かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

出雲大神宮・賀茂別雷神社

2022年12月19日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日も、凍える寒さ。
とは言え、時間があったので、京都の一宮巡り。
まず向かったのは、丹波国一宮の出雲大神宮。
京都から、嵯峨野線で、亀岡駅に向かうが、電車が混んでいてびっくり。
ほとんどが、京都市内の太秦までで降りていた。
バスよりも早いので、みなJRを使うようだ。
途中、以前高雄三山から歩いて行った保津峡駅を通った。
嵐山を越えると、平野が開けた。
トロッコ列車の始発駅もあった。
この寒い中でも、結構ホームに客席の姿があった。



亀岡は、サンガの本拠地であることを知った。
京都の隣の亀岡市になる。



バスで、結構細い道を15分ぐらい行くと、出雲大神宮に着く。



立派な、神社。
崇神天皇の時代に再建されたと伝わる。
背後に、千年山と呼ばれる神体山があり、そこに神が、降臨したという。
その山には、100円の入山料を支払うと入れる。



奉社殿は、足利尊氏により改修されたとされ、重文に指定されている。
当地から、島根の杵築に大国主命の一柱を、移したとされ、元出雲とも呼ばれる。
山陰道沿道にあり、京と出雲の接点であった。
平安時代の書や、徒然草にも記載がある。



拝殿。



社殿の後ろの山には、多くの摂社、古墳、滝などが。
これは磐座。
神社ができる前から、あったものと思われる。



上の社。
素戔嗚尊と、櫛稲田姫尊を祀る。



御陰の滝。



本殿。



神饌田。



亀岡から、京都に戻り、地下鉄で北山駅からへ。
陶板名画の庭という施設があったので、入ってみた。
大塚美術館のように、大きくはなかったが、屋外で、滝とセットで展示されているのが、ユニーク。



実物大。
見事ではある。
全て見たことがある絵だった。
我ながら、ビックリ。



鴨川。
のどかで美しい。
TVドラマを思い出す。



そして訪れたのは、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)、通称上賀茂神社。
訪れたのは、2回目。
前回は、拝殿の中まで入れたが、年末年始は、公開していないそうで、今回は、拝殿まで。
さすが、世界遺産、かつほとんどの建物が、国宝、重文。
重みがある。



印象に残っている円錐形の砂盛り。
神山を象ったと言われる。



美しい朱塗りの楼門。
賀茂の地は、古くから賀茂氏の勢力範囲で、平安遷都の前に、葛城の地から、当地に移って来た。
その後、平安京に都が移され、桓武天皇が行幸後、歴代天皇が、60回以上、行幸したという。



拝殿。
中の本殿も含めて国宝。
2回目だったが、山城国一宮。
流石だった。



西に進んで、神光院。
西賀茂の弘法さんと呼ばれる。



本尊には、愛染明王、歓喜天も。



その南には、大将軍神社がある。



変わった名前の神社だが、推古17年創建と伝えられ、平安遷都以降は、北方を守護する神社に定められた。



社殿が傷んできているようで、覆いが。
やや、寂れた感も。
ということで、京都府の一宮二社と、京都北西部を散策できた。
バスで、京都駅まで戻ったが、50分近くかかった。
それでも230円で、リーズナブル。
京都府は、巡り甲斐がある。
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奈良 & 京都・大原

2022年11月05日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今朝は、初めての奈良ホテルで、デラックスな、和定食。
窓からは、興福寺の五重塔が見える。
窓枠は、当初の木製の枠を残し、その外に、サッシを嵌め込む贅沢な作り。



食後、近隣を散策。
猿沢池からのおなじみの構図。



今日は、近鉄特急で、京都に移動し、大原散策。
前回は、京都駅から、バスで行ったと思うが、今回は、国際会館まで、地下鉄で行って、バスに乗り換え。
この方が早いし、渋滞リスクもない。
まずは、寂光院へ。
途中の、コスモス畑。
この辺は、野生の赤紫蘇が取れるそうで、その保護を訴える看板が、そこここに立っている。



