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かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

コケーシカ 2023

2023年05月03日 | Tohoku ( Japan )


今日は、GWらしい素晴らしい天気。
5連休だが、明日から、4日連続ゴルフなので、今日が唯一フリー。
雑務とショッピング。

昼は、鎌倉のコケーシカさんに行った。
本当に久しぶり。
コロナ以降初めて。
以前はよく行っていたのだが、ウクライナへのロシア侵攻があって行きにくくもなっていた。
マトリューシカとこけしのお店だから。
民主政治ができていない国でしょうがないのだが、国として動いているので、無罪放免という訳にもいかない。
店舗が半分になっていたが、半分は、スタジオにしたとのこと。
存続させることが大事。



店内のディスプレイは、いつもおしゃれ。



何故急に行ったかというと、昭和の絵葉書が売りに出ていて、売れるまいと思っていたら、売れ出したので、急遽確保に走った次第。
親がこけしを集めていた頃の貴重な記録。

これは、当時の葉書。
いくらで発行されたのかわからないが、芸術的にも、歴史の記録としても貴重。
今も、コラボ切手はよく見るが、コラボ官製はがきはあるのかな。

高橋忠蔵木地生活70周年記念とあり、東京こけし友の会の西田峯吉氏が説明を書いている。
発行は、当時高橋さんが住んでいたと思われる日野郵便協力会と日野市観光協会になっている。



こちらも同様。
切手収集や、こけし収集が人気だったからこそできたのだろう。
こちらは、青森の黒石郵趣会発行になっている。
温湯こけし 森秀太郎と奥瀬哲則 絵入官製はがきとある。
昭和54年4月20日発行になっている。



実家をひっくり返せば出てくるのかもしれないが、土湯の西田記念館の絵葉書。
今回ゲットした中では、一番資料的価値が高い。
矢田金一郎さんという人が、撮影をしたようだ。
企業がバックアップしているので、サステイナブル?
各地のこけし館を周っているが、ここが一番しっかりしているかもしれない。
こちらは、1995年5月発行で、No.2とある。



収蔵品を一点一点丁寧に撮影している。
1枚1枚、系統、作者名、サイズの記載がある。



西田記念館所蔵の名品を厳選している。



こちらは、こけし屋さんという個人の方が作られた絵葉書のようだ。
1集は、故人の方の作品、この2集は、現代作家の作品を集めたという。
3集、4集も出したいという。
こけし屋さんという名前を探したが、見つからず、個人的な名前と思われる。



集合写真になっているが、昭和40年代の名品が集合している印象。



作者とサイズが1本毎に丁寧に記載されているが、調べるのに、苦労したとある。



最後にご紹介するのが、この木地玩具と伝統こけしのセットの絵葉書。
相当のボリュームだが、500円。
菅野新一さん、阿部平四郎さん、鳴子町観光課が協力とある。
発行は、仙台一番町の斉藤写真工芸所とある。
今は、もうないようだが。



こけしを集めると、木地玩具も入ってくる。



我が家にあるものも?



こけし群の方も圧巻。
こけし、木地玩具とも、概ね系統毎にまとめられている。



但し、古品はなさそうで、昭和後期の作品群と思われる。



解説は、系統毎の説明に止まり、1本毎の作者名はない。



今日は、最高の散策日和。
外国人と日本人と、共に楽しんでいた。
新たな店も多数。
これも?



江ノ電駅の方が、人気?



帰ってから、ベイサイドマリーナへ。
山道具ゲット。
こちらも最高。
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袖珍(しゅうちん)こけし図説 特装版

2023年01月26日 | Tohoku ( Japan )
今日は、在宅。
大寒波は一旦収まったようだが、週末どうか。



本書を、横浜人形の家のこけし展で知った話はした。
ネットで調べたら、リーズナブル価格で、出品されていたので、早速ゲット。



届いたら、びっくり。
美品だった。
読んだ形跡もない。
このような特別な本は、元々読む目的で買うものではないのか。
7㎝四方。



本を傷めるのが怖いので、思いっきりは読めないのだが、最初がカラーの口絵、そして、白黒の口絵、そして、中屋さんの解説と続く。
元々は、”木の花”という同人雑誌に連載されたものを、本袖珍本にしたものらしい。
袖珍という言葉は、元々、和服の袖に入るサイズということで、”豆本”の呼び名に使われたいたようだが、そのような小さな豆こけしを、袖珍こけしと名付け、東京こけし会が、昭和16年から18年に工人たちに作らせた。
頒布したのは1寸6部(4.8cm)のこけしで、100工人を目指したが、戦争のため、80工人で中断した。
右側は、佐久間虎吉。
昭和40年代、まだ現役で知ってる工人さんと思ったら、私の知っていた虎吉さんは、二代目だった。



