近隣農家の産直野菜のお店で教えていただいた、一人のお百姓さんを訪ねた。
アリサン時代は、出入りの有機農家さんのお野菜に恵まれていたし、
自然食品店も近所だったのだけど、
新しい場所に越してきて、無農薬有機栽培野菜の入手先についてはリサーチ中だったのだー。
ハウスに転がっているのは、ホワイトロッペンという大粒のにんにく、大玉、小玉のたまねぎさんたち。。。
ナスにモロヘイヤにみょうがたち。。。
納屋の裏手に広がる畑の野菜たちは、この間のヒョウの影響を受けながらも、夏らしい元気な気を出していた。
お百姓さんはおっしゃる。
「土壌菌や病気の問題はだいたいクリアした、クリアできないのは草だ!」
一言で言うけれど、長年土壌を分析し、土作りに執念を燃やしてこられた結果の発言なんだろう。
通常は、これができないんで除草剤や殺菌剤を施す。
お母様と二人だけでやっておられるので、草とりが一番大変だとおっしゃっていた。
風貌は野獣系(おっと失礼)。
しかしよく勉強されており、相当深く考えておられるお百姓さんでした。
植物に必要なものって、窒素、リン、カリ、それだけじゃあないでしょう、ってこと。
欧米人はもともと糖尿病になりにくい体質だった、ってこと。
40年前のヒョウの話。
草と共生するヨーロッパの農。
日本の農家は潰れる?って話。
固有の文化に自信をもってるか、って話。。。
突然の訪問にも関わらず、話題は尽きないまま蚊に襲われながらしばしの立ち話。
「お百姓」
百の姓をもつ人。
百の知や技や洞察をもつ人。
だから私はお百姓さんという呼び方をする。
お百姓さんはときに、
政治家であったり、社会学者であったり、科学者であったり、思想家だったりする。
そしてそれがすべて、命を育む大地と、そして自らの労働とつながっているから、
そこからゆっくりじっくりと、導き出される答えは、
納得!と思わせるものであることが多いんだ。
別れ際に、先に話題に挙がった「長崎ちゃんぽん」のような、そんな象徴的な料理をやってみたら、との一言をいただいた。
最近まで深く考えてみたことのなかった、長崎の郷土食、ちゃんぽん。
いろんな具材がひとつにまとまって、完全栄養食になった料理、ある意味深くて、そして象徴的な料理。
そうだね、料理教室ではそんな料理をベジで表現してみたい。
そして長崎料理の面白さをもっともっとひも解いてみたい。
さりげなくいただいた一言だったが、ぴたりと言い当てられたような、入り口がまたひとつ開けられたような、そんな一言だった。
アリサン時代は、出入りの有機農家さんのお野菜に恵まれていたし、
自然食品店も近所だったのだけど、
新しい場所に越してきて、無農薬有機栽培野菜の入手先についてはリサーチ中だったのだー。
ハウスに転がっているのは、ホワイトロッペンという大粒のにんにく、大玉、小玉のたまねぎさんたち。。。
ナスにモロヘイヤにみょうがたち。。。
納屋の裏手に広がる畑の野菜たちは、この間のヒョウの影響を受けながらも、夏らしい元気な気を出していた。
お百姓さんはおっしゃる。
「土壌菌や病気の問題はだいたいクリアした、クリアできないのは草だ!」
一言で言うけれど、長年土壌を分析し、土作りに執念を燃やしてこられた結果の発言なんだろう。
通常は、これができないんで除草剤や殺菌剤を施す。
お母様と二人だけでやっておられるので、草とりが一番大変だとおっしゃっていた。
風貌は野獣系(おっと失礼)。
しかしよく勉強されており、相当深く考えておられるお百姓さんでした。
植物に必要なものって、窒素、リン、カリ、それだけじゃあないでしょう、ってこと。
欧米人はもともと糖尿病になりにくい体質だった、ってこと。
40年前のヒョウの話。
草と共生するヨーロッパの農。
日本の農家は潰れる?って話。
固有の文化に自信をもってるか、って話。。。
突然の訪問にも関わらず、話題は尽きないまま蚊に襲われながらしばしの立ち話。
「お百姓」
百の姓をもつ人。
百の知や技や洞察をもつ人。
だから私はお百姓さんという呼び方をする。
お百姓さんはときに、
政治家であったり、社会学者であったり、科学者であったり、思想家だったりする。
そしてそれがすべて、命を育む大地と、そして自らの労働とつながっているから、
そこからゆっくりじっくりと、導き出される答えは、
納得!と思わせるものであることが多いんだ。
別れ際に、先に話題に挙がった「長崎ちゃんぽん」のような、そんな象徴的な料理をやってみたら、との一言をいただいた。
最近まで深く考えてみたことのなかった、長崎の郷土食、ちゃんぽん。
いろんな具材がひとつにまとまって、完全栄養食になった料理、ある意味深くて、そして象徴的な料理。
そうだね、料理教室ではそんな料理をベジで表現してみたい。
そして長崎料理の面白さをもっともっとひも解いてみたい。
さりげなくいただいた一言だったが、ぴたりと言い当てられたような、入り口がまたひとつ開けられたような、そんな一言だった。
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