小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

歌びとと二・二六事件  完

2008-05-18 23:13:42 | 小説
 斎藤史の歌には、誤解をおそれずに言えば、ときおりテロリストのような気配がただよう。血の匂いと、憎しみに似た暗い情念。
 はじめに引用した初期の歌5首のなかの一首、

   さかさまに樹液流れる野に住んでもくろむはただに復讐のこと

 この歌には続きがある。

   あまたたびわれの憎しみに刺されたる彼の内臓も熟るる紫

 さらに、平成3年の歌に続く。

   斃(たふ)すべき男見逃がしたりしかば毛虫千匹年毎に抹殺す

「斃すべき男」がなんの隠喩であるか、この歌1首だけではわかりようがない。直喩と理解せよと見せかけた隠喩であるからだ。ともあれ呪詛の対象となる何ものかは「逃げた」のである。 
「西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の『みやび』を理解する力を喪ってゐた」と『文化防衛論』に書きつけたのは三島由紀夫だった。三島由紀夫がなぜ自裁の直前に「天皇陛下万歳」を叫んのだのか、いまだに理解しかねている私には、『英霊の声』や『憂国』を二・二六事件にからめて語る資格はない。ただ「みやび」を言うのなら、歌の世界こそ「みやび」の世界そのものだといえるのではないか。
 その「みやび」の世界に、斎藤史という心情的テロリストがいたけれど、現実世界の彼女は晩年に父親や夫の介護に悩まされた普通の主婦のひとりなのである。
 だから彼女は、こんな歌も歌わなければならないのである。

   良妻のなれの果にて肩の力ぬけばジグソーパズルが合はぬ

 そのジグソーパズルは最初からピースが欠けているので、合わないのではないですかと声をかけたいような気分になるが、すでに史もまたこの世の人ではない。

   革命を持たざる国に生まれ来て風雨ほどほどに有りて終るか




【主要参考文献】
ジェイムス・カーカップ 玉城周 英訳『斎藤史歌集 記憶の茂み[和英対訳]』(三輪書店)
斎藤史『歌集 秋天瑠璃』(不識書院)
工藤美代子『昭和維新の朝 二・二六事件と軍師斎藤瀏』(日本経済新聞出版社)  


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