11月27日(木)、午前10から12時まで、芭蕉・旅館の世界について、元東京都葛飾区立○○小学校長の講演を聞いた。
西行・芭蕉・良寛3人の共通点は、家も財産もすべてを捨て、さすらいの旅(歌心の旅、俳句・短歌の旅)をした。俳句・短歌の世界に生きた。西行は旅後に仏門に入った。
本日は、芭蕉と良寛についての講義だった。概要をのべる。
芭蕉について
1. 1644年:伊賀に生まれる。1675 32歳:江戸に移住。1680 37歳:深川に芭蕉庵に入る。1684 41歳 野ざらし紀行の旅に出る。1688 45歳:鹿島紀行,笈の小文,更科紀行。1689 46歳 奥の細道(150日)。1690 47歳 故郷の幻住庵に入る。1694年 54歳 死去
2. 奥の細道 芭蕉庵-北千住-日光―平泉・・・・大垣 約150日を歩行した。
花の美をそのまま表現するのでなく、花の美の背景にある心の美を求め表現しようと極めた。
風雅(わび・さび)の状態を追求した。つまり、見える現象も、心を通して、その背景の真実を追及して表現する。それが、紀行文の俳句として作成されている。
例えば、「夏草や兵どもの夢の跡」も、夏草について心を通してみる。その背景にある過去の兵どもの様子の真実を求めて表現している俳句であろう。
芭蕉の特徴として、情感のある自然観を出している。静けさの中に音が聞こえる。孤独・貧しさも夢につなげる心境等であろう。
インターネットより
松尾芭蕉は、俳諧(俳句)の歴史における最初の偉大な作家として知られる。
当時流行していた語呂合わせや冗談を多用した作品を、彼も初期には書いていたが、1680年ごろから俳諧における(特に発句における)思想性を重視し始めた。
芭蕉は荘子の思想の影響を強く受け、発句の中にしばしば「荘子」のテキストを引用した。
荘子は、理知の価値を低く見て、作為や功利主義を否定した思想家である。一見無用に見えるものの中に本当の価値があり、自然の法則に逆らわないことが正しい生のありかたであると説いた。
芭蕉のような生き方は、相当の覚悟がなければできないであろう。
明日は、良寛についてアップする。