小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

若かりし頃の水戸黄門

2009-08-04 22:56:41 | 小説
 テレビドラマの『水戸黄門』はなんと40年続く長寿番組で、新シリーズでは、東北への漫遊らしく、芭蕉と曽良も登場している。つまり、芭蕉の「奥の細道」紀行と黄門一行の漫遊が重なるという設定のようだ。
 知人と居酒屋で飲んでいて、このことを教えられ、えっと驚いたけれど、黙っていた。もともと水戸黄門の諸国漫遊そのものが事実ではない。幕末の講談がもとになっているフィクションである。めくじら立てるほうが野暮と言うものである。
 ただ動かしがたい事実を無視した脚本家には敬意を表しておこう。
 芭蕉が曽良と一緒に、「奥の細道」の旅に出たのは元禄2年(1689)3月のことであった。水戸光圀が養子綱條に家督を譲って隠居したのは元禄3年(1690)10月のことであった。つまり黄門様と芭蕉の旅程が同じになるわけはないのである。
 黄門すなわち水戸光圀は、むしろその青年時代のほうに私などは興味がある。今風に言えば、かなりヤンキーであった若かりし頃にである。それはたとえば鬼平犯科帳の長谷川平蔵が、若い頃に本所あたりで無頼な生活を送っていたのと事情が似ている。
 光圀は結構な「かぶき者」で、守り役の小野言員(ときかず)を泣かせていた。小野は光圀にむかって「言語道断のかぶき者」と叱責し、種々お説教をした手紙を残している。
 ビロードの襟の派手なお召し物を着て、脇差を前に突っ込んで、両手をふりまわして歩くな。三味線ぐるいなどおやめなされ。軽輩ばかり近づけて下世話な噂話に興じるとはなにごとですか。弟たちと猥談にふけるとはなさけない。これらの様子を見て、皆が溜め息をついて悲しんでいますぞ、などと小野は書き、不行跡を重ねていると水戸藩に潜入している幕府隠密を通じて幕府に報告されてしまうと警告しているのである。
 いやいや、優等生でないところがよろしい、と私は思う。講釈師だって、こういう光圀に共感をおぼえて、隠居後の漫遊記を仕立てのではないだろうか。


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