしました。それが昭和38年(1963)
に突然引退してしまうのです。私は撮影所での会議で、仕事による目の酷使で、このまま
続けると失明の恐れがあったと説明を受けましたが、一方陰ではあまりにも仕事が多忙
を極めたこと、ギャラが低かったことという説もありました。いつか彼女と再会した時に、真
相を聞いてみたい衝動に駆られます。