横浜第二合同庁舎は、元々横浜生糸検査所の姿を復元した建物だ。横浜開港と同時に、横浜は、生糸の輸出港として栄え、生糸は日本の花形商品だった。その品質を保証するためにできたのが生糸検査所だ。1869年のことだという。この検査機能は、神戸に集約される予定。
同じく生糸相場を主導した横浜商品取引所も東京穀物商品取引所に吸収合併される。時代の流れとは言え、さびしい。今日が最終日だった。原善三郎がこれらの取引所を設立したのは、112年前のこと。
まだ、シルクセンターは残るけど、シルク博物館にも、あまりお客さんははいっていないみたいだだし。どうなっちゃうのかな。人気のシルクロードと絡ませて、イメチェンできないかな?
今は、全国の製糸工場は4つのみという。小学生の時、福島の親戚の家では蚕をたくさん飼っていたが、疾うの昔にやめてしまっただろう。日本の生糸は、死語になりつつあるのか。