袴田事件(2)

 1966年7月4日、清水署が、味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、当時同社の従業員であった元プロボクサー袴田巖の部屋から極微量の血痕が付着したパジャマを押収。袴田さんが捜査線上に浮かんだ理由は、巨漢で柔道の有段者である専務と格闘できた人間として、元ボクサーである袴田さんの名が浮上したとされている。
 8月18日、清水署の特捜本部が、袴田さんを一家4人殺害事件の被疑者として逮捕。逮捕容疑には強盗殺人と放火に加え、前年の1965年(昭和40年)8月ごろから4回にわたって工場の製品である4 kg入り味噌1樽や500 g入りの金山寺味噌45袋(計2,695円相当)を盗み、清水市内の旅館に売っていたとする窃盗の余罪も含まれていた。
 9月6日、取調べ(3回 計14時間40分)。犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前の同日、犯行を自白。
 自供内容は、事件前日、夕方に犯行を決意して従業員寮で時間を待ち、30日1時20分ごろ、パジャマの上に工場内の雨合羽を着て、工場から見て東海道線の向こうにあったA宅に侵入したが、寝ていたAに気づかれて大声を出されたため、格闘の末に持っていたくり小刀で刺殺した。その後、Aの大声で目を覚ましたB・C・Dも相次いで殺害し、「焼いてしまえば跡が残らない」と考え、1人1人に油をかけた上でマッチを使って点火した――というものである。
 9月9日 - 静岡地検は拘置期限となる同日、袴田さんを住居侵入、強盗殺人、放火の罪で静岡地方裁判所へ起訴。ただし、窃盗の余罪については不起訴処分とした。
 11月15日 - 静岡地裁で開かれた第一審の初公判で、袴田さんは起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
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