鳴子系の高橋武蔵さんは、昭和40年当時、亡くなられていたが、こけしは、まだ流通していた。



左の津軽系の盛秀太郎さんのこけしは、今も大人気。



左の弥治郎系の佐藤丑蔵さんのこけしは、私のイメージとはずいぶん違う。
丑蔵さんは、昭和40年代、まだバリバリの現役だったから、我が家にも多くある。



右側が、口絵の最終頁で、そこから中屋さんの解説。
一本一本丁寧に説明してくれる。
今となっては、貴重な情報源だ。



昭和53年発行。
3,800円。
当時としては、高価。
限定250部の内の、何と2番。
私の理解では、1番は、著者が確保するので、実質一番の客がゲットしたものかもしれない。
特装版とあるが、ネットで調べると、別に異装版があり、3,000円となっている。
異装版も、限定250部の内だろう。



謎のメモ。
以前に古本で、取引された時ものか。
昭和62年10月19日。
数字は、9,500円か、3,500円か。
タイミングから言うと、9,500円の可能性の方が高いか。

実家を探せばあるような気もするが、楽しい本をゲットできた。
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大内宿と伊佐須美神社

2022年11月29日 | Tohoku ( Japan )


今日も仙台駅から出発。
牛タン通りの入り口で、仙台名物のミニチュア展示を発見。
誰が作ったんだか知らないが、面白い。
 


これは、牛タン。
この小さな世界に見事再現されている。



今日も郡山でレンタカーを借りて、会津若松経由、大内宿に向かう。
昔は、全然知らなかったが、最近よくテレビに出てくる。
行ってみたらそのまんまだった。
郡山からは、高速で、会津若松に出て、日光方向に一山越えることになる。
大駐車場に停めたが、そんな大きなスペースでもなく、観光シーズンは、大混雑だろう。
大内宿の入り口近くに、テレビによく出る三澤屋さんがあったので、早速イン。
そんなに大きくはなく、冬仕様か、こたつ形式で、多くの客は捌けそうもない。



まずは、マストの高遠そば。
具は、鰹節と大根おろしのみの、シンプルな冷やし蕎麦?
蕎麦は硬めで美味しかったが、なんと言っても特徴は、このねぎで食べるところ。
意外と硬くて、ちゃんと食べられる!
少しづつネギも齧りながらいただくが、残り1/3ぐらいになったところで、箸に切り替えた。
まぁ、話の種にというところだが、味は、普通。



ついでに、サイドメニューの岩魚。
甘く料理されていたが、やっぱりシンプルな塩焼きか?



この天ぷらも、地のものを豊富に使っていて美味しい。
珍しいのは、饅頭の天ぷらで、これは、つゆにつけず、そのままいただく。
饅頭そのものだった?



腹ごしらえの後は街歩き。
そんな大きな街ではないが、人気が絶えないのは、それが生きているホンモノの街だからだろう。
この姿が今に伝えられたのは、奇跡と言える。
もちろん、合掌造りなら家並みも残っているが、特徴的な造りで、その価値は、昔から認識されていた。
一方、大内宿の家々は、昔は、当たり前の造りで、その価値も理解されず、どんどん建て替えられてしまった。
ところが、大内宿のこの通りだけ、この姿で残された。
誰か、街並みを保存すべきとする提唱者がいたのだろうか。

大内宿は、江戸時代、下野街道の宿場町として栄えたが、明治以降、幸か不幸か、幹線道路からはずれ、昔の姿をとどめることになった。
鎌倉時代から、会津と関東を結ぶ街道として往来はあり、江戸時代も脇街道として整備されたが、五街道ほど栄えたわけではなかったそう。

