「水俣病(みなまたびょう)」という公害

今、水俣病に関連する事件がおこり、私なども本当に久しぶりにこの語に接した。まだ高校の教師をしていた1970年代ではなかったろうか、この公害が大きな問題として議論されていたのは。
ネット上の記述を引用する。
1956年(昭和31年)5月1日、熊本県水俣市の新日本窒素肥料(現・チッソ)水俣工場附属病院長の細川一が水俣保健所に患者の発生を報告し、公式に確認された。1958年(昭和33年)頃から「水俣病」の名称が使われ始め、1968年(昭和43年)9月26日、厚生省は、水俣病の原因物質をチッソ水俣工場の廃液に含まれたメチル水銀化合物であると認定した。

今、問題視された内容は、この1日にあった慰霊式の後に開かれた水俣病被害者団体と伊藤環境相との懇談の場で起きた。持ち時間3分を超過した団体に対し「時間なのでまとめてください」と職員が話を遮ったり、マイクの音を切ったりした。このような状況に対して、「大臣は水俣病問題を軽視しているのではないか」と被害者団体のメンバーから批判の声が大きくなった。
「公害の原点」といわれる水俣病は、2004年に被害拡大を防がなかった国や県の責任を認める最高裁判決が出ている。会見の出席者からは「環境大臣自身が水俣病を軽視している」「大臣は辞任すべき」などと水俣病と向き合うべき省庁のトップに対し、厳しい声が相次いだ。
 伊藤信太郎環境相の責任を問う声が相次いだ。伊藤環境相は同日、熊本を訪れて被害者らに直接謝罪したが、地元には根深い不信が残った。

公害とは、人の健康や生活環境に係る被害が生ずることで、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染など7種類が典型7公害とされる。問題はこれからますます重視されていかなければなるまい。「公害」は、人類の存続にかかわる問題になっていくことを銘記されなければならないと思うからだ。
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