NHKのドラマで、白州次郎と正子が放送され、急に有名になり人気が出てきた。見学者も大変多いとのこと。私もドラマで白州次郎をしり、感激し、もっと彼を知りたいと思い、この見学会に参加した。
白州次郎(1902年から1985年)は、兵庫生まれ、若くしてイギリスに留学、ケンブリッチ大学に学ぶ。
第2次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き、鶴川に移住農業に従事する。戦後、吉田茂に請われて、GHQとの折衝に当たるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」であると・・・。
日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りの声も強かったが、生涯外野を貫き、幾つもの会社の経営に当たった。
白州正子(1910~1998)は、父は樺山伯爵家の次女として東京にうかれた。幼児の時から能に親しみ、14歳で舞台にたった。アメリカのケンブリッチに留学、帰国後白州次郎と結婚。文学・骨董の世界に踏み込む。銀座に染織工芸の店を開き、往複4時間の店に毎日通った。友人に「韋駄天お正」と命名されほどの行動派で、自分で見、足を運んで執筆する姿勢は、終生変わらなかったとのことである。
鳩山御殿とは違い、質素な家屋であった。都会とは離れ、農村に住み、農業に精を出したとのことである。
吉田総理に使い、マッカーサー(連合軍最高司令長官)と堂々と対等に話し合った、終戦直後の日本人の立役者である白州次郎の邸宅には相応しくないように思った。
人間は色々である。偉いといわれた人でも、こういう人もいたことを再認識した。
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