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かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

「こけし」の真実

2024年08月03日 | Tohoku ( Japan )


今日は、ゴルフ。
高原ゴルフで、曇りがちで、ラッキーだった。
スコアは、低迷が続いている。



本書は、今回訪れた日本こけし館のショップでゲット。
深沢要さんから寄贈されたコレクションを中心に、昭和50年にできたというが、私は、初めてということになる。
流石、本場ですばらしい展示だが、高松宮や、菅原文太さんからの寄贈されたこけしコーナーもあり、見応え十分。



展示の根幹をなす、深沢コレクションのコーナー。
当然、一番充実している。



工人さんが、日替わりで実演。
絵付け指導も。



そして、お土産コーナーで、本書をゲット。
平成21年に、平井敏雄さんという方が著した。
昭和12年生まれの東北大の無機材料科学の先生。
さまざまなこけし会に所属され、平成12年にこけしを食う虫という本を出されている。

本書は、こけしが”子消し”という説が間違いであることを立証した本。
読んでみたら、素晴らしい本だった。
理系の先生の書だけあって、見事に、子消し説を否定している。

それにしても、何故この俗説がこれだけ広まったのか。
始めてこの説が出たのは、昭和40年代後半で、それ以前は、誰もこんなことを言う人はいなかった。
そして、それが、NHKの番組(新日本紀行)で、取り上げられたり、引用が引用を呼び、広まった。
広まった背景には、東北→寒い→飢饉→子殺しという漠然としたイメージが背景にあったのではというが、ますますたちが悪いと著者はいう。
飢饉は、全国各地で起こったし、子殺しも別に東北で起こったものでもない。
要するに、東北に対する偏見がベースにあって、この誤った説が流布したと考えられるのだ。

そして、著者は、誤った説を流布した著者・マスコミ等に訂正依頼を出すが、応じたのは、半分ぐらいで、後は、泣き寝入り。
その後のこけしの悪イメージにつながってしまった。
そもそもこのこけしという名が定着したのも、そんなに昔の話ではなく、地域毎に違う呼び名があったという。
著者は、こけしの発祥についても、調査し、作並温泉ではないかと推理している。
流石に、証拠に限界はあるのだが。

個人的に関心があったのは、NHKの番組についてで、平成になって、リメイクされ、放送されており、録画しそこねて残念に思っていたのだが、その元番組は、昭和48年に放送されていて、私もお会いしたことがある伊藤松三郎さんが、子消し説に加担するようなコメントをしているという。
著者によれば、NHKは、こけしを、東北の物悲しいイメージと重ねるような番組構成をして、それが、この発言につながったのではないかと考えている。
松三郎さんに確認のしようはないのだが。
リメイク版は、その辺が強調されない構成に修正されていたという。
著者がこけしを集めていたのも、親が集めていた時と重なるので、もしかすると親と知り合いだったかもしれない。
2017年亡くなられていて、確かめる術はないが。

多くのこけし関連書が取り上げられているが、たぶん実家にそのほとんどがあるはず。
その中には、妄想のみで書き上げられたと推察される本も多数含まれる。
私の言う、トンデモ本だ。
何の根拠もなく、頭の中で、勝手にストーリーを組み立ててしまう。

今、フェイクニュールが世をにぎわせている。
〇〇砲がさく裂し、多くの人が、その地位を失っている。
もちろん、その中には真実も含まれるし、報道の自由も守られるべきだが、その影響の大きさをよく自覚した上で、出版業界、マスコミは、行動するべきだろう。
まだ、インターネットが普及する前に、このような誤った説が、流布したことは、現状を見ると、極めて興味深い。
火のないところに煙は出ないというが、今は、火のないところにも、煙は出るのだ。

各地域のこけし館は、こけしの発祥についての諸説とこけしの名の由来については、必ず最初に説明した方がいいだろう。
今となっては、子消し説は誤りとのコメントも付け加えなければ、ならないかもしれないが。
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鳴子逍遥

2024年07月31日 | Tohoku ( Japan )


宇宙朝顔、葉っぱばっかりで、花が小さいのだが、大丈夫か?
今日は、雑用に従事したが、ずいぶん進んだ?