紅葉は、まだ色づき始めという感じだが、綺麗。



寂光院は、聖徳太子が建立したと伝えられるが、なんと言っても、安徳天皇の母である建礼門院が、平家が滅んだ後、亡くなるまで過ごした場所として有名。
所縁の井戸や、住まい跡が残る。



このお堂や、中の、本尊の地蔵菩薩は、2000年の放火後、再建されたもの。
放火された地蔵菩薩は、まだ重文指定され、残されている。
胎内の無数の小仏像も、合わせて展示されている。
本当に残念な出来事だったが、地蔵菩薩が焼け焦げた後も立ったままであったことも、奇跡的。



お庭も綺麗に手入れされていた。

お寺の入り口近くに、高倉天皇の皇后の徳子様の陵があったので、お参りして来た。



ランチは、とろろ蕎麦と、梅ご飯。
梅ご飯に使われている紫蘇は、もちろんここで採れたもの。



次は、メインの三千院に向かう。
参道を歩きながら、前回来た時に、呂律の言葉の由来を知ったことや、冷やしキウリを売っていたことを、思い出した。



人出は、戻って来たが、まだ、ピークほどではない。



石段の紅葉も綺麗。



庭を見るために?お抹茶をいただいた。
京都は、寺社の入場料金などが、何でも高く、カードも使えないので、キャッシュの減りが早い。



小さなお庭だが、苔が素晴らしい。
紅葉の見頃は、まだ、これから。



目玉の本堂。
ここの阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩は、本当に凄い。
かつてのトーハクの国宝展でも、公開されたが、平安の仏像として、最高峰。
来迎図のリアル版とでも言おうか。
まだご覧になっていない方は、是非、足を運んでみて欲しい。



寺域は、さらに広がっており、小道には、かわいいお地蔵さんが、並んでいる。



鎌倉時代の石仏という。
姿は、美しいが、傷みは、激しい。



すぐ近くにある鎌倉殿の13人にも出ている後白河天皇の陵。
平安時代から鎌倉時代にかけて、重要な地域であったことがわかる。



大原のメインは、過ぎたが、さらに奥の勝林院へ。
ここからは、初めて訪れる場所。
1013年、天台声明の根本道場として建立された。
堂内では、声明の音が流れる。
法然上人を招き、極楽浄土について、議論したとのこと。
大原問答というそうだ。
そう言えば、途中、法然上人の腰掛け岩があった。
仏像は、江戸時代のもので、立派だが、風格には欠けるか。



最後に訪れたお寺ほ、さらに登ったところにある来迎院。
ここまで来ると訪れる人も少ないが、重文の三尊像がある。
小ぶりだが、藤原時代の優品だ。



ここまで来たらということで、さらに上の、音無の滝まで、足を伸ばした。
声明の音が、滝の音と調和して、滝の音が、消えたことから、この名があると言う。



ということで、高野山、奈良、京都◦大原を、満喫できた。
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近江国

2022年07月19日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今回の旅行は、元々天気予報は悪かったのだが、2日目までは、どうにか持った。
3日目にして、ついに大雨。
今日は、旅程を、大幅に変更した。
当初三方五湖レインボーラインを楽しもうと思ったのだが、この雨で、SAから、三方湖を見下ろしたのみ。



次に行こうとしていた竹生島は、何と船が欠航。
風はそんなでもなかったので、どうにかなると思ったのだが。
ただ確かにあの雨では、楽しめなかったろう。
そこで、その次に行こうと思っていた渡岸寺観音堂(向源寺)へ。
いよいよ最終の近江国まで来た。
一宮の建部神社には、先日参拝した。