この鳥居は、高倉神社の一の鳥居。
清盛全盛期の1180年、後白河天皇(西田敏幸?)の第2皇子である高倉以仁(もちひと)王が、源頼政の勧めで、挙兵したものの、加勢も得られず、平家側に発覚し、宇治川の合戦になり敗戦。
そこからは、伝説になるが、以仁王は、東海道、甲斐、信濃、沼田、尾瀬、大内、只見を抜けて、越後入り。
東蒲原郡上川村で死去されたという。
大内村に立ち寄った時、風情が、都に似ていることから、町名を山本村から、大内村に改めたという。
この神社は、この逸話にある高倉宮を祀っている。
800年前の話で、真相は藪の中だが、陰で平家を快く思っていなかった勢力が多かったとすれば、あり得ない話でもない。
その隣が、高倉王が匿われたと言われる宿。



宿場町だから、一般の民家よりは大きい家々。
壮観だ。



土産物屋も並ぶが、正直、テイストに合うものは?
見るには、楽しいが。



突き当たりの小山から、大内宿を一望にできる。
写真ではよく見るが、実際に見ると、実在感があって、本当に見事。
後から、この写真を見たら、ジオラマ写真に見えた。
それほど、出来過ぎの景色だ。



本陣跡。
街並み展示館として公開されているが、今日だけクローズ。
町全体、雪囲い作業の日で、これだけ大きな建物だとたいへん。
明日から、冬?
三澤屋さんは、通常影響を続けながらの雪囲い作業だった。
雪国ならではの知恵。
道路脇のポール立て作業も各所でやっていた。
付けっぱなしだと傷むのだろうか。



次に訪れたのは、岩代国一宮の伊佐須美神社。
会津の総鎮守、と言っても、会津若松の中心部からすこし離れたところにある。
その歴史は古く、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が始祖を祀ったのが最初で、欽明天皇時代に現在地に社殿が造営されたという。
室町時代に領主の芦名氏が社殿を造営。歴代会津藩領主に篤く崇敬を受けた。
この赤の大鳥居も見事。



門もまだ新しそうだが、立派。



神様の像は、珍しく飛鳥・奈良時代の天皇の姿か。



ところが、拝殿、社殿は、仮だった。
荘厳な社殿があったそうだが、平成20年に焼失したという。
大きな建物だから、再建もままならず、この状態になっている。
入り口に、御神木の木が展示されていたが、再建できることになったら、使う予定らしい。
会津の総鎮守と呼べる立派な社殿が再建されることを祈りたい。

ということで、参拝の後、郡山経由で帰宅する。
ぎりぎり、雨にも降られず、充実の3日間だった。
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陸中・陸奥 一宮巡り

2022年11月28日 | Tohoku ( Japan )
昨夜のコスタリカ戦は残念だった。
勝てるゲームを落とした感じ。
スペイン戦で、勝つか分けるか。
負けたら終戦。



今日は、陸中、陸奥の一宮巡りをした。
まずは、一関乗り換えで、水沢へ。
普段は、新幹線で素通りしているエリアだ。
久しぶりに東北地方のローカル線に乗ったが、暖房効果維持のため、ドアの開閉は、ボタン式になっている。



奥州市と言えば、大谷選手。
まだ、小松の松井選手ほどの騒ぎにはなっていないが。



訪れたのは、駒形神社。
水沢公園の一画にある。
ずいぶん古い公園で、駒形神社が明治36年に、駒ヶ岳山頂から遷座した時には、既にあったそうだ。



雄略天皇の時代に創建されたと伝わる。
当地には、元々、塩竈神社があったそうで、今も別宮として鎮座している。
祭神は、駒形大神。
坂上田村麻呂、奥州藤原4代、南部、伊達藩主からも、厚く崇拝された。



次に向かったのは、一転郡山で、レンタカーを借りて、陸奥の一宮巡り。
大人の休日倶楽部カードをフル活用。
新幹線で行ったり来たりで快適だ。
水郡線沿いに南東方向に向かう。
最初は、石都々古和気神社。
愛宕山頂にあり車で登ったが、悪路で、下の駐車場に停めて、足で登った方が良い。
夏は、結構きついと思うが。



向かう途中には、紅葉の道。
ピークか?