鳴子でゲットした本のご紹介。
本書は、この高亀こけし店でゲットした。
平成30年、200部限定というから、デッドストック。

高亀さんは、230年前創業の老舗中の老舗。



現在の工人は、高橋武俊さん。
そのお父さんと、お祖父さんのこけしは持っているが。
11代目?
こけしのみならず、優れた出来の木地製品を売っていたので、鳴子を訪れたら、是非お立ち寄りいただきだい。



そして、本書。
照井順一さんという方の木版画と、大コレクターで、鳴子の日本こけし館の基礎となるこけしを寄贈した深沢要さんの蔵言を集めた小冊子。
照井さんは、昭和25年生まれというから、70代半ば。
昭和49年から鳴子に訪問し続けているという。
味わいのある版画と、マッチした言葉の数々。
いいセンス。

最後の言葉に、”ナルゴと訓む”とあるが、調べたら、今は、公式には、ナルコとされているらしい。
駅名も、ナルコに変更された。
ただ、東北弁だと、ナルゴの方が発音しやすいということで、いまだにナルゴと呼ばれるケースも多いという。
ということで、地元に親しめば親しむほど、ナルゴになるのだろう。
私も、今回行くまでは、ナルゴと思っていた。
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七夕

2024年07月30日 | Tohoku ( Japan )


鳴子で泊まったホテルは、鳴子温泉ど真ん中。
中も、こけしだらけ。



数で言えば、普通のこけし館を上回る?
老舗ホテルで、歴代社長が集めたものも展示されており、古い名品も多い。



地酒をたのんだら、ここにもこけし!



朝は、バイキングだったが、眺めのよい部屋で、素晴らしい景色。
川が、濁流で濁っているのが見える。
鳴子ダムが放水しているせいだが、ようやく梅雨が明けるらしい。



帰りは、用事があって仙台で一時下車。



1週間後に迫った七夕の飾りつけが、にぎにぎしい。
仙台に住んでいた頃は、当たり前に行けてたけど、仙台を離れてからは、1〜2回しか行けてない。
ねぶた祭りとか、竿頭祭りよりは、行きやすいと思うのだけど。

今晩は、宇多田ヒカルさんのコンサートがあるそうで、市内のホテルは、どこも満室。
経済効果大。



今晩は、駅弁にして、崎陽軒さんの新製品?



こんな感じ。



中身の説明だが、意外性には欠ける?
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鳴子温泉

2024年07月29日 | Tohoku ( Japan )


今日は、久しぶりの東北。
それも、たぶん、小六以来の鳴子。
こまちに乗ったのも初めて。
仙台で乗り換えて、古川はすぐ。
そこからは、レンタカー。



最初は、あ・ら 伊達な道の駅。
途中の岩出山にある。
道の駅全国一にもなったそうな。
猪肉を使った大崎担々麺をいただいた。



そして、鳴子ダム。
日本のみの技術で作られた最初のアーチ式ダムという。
企画は、戦前からあったようだが、できたのは、黒四より、そう前でもない。



日本こけし館。
初めてだったが、流石の展示だった。



鳴子峡谷。
紅葉の季節は大変だが、今はがらがら。
気温も、27度ぐらいで快適。



潟沼。
硫黄の匂いが凄い。
カヌーや、クレー射撃など、スポーツの拠点にもなっていた。



温泉神社。
延喜式内の神社というから驚かされる。
平安時代から知られた温泉だったことが分かる。



鳴子温泉は、こけし屋さんだらけ。
みな老舗だが、廃業も多いとのこと。
小学生の時、大沼さんとか、伊藤さんの工房を訪れたことを覚えているのだが、今は、子供か孫の代になっている。
50数年振りに訪れることができて、嬉しかった。
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東日本大震災から12年ー貞山運河の歴史と再生

2023年05月29日 | Tohoku ( Japan )


今日は、梅雨模様。
東海以西は、梅雨入りしたが、関東も時間の問題。



国際フォーラムでの講演会に行った。
この建物、デザインは、いいのだが、使い勝手、維持費は?