こちらは、山門。



仁王像。
保存状態は、良くないが、平安時代前・中期の貴重なもの。



法隆寺の金剛力士像と同時期ではないかとのことだった。



そして、メインの本堂と観音堂へ。
本堂の方には、十一面観音が、秘仏だった時代のお前立ちがある。
小仏だが、均整が、取れている。

メインの十一面観音は、2006年の上野の仏像展で見て以来。
その時は、高いところにガラスケース入りで展示されていたので、今回は、よりじっくり見れた。
化仏の一つ一つの表情、化仏にまた化仏があったり、耳のところにも化仏があったり、優雅な中にも個性あるお姿になっている。正面の阿弥陀仏立像は、後から、加えられたものだそうだ。
実は、頭部には、十面しかない。
仏頂の化仏が、下の化仏に指示を出すのだそうだ。

豊臣と浅井氏の戦いの際、寺は、焼失したが、仏は、地中に埋めて、無事だったという。
その時の場所も、大事な場所になっている。

大日如来像も平安時代のもので、重文。
阿弥陀如来も平安時代のもの。
その他、仏像の台座である、獅子や、象の木像も残されている。
新しいの方が丁寧に説明してくれて、満喫できた。



時間が余ったので、2度目になるが、彦根城に行った。
こちらも2010年以来。
今回は。まず博物館に行った。
井伊家のお宝が、惜しげもなく展示されている。
単なる権力者だったわけではなく、文化人、知識人であったことが分かる。
天皇の許しなく開港した人物とされるが、さまざまな意見聞きながら、意思決定していた様子がわかる手紙なども展示されている。
当時の屋敷まで、復元されており、能舞台まであり、相当の気合の入れようだ。



そしてお城へ。
雨もピークで、階段の所を雨が滝のように流れていた。
お城内も雨漏りしている所があって、ちょっと心配だ。



重文の太鼓門と続櫓。



そして、国宝の天守閣。
天守閣が国宝のお城は、5つしかない。
元々は.石田三成が、敗れて、その居城だった佐和山城を井伊家が、賜ったが、井伊家は、彦根に城をつくり、居城とした。
説明書によれば、大津城を移築したとある。
城全体では、相当の規模だ。
いずれにしても、江戸初期の城で貴重。
城内も.さまざまな仕掛けが見れて面白い。



天守からは、生憎の天気で、あまり見えなかったので、パネルで。

玄宮園も見れたのだが、雨足が強いので、断念し、全日程終了後。
島根県から、滋賀まで、6県に及ぶドライブ旅行。
普段行きにくいところを回れて楽しかった。

帰りも在来線は、運転見合わせだったりしたが、新幹線は、若干の遅れで済んだ。
次は、どこに行こうかな?
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丹後紀行

2022年07月18日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、旅行2日目。
兵庫から、京都を経て、福井へ。
昔の呼び名では、但馬、丹後、若狭国。
朝は、昨日味わえなかった城崎温泉を散策。
若者も多く、嬉しい限り。



最初に向かったのは、伊根の舟屋。
行ったら、遊覧船が、臨時便出しててすぐ乗れたので、30分ほど周遊。
手頃でよかった。
陸からでは。この良さはわからないだろう。
しかしよくこの光景が残されたものだ。
新そうな家も、1階は、船のガレージになっている。



私は、松島周遊で慣れていてしなかったのだが、えびせんでのかもめ餌付け。
とくに外国人に人気。
トンビが混ざっていて危ない。



次に向かったのは、天の橋立近くにある元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)。
丹後国一宮。
奥宮のある真名井ヶ原の磐座に豊受大神が降臨したとされ、伊勢神宮外宮の元宮とされる。
境内は、撮影禁止だが、立派な社殿で、伊勢神宮を彷彿とさせる。
30年毎に、御造替される。



そして向かったののが、傘松公園。
神社の上から、リフトか、ケーブルカーで登れる。ここからの天の橋立が、本来の見方で、対岸から見るのは近代、鉄道ごできてからと、ブラタモリで言っていた。
確かに、こちらに神社はあるし、昔の絵もこちらから眺めたものが多い。