奇岩もいっぱい。
一つ一つ名前が付けられている。
古代の磐座といわれる。



いよいよ神社。
祭神は、大国主神の子である味すき高彦根神で、中臣鎌足が祀ったという。
後に訪れる都々古別神社から分祀されたという説も。



社殿はこじんまりとしているが、代官であった石川有光が、建てた三芦城(みよしじょう)が、あった場所。
その城は、豊臣秀吉に取り上げられた。



城址の碑。
狼煙塔跡も、あった。



次に訪れたのは、都々古別神社。
似た名前の神社が、多くて混乱するのだが、ナビでは、八槻都々古別神社で出てくる。
日本武尊が東奥鎮撫の際、都々古山に鉾を奉ったのが起源というが。
祭神は、大国主神の子の都々古和気神。



立派な門。



拝殿も。
近津中の宮と呼ばれる。



紅葉も素晴らしかった。
裏に古墳があるが、蛇が、出るので、長靴を履くよう看板があり、踏みとどまった。



ラストは、津々古別気神社。
馬場に鎮座するので、馬場津々古別気神社とも呼ばれる。
近津上の宮とも呼ばれる。



古風な門。



参道は、紅葉に埋まっている。



拝殿は.銀杏の葉がいっぱい。
 


扁額は、会津出身の松平定信公の直筆。



本堂は、重文に指定されている。
日本武尊が、創建し、坂上田村麻呂が、遷座し、日本武尊を祀ったという。
足利義満が、社殿を造営し、秀吉の命で、佐竹義宣(よしのぶ)が、江戸初期に再建。
丹羽五郎左衛門が棚倉城を、建築した際移築されたという。
城は、石垣の一部を残すだけだそうだが、かなりしっかりした造りであることがわかっている。

宮司さんが話好きで、30分ぐらい話しただろうか。
畠山重信の次男が、創建した寺が近くにあり、奉納した鎧が当社に残っているとのこと。
今は、かなり傷んでいるが、横浜歴史博物館での畠山重信展での目玉展示になったとのこと。
御嶽山深沙の国宝の同種の鎧を上回る造りで、兜部分は、トーハクに展示されているとのこと。
鎧の復元品は、会津若松に展示されている。
同じく、源義朝が奉納した刀2本も納められている。

これは、当地が、奥州攻めの裏街道の要所に当たることによる。
白河超えの奥州街道経由と、常陸経由(常磐道?)があり、当地は、常磐経由で北上する時の要所にあったということらしい。 



ということで、当社の目的達成。
風光明媚なところであり、またのんびり訪れたい。
無事、仙台駅に帰還。
政府の施策もあってか、賑わっている気がする。
今回は、予約取り直して、ずいぶんお世話になった。
最初予約した時は、予算枠使い切った後だったが、予算が追加された。



地域クーポン券で、伊達の牛タンを、いただいた。
牛タン店は、首都圏でも増えて来たので、改めていただくこともないのだが、地域振興のために。
明日は、最終日。
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仙台文学館

2022年11月27日 | Tohoku ( Japan )


今日は、仙台。
まずは、すし哲さんで腹ごしらえ。
贅沢?



故あって、東北福祉大学近辺。
スポーツで、世界的に有名になった。



たまたま駅伝の日だったが、見られなかった。
田中選手は、どうだったのかな?



今日の、メインは、仙台文学館。
今の館長は、高校の後輩だし、初代は、大先輩の、井上ひさしさん。



敷地も広くて、全体が庭園のようになっていた。
展示は、井上さんが、トップだが、その後、仙台縁の作家が、俳家、漫画家も含めて、バランスの良い、メリハリの効いた展示に、なっていた。
青葉繁れるの草稿もあったが、緻密な構想の元に書かれたことがわかる。
私は、何度か見ているが、初めて見た人は、驚くだろう。
仙台出身の人だけではなく、幅広い文学ファンの、期待に応えられる展示だと思う。



夜は、コスタリカ戦に、備えて、早めに。



仙台でしか食べられないものを中心に。
これは、ホヤの酢の物。
もちろん、牛タンや、定義の三角油揚げなど、お腹いっぱい。
久しぶりの仙台。
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