かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

長岡京散策 & 庄野真代

2024年02月27日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、関西。
長岡京駅で、初めて降りてみた。
そこここで、歴史を感じる街だった。

夜、クラブに行ったりもしたので、歩数27,700歩!
途中、道間違ったり、雨降ったりで、結構たいへんだったが。



駅前の碑によると、向日町(むこうまち)と、(あの)山崎の間が長かったため、その間に1931年、神足(こうたり)駅が作られ、1995年に、長岡京駅に改名したという。
当時、長岡京のあった場所という認識が低かった現れか。



まず、恵解山(いげのやま)古墳に向かったが、途中、勝龍寺土塁・空堀跡が、あった。
戦国時代、細川家が築いた土塁だそうだ。



その奥に、神足神社があった。
平安時代の記録に残る古社。



その先に、勝竜寺公園があった。
天気が悪くてゆっくり見れなかったのだが、結構整備されている。
明智光秀が、山崎・勝龍寺城合戦で敗れ、ここに退却したと伝わる。



明智光秀の娘(明智玉子)は、細川藤孝の嫡子 忠興のもとへ嫁ぎ、勝竜寺城へ輿入れ。
1男1女を授かるも、本能寺の変が起こり、丹後に幽閉され、大阪玉造に移った後洗礼を受け、細川ガラシャと呼ばれるようになった。
関ヶ原が近づき、石田三成に攻められ、自害したという。
悲劇だが、細川忠興は、秀吉、家康に仕え、肥後熊本細川家の基礎を築いた。
戦国時代の重要な舞台となったお城だった。



そして訪れたのが、恵解山古墳。
全長128mの乙訓(おとくに)地域最大の前方後円墳。
古墳時代中期の古墳という。



一部、葺石が、現物を使って再現されていた。
川原石が使われていたという。



埴輪が、再現され並べられている。
西の造り出しが見える。



前方部中央に刀剣類が多数埋葬されていた。
凄い量だ。
埋葬者の身分の高さを感じる。



後円部側の歩道橋から見下ろしたところ。
後円部は、墓地になっており、入れない。



長岡天満宮に向かう途中に、長岡京の発掘パネルがあった。
立命館高校の前だが、大きな都であったことがわかる。
結局未完に終わったが、確かに、川は多いし、高低差もある。
なかなか、平安京のような都を作るのは、難しかったのではないか。



発掘された道の跡が、表示されている。
校門付近。



そして、長岡天満宮。
全国に天満宮は、多々あるが、ここは、道真公が、在原業平と詩歌管絃を楽しまれたところという。



ここは、キリシマツツジが有名だそうだが、やはり天満宮といえば、梅。
満開だった。



道真公が、左遷された際当地に立ち寄り、我が魂、長くこの地に留まるべしと名残を惜しまれたことから、木像を祀ったのが、創立という。



八条ヶ池。
江戸時代、八条宮家の,御領地だった。
通行禁止になっていたが、石太鼓橋は、加賀藩の寄進。



いかにも、天満宮らしい拝殿。
白梅も見事。



紅梅は、ちょっと手前にあったが、こちらも見事。



次に訪れたのが、乙訓(おとくに)寺。
お寺が多い地域だったが、その中で、一番由緒が、ありそうだったので。
雨が一番強いタイミングで、レンズが曇りがち。

元々、推古天皇の勅命により、聖徳太子が建立したと伝えられる。
流石にそこまで古いかはわからないが、奈良時代にはあって、長岡京の時代には、増築された。
その前、継体天皇が、弟国宮(乙訓宮)を設けたという言い伝えもあるという。

有名なのは、ここで、空海と最澄が初めて出会ったというもので、今も真言宗のお寺になっている。



長岡京を造る責任者の藤原種継が暗殺されたとされる事件で首謀者とされた早良親王のお墓もある。
空海が、本寺の再興を命ぜられたのも、早良親王の鎮魂が目的とも言われる。



ここから長岡京のシンボル的なところと思って、ナビで検索したら、ずっと東の方にあって、着いたら、何と工事現場で、立ち入り禁止。
たぶん昔発掘現場だったのだろう。
途中、大極殿の信号があったので、この辺が都の北の中央だったのか。

しょうがないので、もう1回検索したら、石碑が何とスタート地点近くにあるらしく、逆戻り。



長岡京の所在は、長い間不明だったが、1956年、ここで初めてその存在が確認されたという。
まだ、発見されてから、70年も経っていない。
当時の田んぼの区切りが、元は、街の区切りではないかと発掘が始められたのだという。
一応、10年ではあるが、都であったにも関わらず。

ということで、日本の古都は、これで、ほとんど回れたかな?
先日、恭仁京も行けたし。



夜は、初のビルボード大阪。
大阪の六本木は、どこ?



初めてだと、入り口がちょっとわかりにくい。
梅田は、いつも、わかりにくいのだが。



これは、なかなかいい感じ。



ここでは、8年振りとのこと。
正直、初期のヒット曲しか知らないのだが、その後も様々な分野で、話題を振り撒いてきた。
デビュー48周年だそうだ。



会場は、結構広くて驚いた。
横浜より広く、東京より縦は短く、横が広い感じ。
もちろん入っているビルの構造により、制約を受けるのだが。

結構知ってる曲が多くてびっくり。
中森明菜のカバーで有名な曲も。
1980年で一旦休業して、ヒッチハイクに出たと言ってたから、知っていたのはほとんど学生時代に流行った曲。
一見歌謡曲?でもやっぱりシティポップ?
竹内まりあ、渡辺真知子などと同世代。
ユーミンもかな?
新しい曲では、鈴木雄大との共作も。
1990年には、普通の新人歌手として、シンガポールでデビューしたとのこと。
凄いバイタリティー。
コロナ禍の中作ったアルバムからの曲も、かなりいい。

MCも結構あって、信念の方とお見受け。
大阪出身で、昨日女子会だったそうで、何と器械体操部の仲間という。
まさか……
そのせいか、声がよく出てる!
私よりも5歳上!



帰りは、地下道経由でスムーズ。
何故、行きは、このルートで行けなかったのか?

昼も夜も、大充実の1日。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒッタイト帝国 | トップ | 悠久のエジプトその7 メンフ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。