股のぞきも何十年ぶりにしたが、ただ逆さまに見ただけなのに、違ったものに見える。
ちょっと上に元祖股のぞきの地があり、当時は、そこからの眺めだったかもしれない。



成相寺に行きたかったのだが、傘松公園からバスということで、諦めていたら、帰り道で、車で登れる道があって、行けた.
大きなお寺で、驚いた。



中には、左甚五郎作の上り龍の木彫がある。
正面を見る珍しい構図だが、甚五郎が悩んだ末に編み出した構図という。
  


お寺から、さらに車で登れて、絶景スポットがあった。
宮津湾全体が、臨める。



平成五重塔もあり、これも本格的な立派なもので、驚いた。



天橋立ビューランドと智恩寺に寄りたかったのだが、時間がなくなり割愛して、若狭国一宮の若狭彦神社へ。
ご覧の通りかなり痛んでいて、社務所もない。



その手前の若狭姫神社と対になっており、こちらは、かなり整備されている。
若狭彦神社が上社で、若狭姫神社が下社だが、実態は、逆転しているようだ。
今は、合わせて遠敷明神(おにゅうみょうじん)と呼ばれているようだ。
そびえる千年杉が、歴史を感じさせる。



迫力!



東大寺のお水とりの水は、ここから送られている。
奈良時代の、奈良と北陵の関係の深さを物語る。



今日の最後、明通寺。
小原温泉から、山川に登ったところにある。
真言宗のお寺。
平安時代初期、坂上田村麻呂創建と伝わる。



立派な山門。
江戸時代の再建。



本堂と三重塔は、いずれも国宝で、福井県の確保建築は、ここのみ。
創建は、奈良時代で、本堂、三重塔は、鎌倉時代の再建。



薬師如来がご本尊で、降三世明王と、深沙大将が脇を固める。
深沙大将は、かなり珍しい。
西遊記の沙悟浄なのだという。
和尚さんが、詳しく説明してくれた。
いずれも平安時代のもので、重文に指定されている。
当初ゆず木("ゆず"は木偏に岡)の一木造りだったが、焼失し、平安末期に、ひのきの一木造りで作られたとのこと。
寄せ木造りが主流になる中、過渡的な時期の作になる。



三重塔。
美しい。
昭和32年に解体修理したとのこと。



小浜温泉に到着。
オバマさんと、バイデンさんが、迎えてくれた。
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建部大社

2022年06月23日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西。
ほとんど夏。
初めて石山駅で降りた。
京阪も走っている。



目指すは、近江一之宮の建部大社。
駅から、行きはバス、帰りは歩いた。



流石、立派な神社だった。



御祭神は、日本武尊で、パネルで神話が分かりやすく説明されている。
実在の人物かはわからないが、ヤマト朝廷が日本全体に支配権を広げた姿を日本武尊の姿に重ねたというところ。



これは知らなかったが、終戦直前に出された千円札にも、日本武尊の肖像と共に、使われた。
なかには、頼朝公の出世ますという湧水があって、頼朝が、流罪の身になった時、ここで再興を祈願したという。



立派な門。



茅の輪があったので、厄年は過ぎたが、くぐってお参り。
三本杉は、御神木。



堂々とした拝殿。



ツアー客が、到着。
何のツアーだったんだろう?



本殿は、2つあり、日本武尊と、大己貴神を祀っている。



末社も、左右に4社づつ。
日本武尊関連の神様が多い。 



鎌倉時代の石灯籠。
重文に指定されている。



本殿の裏には、水の神が、祀られる。
案内が、丁寧で、興味深々で、敷地内を、巡れるようになっていた。
近くに、近江国庁跡があるそうだが、まさに奈良時代から、近江の中心地だった。



帰りは、石山駅まで歩いたが、目的は、瀬田の唐橋。
壬申の乱が、あまりにも有名だが、藤原仲麻呂の乱、木曽義仲が討たれたところとしても有名。



ただ.地元では、平安時代の俵藤太とオオムカデ退治の伝説が、1番喧伝されていた。
オオムカデと言っても、たかが知れていると思うのだが。



無事お参りを終えたら、某駅前で、某党の党首が、笑顔を振りまいていた。
政治家の方々には.選挙の時だけでなく、常に全力で、国のために尽くして欲しい。
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