↑ 今井正監督と私です
私はもともと監督志望だったのです。そのために脚本の勉強もしていました。
途中で宣伝畑に移りましたが、映画会社の宣伝部は普通の会社のそれと違
って、とてもユニークだしやり甲斐のある仕事でした。
従って私は宣伝部で大映の最後を見守ったことについて、少しの後悔がない
どころか本望だったと思っています。
大映に入社する前には各社の撮影所をウロウロしたことがあり、特に新東宝
では監督部の走り使いみたいなことをやらせてもらい、当時、助監督だった
山田達雄監督(故人)に大変面倒をみてもらったのは私の大事な思い出です。
そして縁があって大映に入ったのですが、大映で仕事をする多くの大映所属
以外の監督や俳優さんに会うことが出来ました。
悪名高き五社協定は1953年に締結されたのですが、それ以前も以後も会社
同士の話し合いで結構交流があっています。
監督に絞って思い出してみますと、順不同ですが、黒澤明・川島雄三・渡辺
邦男・成瀬己喜男・吉村公三郎・市川崑・山本薩夫・今井正・井上梅次・勅
使河原宏・岡本喜八・五社英雄・・・ひょっとすると洩れてる方がいるかも知れ
ません。
それぞれの監督が大映でも後々まで名作として喧伝される作品を残されてい
る方が多いですが、特に新東宝時代にお会いしたことがある市川崑監督は、
途中から大映で腰を据えて撮っていて、この大映時代の作品群こそ市川監督
の黄金時期だと私は思っています。
すべて故人となられた方ばかりですが、市川監督を始めとして吉村監督、山
本監督、今井監督、五社監督の5人は撮影所でお会いしたり、キャンペーン
で一緒に仕事をさせていただいたりして、それこそ私は宣伝マン冥利につき
た思いです。
↑ 山崎豊子さんと市川崑監督 ↑ シナハンでご一緒した山本薩夫監督
↑ 右の人が吉村公三郎監督 ↑ 一番左が五社英雄監督