講師は、高校の後輩。
地方紙で、論説委員などを務めて来られた論客だ。
地元愛あふれる講演だった。

そもとも貞山運河とは?
恥ずかしながら、知らなかった。
仙石線(仙台から海沿いを通って石巻を結ぶ)沿線の人にはなじみらしい。
伊達政宗の時代から、こつこつ築かれてきた、仙台の東側数十キロにわたる堀(運河)だ。

伊達政宗の所領は、元々米沢。
疎んじられ宮城県北部の岩出山に移されるが、関ケ原の活躍?で仙台に62万石を得る。
その後、農業に力を入れたため、100万石を超えた時期(幕府には、秘密)もあったという。

仙台は、新しい街で、まだ何もなかったから、街作りから、寺社作りまで、大量の木材が必要だったが、陸路では限界があり、南の阿武隈川の奥から木材を切り出し、阿武隈川と広瀬川(下流は、名取川)をつなぎ、そこから上流の仙台まで運んだ。
そのために作られたのが、木曳(きふね)堀で、貞山堀の始まり。
仙台での材木商や、木材の貯蔵地が、まだ町名に多く残っている。

次に作られたのが、鹽竈と、仙台の東にある港であった蒲生をつなぐ御舟入堀。
これは、伊達藩で作られた豊富な米を江戸に送るための運河。
江戸で消費されるコメの10%が伊達藩からのものだったという。
そのため、伊達騒動でも(樅の木は残った!)、伊達藩は、お取りつぶしになることはなかった。

そして、北では、米、生糸を運ぶため、北上川と南をつなぐ北上運河が作られた。
その後も、運河がつながり、宮城県の海側を南北につながる運河が作られた。
貞山運河と名付けられたのは、明治になってからで、伊達政宗の法名にちなむ。

大久保利通は、東北開発を富国強兵の重要施策とし、蒲生港を横浜並みの国際港にするべく、大工事を行った。
運河も大幅に拡幅され、大型船が、往復できるようになった。
生糸は、当時の重要な輸出品だった。
ところが、完成直後に津波を伴う大地震が発生し、港は、破壊され、再建されることはなかった。
その代わり、鉄道が建築され、海運より、陸運の方が、重視されるようになっていった。
全国的にも、優先的で、早かった。

貞山運河はその後も、地元の人に愛され、象徴的風景となり、シジミ漁なども行われた。

ところが、3.11で、貞山運河は、大津波で大被害を被り、周辺の街は、山側に移動させられる等、大きな変化が起きる。
自慢の松林もほぼ消滅した。
ただ、ここに来て、その土地を自治体が買い上げ、民間に安く貸し出し、様々なプロジェクトが、始動したのだという。
複合施設であるテラスや、フルーツパーク、温泉施設など。
それぞれの施設は、魅力的なものであるが、講師の目から見ると有機的なつながりに欠けるという。
そこで、船で移動できる手段などを提供し、エリア全体で、町おこしを行うプロジェクトを立ち上げた。
凄い情熱。

大学から首都圏に出て来た私と違って、ずっと仙台ベースで、暮らして来た方の地元愛。
仙台空港には、国際便も復活してきて、多くの外国人観光客が東北を訪れているが、仙台よりも、周辺県に行く拠点になっているという。
そこで、空港に近い貞山運河を、観光のスタート地点として、より魅力的なエリアにできないかというアイデアだ。
正直、街からは、やや遠く、元々物流のために作られた運河で、そこにどのような付加価値をつけられるかは、難しいような気もする。
アムステルダムや、ブルージュなどを見てきてしまっているから。

そのため仙台市内の川につなげようとしうプランがあったが、仙台市内の河川には、まだ3.11時のがれきが、川底に放置されたままで、まずはそこから手をつけなくてはならないという。
幸い、そのプロジェクトも動き出したという。
今後、仙台が、ますます魅力ある街に成長して欲しいと思った次第。
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